メイ・マレー

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メイ・マレー
Mae Murray
メイ・マレーMae Murray
本名 Marie Adrienne Koening
生年月日 1889年5月10日
没年月日 1965年3月23日(満75歳没)
出生地 ヴァージニア州ポーツマス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者 ロバート・Z・レナード(1918-1925)

メイ・マレーMae Murray1889年5月10日 - 1965年3月23日)は、アメリカ合衆国サイレント映画女優ヴァージニア州ポーツマス出身。ダンスの名手として人気を誇った。

生涯[編集]

本名はマリー・アドリエンヌ・コーニング(Marie Adrienne Koening)といい、ベルギー移民の家庭で生まれた。1906年からダンサーとしてブロードウェイの舞台に立った。1908年からレヴューを見せるジーグフェルド・フォリーズに加わった。

クラブのダンサーとしてアメリカ国内やヨーロッパをまわり、踊りの相方にはクリフトン・ウェッブルドルフ・ヴァレンティノジョン・ギルバートらが知られる。

1916年に映画デビュー。映画監督ロバート・Z・レナードと1918年に結婚、MGMのスターとなる。1920年代が人気の絶頂期で、トーキーの時代に入ると声が映画向きでないこと、30歳を過ぎても娘役ばかりやりたがることなどが災いし、人気が急落していった。

引退後は、それまで大スターとして生活したため金銭感覚が全くなく、すぐに貧窮した。晩年には老化も手伝い、メイ・マレーという名前でツケがきくと思いこみ、無銭乗車をしてバスからたたき出されたりしていた。この奇行が、ビリー・ワイルダーが映画『サンセット大通り』で描いた元大女優ノーマ・デズモンドのキャラクターの元であるといわれている。

主な映画出演作品[編集]

  • 『モルモンの少女』 A Mormon Maid (1917年)
  • 『咲く花散る花』 The Twin Pawns (1919年)
  • 『黎明』 The Delicious Little Devil (1919年)
  • 『踊り狂ひて』 On with the Dance (1920年)
  • 『愛する権利』 The Right to Love (1920年)
  • 『泥人形』 Idols of Clay (1920年)
  • 『孔雀の路』 Peacock Alley (1922年)
  • 『女の魅力』 Fascination (1922年)
  • 『フランス人形』 The French Doll (1923年)
  • 『舞踏王国』 Jazzmania (1923年)
  • 『夜半の狂魂』 Mademoiselle Midnight (1924年)
  • 『メリー・ウィドウ』 The Merry Widow (1925年)
  • 『ヴァレンシア』 Valencia (1926年)