マラート・タジン

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Kazakh FM Marat Tazhin.jpg

マラート・タジンМарат Мұханбетқазыұлы Тәжин, 1960年4月8日 - )は、カザフスタン共和国の政治家。安全保障会議書記。国家保安委員会議長、外務相を歴任。

経歴[編集]

1981年~1983年、カザフ・ソビエト社会主義共和国科学アカデミー生産力研究会議経済技師。1983年~1987年、カザフ国立大学の大学院生、講師。1987年~1988年、ロンドン大学研究生。1988年~1991年、カザフ国立大学の先任講師、助教授。1991年~1992年、カザフ国立大学附属社会科学講師特技向上研究所講座主任。

1992年~1993年、ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の親戚であるアルティンベク・サルセンバエフに招請されて、大統領府・内閣内政課第一副主任となる。1993年1月~6月、サルセンバエフの出版問題・情報相就任に伴い、大統領府・内閣内政課主任となる。

1993年6月、情報分析センターの創設を発議し、大統領府副長官/情報分析センター長となる。1994年10月、国家顧問/情報分析センター長。1995年10月、大統領府副長官/分析・戦略研究センター(情報分析センターを改称)長。

1999年2月、国家安全保障担当大統領補佐官/安全保障会議書記。2001年5月4日、国家保安委員会議長に任命。同年12月、国家安全保障担当大統領補佐官/安全保障会議書記。2002年8月、大統領府第一副長官。2004年3月、大統領府第一副長官/内政局長。2006年4月、国家安全保障担当大統領補佐官/安全保障会議書記。

2007年1月11日~2009年9月4日、外務相。2009年9月4日、大統領補佐官/安全保障会議書記。

パーソナル[編集]

アクチュビンスク(アクトベ)市出身。小ジュズ出身。父のムハンベトカズイ・タジン(1933年 - 1991年)は、教授、歴史科学準博士、党グリエフ州委員会イデオロギー担当書記、アルマ・アタ高等党学校助教授、カザフ体育大学ソ連共産党史講座主任、共和国団体「知識」副総裁だった。

妻帯、1女を有する。軍務経験はない。英語を自由に話す。1996年からカザフスタン・マネージメント・経済・予測研究所/国立高等国家統制学校の監督官会議議長。社会・政治雑誌「意思」、「カザフスタン-スペクトル」、「サヤサト」の編集員。2002年5月から社会学者協会総裁。2008年4月からテュルク語諸国社会学者連盟副総裁。

1991年までソ連共産党員。1993年~1995年、政治連盟会議「カザフスタンの人民統一」副議長(親大統領派、1999年に解散)、1995年~1999年、カザフスタン民主党中央委員会委員(親大統領派、1999年に解散)。

1981年、経済学専攻でアルマ・アタ人民経済大学を卒業。哲学科学準博士(1985年)、社会科学博士(1990年)、教授(1993年)。カザフスタン共和国社会科学アカデミー会員(1995年)、ロシア社会科学アカデミー会員(1997年)、カザフスタン共和国政治科学アカデミー会員(1997年)。

1998年6月、ナザルバエフ大統領の長女ダリガのロシア国務アカデミー博士論文審査の際の審査官の1人。

「クルメト」勲章を受章。カザフスタン共和国名誉国家保安機関職員。

著書[編集]

  • 「ソ連における地域研究」(ロンドン、1988年)
  • 「ソ連における都市住民の非生産的活動」(ハーグ、1989年)
  • 「人、都市、地域」(アルマ・アタ、「カザフスタン」、1990年)
  • 「地域社会学、教材」(アルマトイ、「アタムーラ」、1993年。M.タジンベトフと共著)
先代:
カザフスタンの旗 国家保安委員会議長
2001年
次代:
ヌルタイ・ドゥトバエフ
先代:
カシムジョマルト・トカエフ
カザフスタンの旗 外務相
2007年 - 2009年
次代:
カナート・サウダバエフ