三笑亭可楽 (7代目)

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七代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく)は、落語家。江戸・上方に二人おり、上方は自称七代目。

  • 江戸七代目三笑亭可楽 - 本項にて記述
  • 上方七代目三笑亭可楽 - 後∶初代三遊亭圓若

七代目 三笑亭さんしょうてい 可楽からく
本名 玉井 長之助
別名 玉井の可楽
生年月日 1886年1月31日
没年月日 (1944-04-12) 1944年4月12日(58歳没)
出身地 日本の旗 日本・東京
師匠 二代目談洲楼燕枝
五代目柳亭左楽
名跡 1. 談洲楼燕福
(1907年 - 1908年)
2. 柳亭燕玉
(1908年 - 1911年)
3. 柳亭傳枝
(1911年 - 1916年)
4. 五代目桂才賀
(1916年 - 1918年)
5. 桂文鶴
(1918年)
6. 春亭文枝
(1918年 - 1922年)
7. 柳亭小左楽
(1922年 - 1926年)
8. 滝亭鯉昇
(1926年)
9. 七代目三笑亭可楽
(1926年 - 1944年)
活動期間 1907年 - 1944年

七代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1886年明治19年〉1月31日 - 1944年昭和19年〉4月12日)は、落語家。本名∶玉井 長之助。通称「玉井の可楽」。

経歴[編集]

1886年、東京京橋に産まれる。12歳で銀座の時計屋に奉公に出てその頃から天狗連に没頭する。

1907年ごろに2代目談洲楼燕枝に入門。燕福となる。1908年10月、柳亭燕玉と改名し二つ目昇進。1911年1月、柳亭傳枝に改名。1916年2月、5代目桂才賀で真打。

1918年5月、桂文鶴となる。また、同年12月春亭文枝に改名。この頃から腕はしっかりしてきたが一般受けはしておらず、心機一転のため1922年10月に5代目柳亭左楽門下で柳亭小左楽を名乗る。1926年3月から10月まで滝亭鯉昇を名乗る。同年11月、7代目可楽を襲名。

1935年3月から東宝名人会に招かれるがやはり芽が出ず、1938年4月から「可楽を聴く会」を毎月一回60回にわたり開き、評価された。

1944年、自宅で酔った勢いで階段から転落、背中を強打して逝去。享年58。墓所は台東区明順寺

芸風・人物[編集]

ネタは尊敬していた3代目柳家小さん系のものを多く演じた。『粗惣長屋』『笠碁』『うどんや』『睨み返し』『千早ふる』『御慶』『意地くらべ』『猫久』などがある。

安藤鶴夫が近所に住んでいて懇意にしてい た。

俳句と風呂が趣味であり、落語家の句会の宗匠を務めるほどの腕前であった。

前述の通り、三代目小さんを崇拝しており、「小さんの影法師」と評する向きもあるぐらい、芸質が小さんに似ていた。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 古今東西噺家紳士録