ルイ・ギュスターヴ・リカール

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ルイ・ギュスターヴ・リカール
Louis Gustave Ricard
自画像
誕生日 1823年9月1日
出生地 フランス,マルセイユ
死没年 1873年1月23日
死没地 フランス,パリ
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ルイ・ギュスターヴ・リカール(Louis Gustave Ricard、1823年9月1日 - 1873年1月23日)はフランスの画家である。多くの肖像画を描いた。

略歴[編集]

マルセイユで生まれた。イタリア出身の家系とされ、昔の姓は"Ricoardi"と綴った。父親は成功した金融業者で、リカールはマルセイユ=地中海美術絵画学校(École supérieure d'art et de design Marseille-Méditerranée)で学ぶことができた。マルセイユのブロンゼ(Pierre Bronzet)という肖像画家から個人教授も受けた[1] 。1843年に父親に許されて、パリに出て、パリの国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学し、歴史画家のレオン・コニエに学び[2]、ルーブルで巨匠の模写をして修行し、ローマ賞に応募したが、受賞できなかった。

イタリア、オランダを旅して修行し、1850年にサロン・ド・パリに出展し、2等のメダルを受賞した。1852年には肖像画を出展し1等のメダルを受賞した。1855年のパリ万国博覧会の展覧会にも出展し、佳作となった。サロンに多くの肖像画の出展を続けたが、レジオンドヌール勲章などの受勲を逸することが続いたので、展覧会への出展をやめ、顧客の肖像画を描くことに重点を置いた。それでも、描かれる人物については容貌が気に入った人物に限って描いた。

独特な色使い、簡潔な構成で、友人の画家や著名人の肖像画を残した。リカールの作品はバイヨンヌのボナ美術館リヨン美術館マルセイユ美術館モンペリエの美術館に収蔵されている。

パリで心臓発作で急死した。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ André Alauzen and Laurent Noet; Dictionnaire des peintres et sculpteurs de Provence-Alpes-Côte d'Azur, Jeanne Laffitte, 2006 ISBN 978-2-86276-441-2
  2. ^ Notice, sur la base Cat'zArts.

外部リンク[編集]