ヴェルナー・ファイマン

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ヴェルナー・ファイマン
Werner Faymann
Werner Faymann Wien08-2008a.jpg

任期 2008年12月2日

出生 1960年5月4日
オーストリアの旗 オーストリア ウィーン
政党 オーストリア社会民主党

ヴェルナー・ファイマンWerner Faymann,1960年5月4日‐)は、オーストリア政治家連邦首相2008年12月2日 - )、オーストリア社会民主党党首

経歴[編集]

オーストリアウィーン生まれ。ギムナジウムに通っていた頃に政治に興味を示し、ウィーン15区で学生評議会の代表を務めている。[1]
1981年から1987年まではオーストリア社会民主党の組織局であるオーストリア社会主義青年(ドイツ語)のウィーン支部代表を務めたが、この間、1983年ローマ教皇がウィーンを訪れた際に„Anti-Papst-Festes“とのスローガンを掲げ、ヘイトスピーチを行い当局の管理下に置かれたことがある。[2]
学歴について、 オーストリア共和国国民議会の公式サイトにおける議員名簿欄(ドイツ語)にはウィーン大学において法律学部に在籍したと記されているが、在籍期間は明記されていない。2012年の夏に放送されたオーストリア放送協会第二放送の番組、”ORF-Sommergespräch 2012”では、「実際にはオリエンテーションに参加した程度で、試験は一回も受けたことはない。」と語り、その頃にタクシーの運転手として働いていたことも明かしている。 1978年から1985年までの同氏の詳細な経歴が明らかにされていない点はMedienvielfalt Verlags GmbHが主宰するウェブサイト unzensuriert(ドイツ語)も2011年8月5日の投稿[3]で指摘している。
1985年から1988年までツェントラール・シュパールカッセ(ドイツ語)[4]で顧問カウンセラーを務め、1988年から1984年まではオーストリア社会民主党の支持団体であるオーストリア賃借人協会(ドイツ語)のウィーン筆頭代表を務めた。

州議会における立場[編集]

1985年、ファイマンは当時最年少でウィーン市議会に当選し、1994年 まで州議会議員・地区評議委員を務め、1994年から1996年の間は住宅建設・都市環境開発整備担当政務官、ウィーン地盤環境・都市環境開発整備基金の総裁・ウィーン経済支援基金の副総裁を務めた。1996年から2007年までは生活住居・住宅建設・都市環境開発整備担当政務官を担当し[5]、2002年には大規模の市有不動産を売却し、公営資産の民営化を図り、数万戸の新規住宅建設を実現させたが[6]、不動産の売却額や手法についての適正について、野党からは疑問を呈されている。[7]

国政[編集]

入閣[編集]

2006年10月に行われたオーストリア社会民主党オーストリア国民党との連立政権協議に関する経済部会に当時の社民党党首グーゼンバウアーに召喚され国政レベルでメディアから注目を浴び、[8] 2007年1月11日、運輸・技術開発・イノベーション担当大臣に任命され、2008年12月2日まで務めた。[9]

党首から首相へ[編集]

2008年6月16日、グーゼンバウアーは党内の支持基盤が弱体化したために、自ら社民党の幹部会において党首の座を下り、後任にファイマンを推挙し、ファイマンは暫定党首に就任した。[10]同年7月7日に国民党との連立政権解消に伴い、グーゼンバウアーは次回の国民議会解散繰り上げ総選挙における首班指名候補を辞退し、ファイマンが首班指名候補となることがほぼ確実となり、同年8月8日のリンツに於ける党大会で 98,36 % の支持を受けて正式に戦後8代目の党首に就任し、首班氏名候補となった。
2008年の国民議会選挙で、社民党は第一党となったが、11議席を失い過半数を得られなかったため、再び国民党との連立政権を余儀なくされ、経済的な危機下の中、経済界から早期の安定政権を望む声に答え2008年11月23日、両党は連立政権の合意書に署名し[11]2008年12月2日、ハインツ・フィッシャー連邦大統領に認証され新政権が発足した。
2008年 オーストリア国民議会 政党別議席数及び投票獲得率と議席の増減(議席を獲得した政党のみを抜粋)[12]

政党名 得票率 議席数 議席の増減
オーストリア社会民主党 29.26 57 -11
オーストリア国民党 25.98 51 -15
オーストリア自由党 17.54 34 +13
オーストリア未来同盟 10.70 21 +14
緑の党 10.43 20 -1


2012年10月13日にザンクト・ペルテンで行われた社民党大会に於いて、ファイマンは党首として83.43% の支持率を請け、同党の近年史上最低の結果となったが[13]2013年9月29日に行われた国民議会総選挙では再び首班指名として立候補した。結果として社民党は再度第一党の座を維持したが、5議席減という結果となった。ファイマンは選挙の結果を受けて、国民党以外の政党との連立政権は考えていない旨を公言している。[14]

実績[編集]


私生活[編集]

現在、ウィーン州議会議員・地区評議員を務めている[:de:Martina Ludwig-Faymann|マルティナ・ルードヴィッヒ=ファイマン(ドイツ語)]と2001年に入籍、二人の娘がいる。[15]

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. ^ [1]オーストリア国民議会公式サイトの議員名簿(ドイツ語)
  2. ^ [2]2008年09月18日附 カトリック通信 オンライン(ドイツ語)
  3. ^ [3]
  4. ^ 1905年にウィーンの公営要素が強い貯蓄銀行法に基づく金融機関であったが1990年にオーストリア政府の傘下にあったレンダーバンクと合併し、現在はバンクオーストリアと商号改変の後、同国最大の商業銀行となっている。1997年に競合するクレディット・アンシュタルトと合併するまで、同行はオーストリア社会民主党の事実上の支持母体だった。
  5. ^ name="オーストリア共和国首相官邸の公式サイトに於ける首相のプロフィール"> [4]
  6. ^ name="2007年1月10日附のオーストリア国営放送協会の記事(ドイツ語)">[5]
  7. ^ [6] 2002年6月21日附 オーストリア通信 APA-OTS オンライン(ドイツ語)
  8. ^ [7] 2007年1月10日附のオーストリア国営放送協会の記事
  9. ^ [8]オーストリア国民議会公式サイトの議員名簿(ドイツ語)
  10. ^ [9]2008年6月16日附 n-TVの記事(ドイツ語)
  11. ^ [10]2008年11月23日附 独シュピーゲルオンライン版(ドイツ語)
  12. ^ [11]オーストリア内務省による2008年国民議会総選挙の最終投票結果
  13. ^ [12] 2012年10月14日附 スタンダード紙オンライン版
  14. ^ [13]2013年10月1日附Heute オンライン版
  15. ^ [14] 2007年1月10日附のオーストリア国営放送協会の記事

外部リンク[編集]


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先代:
アルフレート・グーゼンバウアー
オーストリア共和国連邦首相
2008–
次代:
(現職)
先代:
アルフレート・グーゼンバウアー
オーストリア社会民主党党首
2008–
次代:
(現職)