伊東三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊東 三郎(いとう さぶろう、1902年11月16日 - 1969年3月7日)は、日本エスペランティスト、農民運動家。本名は宮崎巌。旧姓は磯崎。筆名はほかに伊井迂(イーウ[1])。

生涯[編集]

岡山市北区天瀬生まれ。大阪外国語学校(現大阪大学)中退。1925年エスペラント青年同盟を結成。1928年国際文化研究所の設立に参加。1930年日本共産党に入り農民運動を指導、全国農民組合(全農)戦闘化協議会の機関誌『農民闘争』の編集にあたる。1931年3月7日の全農第4回大会(大阪)で、運動方針の討議にあたって全農本部の杉山元治郎以外の大半が全国大衆党を支持するにあたって、特定政党の支持強制反対にあたり分裂する。本部反対派は、8月15日~16日の京都での会議(鞍馬会議)を開催し、全農全国会議(正式名称「労農政党支持強制反対全農全国会議」)派の創立および組織化を指導、1932年逮捕され豊多摩刑務所に入り、1936年保釈出獄、1940年に再検挙され巣鴨刑務所に入る。戦後は日本共産党熊本県委員会で一時活動、のちエスペラント教育活動に専念した。[2][3]

著書[編集]

共著
  • 『プロレタリアエスペラント必携』小坂狷二共著 鉄塔書院 1930

論文[編集]

[編集]

  1. ^ エスペラントのiu(誰か、英語のsomebodyに当たる)にかけたペンネーム。
  2. ^ 20世紀日本人名事典
  3. ^ 日本人名大辞典