ミラン・シュテファーニク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミラン・シュテファーニク

ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(Milan Rastislav Štefánik、1880年7月21日-1919年5月4日)は、スロバキアの軍人、政治家、天文学者。第一次世界大戦中にトマーシュ・マサリクエドヴァルド・ベネシュとともにチェコスロバキアの独立運動を率いた中心的人物。

オーストリア・ハンガリー帝国領内(現在のスロバキア北西部)のコシャリスカーで生まれる。1900年に入学したカレル大学では、哲学の講義でトマーシュ・マサリクと知遇を得て、チェコ人とスロバキア人が協力する重要性を強く認識するようになった。カレル大学では、哲学のほか、物理学や天文学について知識を深めた。1904年にパリに移り、ピエール・ジャンサンに才能を見出され、パリ天文台に職を得る。主に太陽(とくにコロナ)の観測・研究に従事した。1912年フランス市民権を取得。

第一次世界大戦が始まると、フランス軍のパイロットとして参加するとともに、パリを拠点にマサリクやベネシュとともにチェコスロバキア国民委員会を設立して、独立に向けた外交活動を展開した。またチェコスロバキア軍団を組織し、その指導に当たった。このような外交努力によって、協商国側からチェコスロバキアの独立に対する支持を取り付けることに成功した。

1919年、イタリアからスロバキアへ飛行機で帰国する途中、墜落事故のため死去。

1994年から2009年ユーロ導入までスロバキアで流通していた5000コルナ紙幣に肖像が使用されていた。