大黒屋平吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大黒屋 平吉(だいこくや へいきち)とは江戸時代から昭和時代まで続いた版元である。

来歴[編集]

代々、松木平吉を称しており、大平と略称する。松寿堂とも号し、両国吉川町で地本問屋を営んでいる。享保元年(1716年11月6日[1]の創業とされており、版行開始は明和元年(1764年)で、版行が確認される最初の作品は安永4年(1775年)に出版された喜多川歌麿の富本正本『四十八手恋所訳』である。錦絵では3代歌川豊国の「浮世柄比翼稲妻」、渓斎英泉の「松葉屋内粧ひ」などを出版している。

幕末明治期には4代目が両国広小路に店を構え、歌川国郷歌川貞秀3代歌川広重2代歌川国輝歌川国明2代目歌川国明楊洲周延などといった歌川派絵師開化絵を多数出版していた。そして、明治9年(1876年)に満を持して小林清親光線画を発表して著名となる。この4代目が西洋印刷に押され気味となった錦絵に新しい工夫で対抗していった。

明治18年(1885年)に4代目は家督を5代目に譲っており、5代目はその好みから主に相撲絵月岡耕漁能楽絵を多く出している。昭和6年(1931年)に廃業している。墓所は江東区深川白河町の雄松院。

歴代[編集]

  • 1、初代 享保元年に両国広小路吉川町で創業。
  • 2、2代目
  • 3、3代目 両国広小路吉川町伊兵衛店で営業。
  • 4、4代目 松木東江とも号し、小林清親を世に送り出したことで知られる。
  • 5、5代目 松木平吉(明治4年(1871年)9月22日[2]‐昭和6年(1931年)6月19日)。

作品[編集]

  • 歌川国貞「十二月所作事ノ内 水無月」 大判2枚続 天保11年(1840年)
  • 歌川国芳 「武田上杉川中嶋大合戦図」 大判3枚続 安政4年(1857年)
  • 3代目歌川豊国 「伊豆うら娘お房」 大判 安政4年
  • 3代目歌川豊国「おまつり佐七」 大判 安政4年
  • 3代目歌川豊国 「浮世柄比翼稲妻 序幕の図」 大判3枚続 万延1年(1860年)
  • 歌川貞秀 「神奈川横浜港案内図絵」 大判3枚続 万延1年
  • 2代目歌川国輝 「東京海運橋兜町為換座五階之図」 大判3枚続 明治5年(1872年)
  • 2代目歌川国明 「弥生神社天覧角觝之図」 大判3枚続 明治20年(1887年)

脚注[編集]

  1. ^ 『東京書籍商組合史及組合員概歴』124頁
  2. ^ 『東京書籍商組合史及組合員概歴』124頁。

参考文献[編集]

  • 東京書籍商組合編 『東京書籍商組合史及組合員概歴』 東京書籍商組合、1927年 NDLJP:949275
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第3巻 大修館書店、1982年 ※139頁 「大黒屋平吉」の項。
  • 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年
  • 永田生慈 『資料による近代浮世絵事情』 三彩社、1992年