ヴァーツラフ・クラウス
| ヴァーツラフ・クラウス Václav Klaus |
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| 任期: | 2003年3月7日 – 2013年3月7日 |
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| 任期: | 1993年1月1日 – 1997年12月17日 |
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| 任期: | 1992年7月2日 – 1992年12月31日 |
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| 任期: | 1998年7月17日 – 2002年6月20日 |
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| 出生: | 1941年6月19日(71歳) |
| 政党: | 市民民主党 |
ヴァーツラフ・クラウス(Václav Klaus, 1941年6月19日 - )は、チェコ共和国第2代大統領(2003年-2013年)、政治家、経済学者。
目次 |
経歴 [編集]
プラハ生まれ。1963年に対外貿易専攻でプラハ経済大学を卒業した後、イタリア(1966年)およびアメリカ合衆国(1969年)留学を経て、チェコスロヴァキア科学アカデミー経済研究所研究員となる。1970年、政治的理由のため、チェコ国立銀行に左遷。1988年、科学アカデミー予測研究所指導科学職員。
1989年の共産党体制崩壊(ビロード革命)後、市民フォーラムを結成し、連邦政府蔵相に就任。また1991年には市民民主党を結成し、長年にわたり党首を務める。1991年12月から1992年7月まで副首相。ミルトン・フリードマンやマーガレット・サッチャーの経済思想を信奉し、市場経済への移行政策を進めるが、スロヴァキアの反発を招き、連邦解体を決断。
1993年以降も首相の座に留まり、市場経済の導入など体制転換に指導力を発揮したが、1997年に汚職問題が発覚し、内閣総辞職に追い込まれる。1998年の総選挙では、社会民主党に第一党の地位を奪われるが、少数与党であったため、社民党との閣外協力と引き換えに下院議長のポストに就任。2002年の総選挙でも党勢を挽回できず、その責任を取る形で党首を辞任(しかし名誉党首として影響力を保持)。
2003年2月28日、ヴァーツラフ・ハヴェルの退任に伴い、第2代大統領に就任。
2007年2月と2008年9月に来日している。
思想 [編集]
欧州懐疑主義で知られており、2012年に欧州連合がノーベル平和賞を受賞したことを「冗談かと思った」「悲劇的な過ちである」と酷評している[1][2]。
パーソナル [編集]
家族には妻と2児がいる。スキー、テニス、バレーボールが趣味。ロシア語を話す。
著書 [編集]
- 「「環境主義」は本当に正しいか? チェコ大統領が温暖化論争に警告する」、日経BP社、2010年2月 ISBN 978-4822247980
出典 [編集]
- ^ “EUにノーベル平和賞、チェコ大統領が酷評”. 読売新聞. (2012年10月13日) 2012年10月13日閲覧。
- ^ “授賞は「悲劇的過ち」チェコ大統領”. 産経新聞. (2012年10月13日) 2012年10月13日閲覧。
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ヴァーツラフ・ハヴェル |
第2代:2003年 - 2013年 |
次代: ミロシュ・ゼマン |
| 先代: (創設) |
初代:1993年 - 1997年 |
次代: ヨゼフ・トショフスキー |
| 先代: ペトル・ピトハルト |
第7代:1992年 |
次代: (独立) |
| 議会 | ||
| 先代: ミロシュ・ゼマン |
第3代:1998年 - 2002年 |
次代: ルボミール・ザオラーレク |
| 党職 | ||
| 先代: (創設) |
市民民主党党首 初代:1991年 - 2002年 |
次代: ミレク・トポラーネク |