ヴィクトル・ドゥブロフスキー

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ヴィクトル・パヴロヴィチ・ドゥブロフスキーロシア語:Виктор Павлович Дубровский, ラテン文字転写例:Viktor Pavlovich Dubrovsky, 1927年12月10日 - 1994年10月17日)は、ソビエト連邦出身の指揮者[1]。ロシア連邦共和国人民芸術家。

ヴォロネジの生まれ。1944年にモスクワの中央音楽学校を首席で卒業し、モスクワ音楽院に進学。そこでレフ・ツェイトリンにヴァイオリンを学び、1949年にヴァイオリン科を修了したが、レオ・ギンズブルクの指揮科のクラスにも在籍し、1953年に首席で卒業している。また、在学中からソヴィエト国立交響楽団の練習指揮者を務めており、1956年にはベラルーシ国立交響楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任した。1962年から1977年までモスクワのオシポフ記念国立ロシア民族楽器オーケストラの音楽監督を務め、この頃からベラルーシ州立音楽院とモスクワ文化芸術大学で教鞭をとるようになった。1988年からスモレンスク州に民族楽団を設立し、自ら音楽監督を務めた。1991年からはベラルーシ国立アカデミー管弦楽団の首席指揮者も務めた。

スモレンスクにて死去。

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  1. ^ Марина Леонова. “Дубровский Виктор Павлович”. nasledie-smolensk.ru. 2014年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月2日閲覧。