ワシーリー・カラファーティ

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ワシーリー・パヴロヴィチ・カラファーティ(またはカラファティとも、Василий Павлович Калафати, *1869年2月10日 イェフパトリヤクリミア半島) - †1942年5月20日 レニングラード)は、ロシア帝国末期およびソ連邦建国期の作曲家で音楽教師。作曲様式は恩師リムスキー=コルサコフに倣っており、音楽作品は未だにほとんど顧慮されてはいないが、それでも当時のロシアの重要な音楽教師であり、作曲家であった。

ペテルブルク音楽院ニコライ・リムスキー=コルサコフに師事。1907年から1923年まで母校で作曲音楽理論を指導した。個人教師としても活動しており、イーゴリ・ストラヴィンスキーヘイノ・エッレルらが門下にいる。作曲家としては次のような作品を残している。

  • 歌劇《ジプシー》(プーシキン原作)
  • 交響曲イ短調
  • 交響詩《伝説》(シューベルト生誕100周年記念国際作曲コンテストの提出作品)
  • 演奏会用序曲
  • 管弦楽のためのポロネーズ
  • 室内楽曲(複数)
  • ピアノ曲(複数。とりわけ一連のピアノ・ソナタ
  • 歌曲(複数)

レニングラード包囲戦の展開中に落命した。