三宅徳業

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三宅 徳業(みやけ のりなり、1873年8月3日[1] - 没年不明)は、日本裁判官行政裁判所長官岡山県岡山市出身[1]

経歴[編集]

岡山城下の友野家に生まれ、のち、下道郡岡田村(のち吉備郡岡田村→同大備村→同真備町、現・倉敷市)の三宅家の養子となる[1]。旧制岡山中学、第三高等中学校を経て、1896年東京帝国大学法科卒[2]。司法官試補として京橋区裁判所に勤務し[1]、東京区裁判所判事となり、東京地方裁判所、東京控訴院などの判事となる[1][2]1907年行政裁判所評定官、同部長兼務、1939年行政裁判所長官に就任し[1][2]1942年まで務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『岡山歴史人物事典』、986頁。
  2. ^ a b c 『大衆人事録 第14版 東京篇』953頁。

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。