堤雄長
堤 雄長(つつみ たけなが、1870年12月29日(明治3年11月8日[1])- 1955年(昭和30年)4月11日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・雄麿[1]。
経歴[編集]
山城国京都で華族・堤功長の次男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)12月10日に子爵を襲爵した[1][3][4]。
1894年(明治27年)東京美術学校日本画科を卒業[2][3]。工手学校、京華中学校などで教師を務めた[3]。1912年、祭官となる[2]。以後、大喪使祭官、名誉掌典、青山御所祗候などを務めた[2][3]。
1916年(大正5年)6月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し[2]、1925年(大正14年)7月9日まで2期在任した[2]。
1940年(昭和15年)7月5日に隠居し[7]、家督は長男・経長が継承した[1]。
親族[編集]
『平成新修旧華族家系大成』下巻, pp. 111–112を参照。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『人事興信録:下巻』第12版、人事興信所編、人事興信所、1940年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『議会制度百年史:貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年。
- 『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 堤功長 |
子爵 堤家第2代 1913年 - 1940年 |
次代 堤経長 |