ヘンリ・フリッツクロフト

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ヘンリ・フリットクロフト (Henry Flitcroft, 1697年8月30日 - 1769年2月25日) はイングランド建築家パラーディオ主義に属する建築家の第二世代にあたる。

父はハンプトン・コートで働く庭師であった。フリッツクロフトは指物師や大工として働いていたが、ある日バーリントン・ハウスで足場から落下し、骨を折ってしまった。これが機になって第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルが彼の作図の才能に気付き、1720年にフリットクロフトはバーリントン付きの製図者および建築補佐となった。ウェストミンスター・スクールにおけるバーリントンの寮の下調べをおこない、トッテンハム・ハウスの指揮を担当した。パラーディオ主義を主導するサークルでの付き合いがなによりの教育代わりとなった。

フリットクロフトは1727年にウィリアム・ケントにより出版された『イニゴー・ジョーンズ建築図集』(The Designs of Mr. Inigo Jones) における図面をバーリントン卿の援助と指導下で引き直している。1726年5月にはバーリントン卿の推薦で王室営繕局に務めることになった。主任大工 (master carpenter) や主任石工 (master meison) に昇進しそこから建築分野における高地位についた。しかし王室に関する仕事が与えられることはなく、カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスウィンザー・グレート・パークなどにとどまっている。

ロンドンのウエスト・エンドにおける都市設計および複数のカントリー・ハウスの設計に携わり1769年に死去した。

建築、改築に関与した建築物[編集]