モハマッド・アセフ・デラワル

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モハマッド・アセフ・デラワル(محمد آصف دلاور、Mohammad Asef Delawar[1]1949年 - )は、アフガニスタンの軍人。上級大将。元アフガニスタン軍参謀総長。

経歴[編集]

アフガニスタン人民民主党、パルチャム派。

1992年4月、首都カーブルアフマド・シャー・マスードの部隊に無抵抗で引き渡した。この後も、参謀総長のポストを維持したため、以前からムジャーヒディーンと内通していたともされる。

1992年9月29日、爆弾による暗殺未遂により負傷し、間もなく、イギリスに移住した。

1990年代中盤、帰国し、マスードの元で働いた。2000年春、マスードにより北部同盟の臨時司令官に任命され、カブール地区でターリバーンと戦った。

ハーミド・カルザイ政権でも、2003年9月20日まで参謀総長を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ Chronology of Events in Afghanistan, April 2002*”. UNHCR. 2012年12月1日閲覧。
先代
?
アフガニスタン軍参謀総長
? - 2003年
次代
ビスミッラー・ハーン・モハンマディ