大和村 (鳥取県気高郡)

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やまとそん
大和村
廃止日 1953年7月1日
廃止理由 編入合併
神戸村大和村美穂村大正村東郷村明治村豊実村松保村大郷村吉岡村千代水村湖山村末恒村倉田村面影村鳥取市
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.5 km2
総人口 1,763
国勢調査、1950年)
隣接自治体 神戸村、美穂村、東郷村、倉田村、河原町(初代)
大和村役場
所在地 鳥取県気高郡大和村大字倭文字石橋234-1
地図
旧・大和村役場庁舎位置[1]
座標 北緯35度26分36秒 東経134度12分11秒 / 北緯35.44344度 東経134.20303度 / 35.44344; 134.20303座標: 北緯35度26分36秒 東経134度12分11秒 / 北緯35.44344度 東経134.20303度 / 35.44344; 134.20303
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大和村(やまとそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは高草郡に属した。

概要[編集]

現在の鳥取市赤子田・猪子・倭文・玉津・長谷・横枕に当たり、千代川中流左岸の山沿いに位置した。

村名は、古代この地方の大部分を倭文ノ郷と称したことから「倭」の文字にちなんで大和村と命名した[2][3]。なお倭文(しとり)は委文とも書き、古代この地の豪族で倭文織(しずおり)という織物を織った委文部にちなむとされる[4]

江戸期には高草郡倭文郷に属する赤子田村・長谷村・倭文村と、同郡味野郷に属する横枕村・玉津村・猪子村が存在した[5]

明治末期から大正にかけて隣接する美穂村との合併の話が上がり、委員会も発足して議を熟したこともあったが実現には至らず、1953年(昭和28年)の15ヶ村合併まで行われなかった[2]

沿革[編集]

  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、横枕村・玉津村・倭文村・長谷村・赤子田村・猪子村が合併して村政施行し、大和村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を長谷村に設置[3]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡大和村となる。
  • 1918年(大正7年)10月23日 - 役場位置を大字倭文字石橋234番地ノ1に変更[6]
  • 1953年(昭和28年)7月1日 - 鳥取市に編入。同日大和村廃止[7]

行政[編集]

歴代村長[編集]

  • 村松久太郎 - 本城竹次郎 - 近藤貞次郎 - 本城竹次郎(再) - 村松久太郎(再) - 本城藤造 - 田中良夫 - 岡村隆治 - 中村峰蔵 - 山下義雄 - 近藤寿雄[2]

教育[編集]

交通[編集]

衆議院議員奥田柳蔵の尽力により1901年(明治34年)に賀露河原間の道路が改修されたのを始め、1926年(大正15年)までに村内の道路改修が完成され、当村の発展に大いに役立った[2]

脚注[編集]

  1. ^ 1/25000鳥取南部 昭和7年測図・昭和10.7.30発行今昔マップ on the web
  2. ^ a b c d " 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
  3. ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「大和村(近代)」
  4. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「倭文」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「倭文郷(近世)」「味野郷(近世)」
  6. ^ 「村役場位置変更」『官報』1918年11月4日国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「鳥取県告示第279号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2424号』1953年6月23日鳥取県立公文書館

関連項目[編集]