中川裕雄

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なかがわ やすお

中川 裕雄
生誕 (1935-01-02) 1935年1月2日(89歳)[1]
宮城県大崎市[要出典]
出身校 宮城県古川高等学校
山形大学工学部電気工学科
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中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年昭和10年〉1月2日 - )は、アンリツの元社長宮城県出身[2]

略歴[編集]

宮城県古川高等学校卒業[要出典]。1958年に山形大学工学部電気工学科を卒業し、安立電気(現・アンリツ)に入社[1][2]。1991年に取締役、1995年6月に専務に就任[2]

翌年6月、菅居紳至のあとを受けて61歳で社長に昇格[2]。海外部門の再編成に注力し、1国に複数のグループ企業が所在していた状態を1国1社に整理した[1]

2000年6月に退任して会長[3]。社長の後任には塩見昭が就いた[3]。2001年4月に藍綬褒章を受章[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 岩間敦子、中川裕雄「トップインタビュー:20,80の原則」『通信工業』第38巻第11号、通信機械工業会、1998年11月1日、1–5頁。 
  2. ^ a b c d 「アンリツ社長に中川裕雄専務が昇格」『讀賣新聞』、1996年5月30日、東京朝刊、6面。
  3. ^ a b 「アンリツ社長に塩見昭常務が昇格 中川社長は会長に」『讀賣新聞』、2000年5月16日、東京朝刊、8面。
  4. ^ 「春の褒章 喜びの人たち」『讀賣新聞』、2001年4月28日、地方版:東京、24面。