多聞寺 (東久留米市)

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多聞寺
所在地 東京都東久留米市本町4-13-16
位置 北緯35度45分17.7秒 東経139度31分45.5秒 / 北緯35.754917度 東経139.529306度 / 35.754917; 139.529306座標: 北緯35度45分17.7秒 東経139度31分45.5秒 / 北緯35.754917度 東経139.529306度 / 35.754917; 139.529306
山号 宝塔山
院号 吉祥院
宗旨 真言宗
宗派 智山派
本尊 毘沙門天
創建年 元仁年間[注釈 1]
開山 祐観
正式名 宝塔山多聞寺
札所等

多摩四国八十八箇所37番 武蔵野三十三観音霊場5番

東久留米七福神[1]
文化財

多聞寺三代住職逆修供養板碑(市・有形)

南沢獅子舞(市・無形)
法人番号 7012705000374 ウィキデータを編集
多聞寺 (東久留米市)の位置(多摩地域内)
多聞寺 (東久留米市)
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多聞寺(たもんじ)は東京都東久留米市本町にある真言宗智山派の寺院。

歴史[編集]

石神井公園三宝寺の末寺。

"開山貞和5年。本尊は不動木の立像、境内は古樹蒼鬱として古寺なること知るべし、本堂に向いて左に毘沙門堂がある"

新編武蔵風土記稿[2]に記されている[3]

現在は南向きの明るい境内で、本堂は1975年(昭和50年)に弘法大師の生誕1200年を記念して鉄筋コンクリート建てに建立された。

境内[編集]

境内の中央に本堂があり、南面中央に山門、その右手に庫裡、左手に薬師堂がある[3]

本堂[編集]

皇国地誌では康元元年(1256年)に創建とされ、3度の大火にあって延喜3年(1945年)に再建され、現在の本堂は1975年(昭和50年)6月に鉄筋コンクリートで建替えられた[3]

薬師堂[編集]

堂内には薬師如来はじめ、木造の地蔵菩薩、弁財天などが保存されていた。もとは毘沙門堂であった[3]。薬師堂前の六地蔵尊には左より「地持」「陀羅尼」「法性」「法印」「鶏亀」「寶性」と記されている。

六地蔵

山門[編集]

山門

この門は、天保年間、村の欅を落合川に流して江戸まで運び、彫師に獅子の彫り物を彫らせ、近隣在住の西川家祖先の大工により作られたとの伝承あり。嘉永5年(1852年)の多聞寺建替えの際に再建された。東久留米市の指定文化財。なお、再建の際の古門は田無の観音寺(現総持寺)に譲り渡されたが、現存していない[3]

文化財[編集]

多聞寺三代住職逆修供養板碑[編集]

多聞寺三代住職逆修供養板碑(たもんじさんだいじゅうしょくぎゃくしゅうくよういたび)は室町時代作。多聞寺の開発(かいほつ。寺伝では中興初代)から三代までの住職の板碑。現存寺院と関係のある板碑は極めて稀で珍しい。

  • 開発亮慶(りょうけい)[注釈 2]法印のものは明応7年(1498年)作。高さ101センチメートル、幅27.5センチメートル。
  • 第二住亮真(りょうしん)法印のものは大永5年(1525年)作。高さ112センチメートル、幅27.7センチメートル。
  • 第三住賢栄(けんえい)法印のものは天文20年(1551年)作。高さ131センチメートル、幅35.5センチメートル。

いずれも生前に仏事を修して死後の冥福を祈った逆修板碑である。 1981年(昭和56年)に東久留米市の有形文化財(第5号)に指定された[4]

南沢獅子舞[編集]

江戸時代初期頃から旧南沢村に伝わる伝統芸能で、東久留米市指定無形民俗文化財。毎年9月15日の氷川神社の秋祭りに、五穀豊穣と悪疫退散を祈願して村をあげて盛大に行われた。現在は10月14日の夜は多聞寺で練習の総仕上げの「揃い獅子」、15日の昼は氷川神社の境内で、同夜は多聞寺で演じられる。南沢獅子舞には獅子の他に太刀(たち)、世流布(せりふ)、神楽(かぐら)、万歳(まんざい)等の芸能が行われる[5][6]

年中行事[編集]

  • 10月15日 南沢獅子舞

交通アクセス[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 多聞寺の縁起によると、元仁年間に草創、貞和5年(1395年)に祐観上人が毘沙門天を本尊として、宝塔山吉祥院多聞寺と寺号を改めたとある。
  2. ^ 「宝塔山吉祥院多聞寺略縁起」宝塔山多聞寺 p.4 [4]では亮慶ではなく「高慶(こうけい)」と記されている

出典[編集]

  1. ^ 大法輪閣編集部 編『全国霊場巡拝事典』大法輪閣、1997年、413-414頁。ISBN 4-8046-1133-9 
  2. ^ 内務省地理局 1884.
  3. ^ a b c d e 東久留米市教育委員会文化課/編 1978, pp. 26–31.
  4. ^ a b 東久留米市教育委員会/編 1993, p. 10.
  5. ^ 『東久留米市文化財資料集 第13集 東久留米市の年中行事 写真集』東久留米市教育委員会、1991、p.48
  6. ^ 東久留米市教育委員会/編 1993, p. 46.
  7. ^ 歴史の道を歩く会/監修『多摩歴史探訪ウォーキング』メイツ出版、2013、p.90

参考文献[編集]

  • 「南沢村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ122多磨郡ノ34、内務省地理局、1884年。NDLJP:763995/14 
  • 東久留米市教育委員会文化課/編『東久留米市文化財資料集 第6集 (寺社建築・美術編)』東久留米市教育委員会、1978年。 
  • 東久留米市教育委員会/編『東久留米市文化財資料集 第12集 (指定文化財編)』東久留米市教育委員会、1993年。 

外部リンク[編集]