大久保黄斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大久保 黄斎(おおくぼ こうさい、文化9年(1812年) - 明治28年(1895年)6月3日[1])は、江戸時代医師。名は道理(みちまさ)。

略歴[編集]

甲斐国巨摩郡古市場村(現在の南アルプス市古市場)に、医家の初代大久保章言の次男として生まれる[2]。兄は甲斐における蘭方医学の祖とされる貞固(二代章言)[2]天保3年(1832年)に黄斎は江戸に出て蘭方医坪井誠軒の高弟となり医学を学び、後に甲府で開業する[2]

嘉永元年(1848年)に兄の二代章言が死去すると古市場村に帰郷し、分家して医業を継続した[2]。嘉永3年(1851年)には、甲斐国で初めて種痘を施行した[2]。84歳で死去。

世事記[編集]

黄斎は『世事記』と題された大久保家の金銭出納帳を残している[2]。『世事記』は原本が身延山大学図書館に所蔵され(池原文庫)、形態は横半帳。一年一冊で19年分(21冊)が伝存している[2]

内容は日付・金額・品目・店名(人名)の四項目で大久保家の支出を記録し、幕末・明治記には記録が詳細化している。内容は多岐にわたるが、特に海産物の記載が詳細で、近世後期から明治期の甲斐における海産物の流通、加工形態や消費の動向など、多様な情報を記している。また、明治20年代には鶏肉牛肉などの家畜イノシシシカなど野生獣の購入が増えるなど、肉食の習慣が広まっていく食生活の変化も見られる[3]。また、1895年(明治28年)には牛乳の購入が記録されている点も注目される[3]

脚注[編集]

  1. ^ 没年は南アルプス市古市場の妙源寺に現存する碑文による。
  2. ^ a b c d e f g 宮澤(2008)、p.39
  3. ^ a b 植月・宮澤(2011)、p.36

参考文献[編集]

  • 村松学佑『甲斐国医史』2002
  • 宮澤富美恵「蘭方医大久保黄斎の食生活」『甲州食べもの紀行』山梨県立博物館、2008
  • 植月学・宮澤富美恵「甲州における幕末・明治期の海産物消費動向-大久保黄斎『世事記』の分析から-」『山梨県立博物館研究紀要 第5集』山梨県立博物館、2011