ウォバーン・アビー

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1816年時点での間取り 図面の上は東向き
A:本邸。東翼および北西、北東部分は荒廃してしまった。 B:厩舎とサーヴィス・ブロック。現在はウォバーン・アンティーク・センターとして利用されている。 C:馬術練習所とテニス・コート。荒廃した。 D:南に位置する長方形の建物は彫刻作品のギャラリー。現存する。1816年の時点では玄関は邸宅の東に設けられていた。荒廃後には西正面のホールが玄関に改造された。
アベイの西正面
アベイの東サイド
元中庭を向いている。

ウォバーン・アベイ (Woburn Abbey) はイングランドベッドフォードシャー州ウォバーン付近に存在するベッドフォード公爵の邸宅、カントリー・ハウス

ヘンリー8世から公爵家に与えられた不動産に起源を発し、18世紀に第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルによって大規模な改修をうけた。バーリントン卿の弟子にあたるヘンリ・フリッツクロフトヘンリ・ホランドの設計によって工事は進められたが、第二次世界大戦後に発見された建物内部の乾燥腐敗とメンテナンス不足によって建物は大きな損傷を受けた。1953年に第12代ベッドフォード公爵ウィリアム・サックヴィル・ラッセルが死去した時点では、本邸部分の半分ほどが荒廃してしまっていた。

ウィリアム・サックヴィル・ラッセルの死後に第13代ベッドフォード公爵ジョン・ロバート・ラッセルにより1955年に初めて一般に公開された。サファリパークなどが併設された結果非常な人気を集め多くの観光客で賑わった。彼は2002年11月にアメリカ合衆国サンタフェで死去した。他の貴族からは格式の高い邸宅をテーマパークに堕落させたとして批判されていたジョン・ロバート・ラッセルはコメントを求められて、「私自身は諸氏による軽蔑を味わった記憶がないが、他人から見上げられるぐらいならば見下げられたほうがましだろう」と語っていた。

ジョン・ロバート・ラッセルは主にモンテカルロで生活していたため、その息子、一般にはタビストック侯爵として知られた第14代ベッドフォード公爵ロビン・ラッセルが妻のヘンリエッタ・チャークスとともに屋敷の管理を行っていた。

爵位を次いだ翌年6月にロビン・ラッセルは死去した。その息子の第15代ベッドフォード公爵アンドルー・イアン・ヘンリ・ラッセルが現在ウォバーン・アベイを所有している。

第7代ベッドフォード公爵の妻アンナ・マリアは19世紀イングランドにおいて午後の喫茶の習慣を始めた人物であるとされている。

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