ワルター・ハーリヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワルター・ハーリヒ
人物情報
生誕 (1888-01-10) 1888年1月10日
ポーランドの旗 ポーランド モロング
死没 1931年12月14日(1931-12-14)(43歳)
ドイツの旗 ドイツ ブランデンブルク州ウーテノウ(Wuthenow)
出身校 [アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク
子供 ヴォルフガング・ハーリヒ(哲学者)
学問
研究分野 文学(ドイツ文学)
学位 博士
テンプレートを表示

ワルター・ハーリヒ(Walther Harich, 1888年1月30日 - 1931年12月14日)はドイツ文学研究者、小説家推理作家

経歴[編集]

1888年、モロングで版画店を営む父のもとに生まれる。兵役に就いた後、1909年から1914年までベルリンケーニヒスベルクフライブルクで哲学を学び、フライブルク大学E.T.A.ホフマンに関する論文を提出して博士号を取得した。第一次世界大戦に従軍。

1915年にチェンバロ奏者エータ・ハーリヒ=シュナイダーと結婚。1920年よりミュンヘンに住み、トーマス・マンと知り合い、またクラバンド(Klabund)などと交友した。

研究内容・業績[編集]

  • 研究者としては、E.T.A.ホフマンの研究者として知られる。
  • 文学研究の傍ら小説も執筆した。日本においては1934年"Dorette Lächelt"の翻訳が『妖女ドレッテ』の邦題で『新青年』に掲載され、江戸川乱歩らに高く評価された。

家族・親族[編集]

著作[編集]

邦題『妖女エディト』
邦題『妖女ドレッテ』(稲木勝彦訳, 『新青年』春季増刊号,1934年/東京創元社[世界推理小説全集],1959年)

参考文献[編集]

  • 江戸川乱歩「「ドレッテ」に就いて」(『新青年』春季増刊号,1934年)
  • 江戸川乱歩「ハアリヒの方向」(『新青年』10月号,1935年)
いずれも随筆集『蔵の中から』(講談社[江戸川乱歩推理文庫]61,1988年1月)収録。

脚注[編集]


外部リンク[編集]

関連項目[編集]