プロジェクト‐ノート:フィクション/過去ログ2

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お知らせ用メッセージボックスについて[編集]

頭痛さん、正式運用化の作業ありがとうございます。

ところで、各プロジェクト文書の冒頭にしばしば掲示されるメッセージボックスについて、既存のテンプレートを使用した現在の方法では、複数のプロジェクトにまたがるお知らせを行う場合に関係しそうな各プロジェクトにメッセージを貼って回る必要があり、少々面倒であるように感じます。このプロジェクトで扱われる事柄は基本的に複数のプロジェクトにまたがる場合がほとんどになると思われますので、当文書のお知らせメッセージをそのまま他のプロジェクトで読み込んで表示するようにするのはどうでしょうか。

具体的には、各関連プロジェクトの冒頭にお知らせ用メッセージボックスを直に書き込む形にし([ 仮の書式例])、他の関連プロジェクト文書に相互に

{{プロジェクト:フィクション}}

のようにページ読み込み(トランスクルージョン)のマークアップを書き込み、同時更新でメッセージを表示するといった感じです(他ページで読み込んだ場合の表示見本↓)。

プロジェクト:フィクションからのお知らせ

報告プロジェクト:フィクションが正式運用となりました。(2012年9月13日 (木) 14:04 (UTC))

提案 ノートページに、プロジェクトページのお知らせ表示についての提案があります。(2012年9月13日 (木) 14:04 (UTC))

--ディー・エム会話2012年9月13日 (木) 14:07 (UTC)

たしかに他のプロジェクトにまたがる議題が多くなると思うのでお知らせが自動的に各プロジェクトのページに表示されるのは一案だとおもうのですが、よそのプロジェクトの冒頭にでかでかと掲げるのはちょっとためらわれる感じもします。またこちらでの追加が自動的に表示される形にしてしまうと、関連プロジェクトをウォッチしているが当プロジェクトはウォッチしていない場合に新規の議論追加にウォッチリストから気づくことができない、という欠点があるのでは。--頭痛会話2012年9月13日 (木) 21:42 (UTC)
しかし、手作業で書いて回るのは何とかできないでしょうか?--ディー・エム会話2012年9月15日 (土) 15:23 (UTC)
明確な下位カテゴリでない以上は、各プロジェクトにまたがる拘束力のあるルールを設定するとなれば多少の手間はしかたないかなと思っています。関連プロジェクトといっても「特撮」とか「ポケモン」のようなサブ・サブプロジェクトまでは必ずしも必要ないでしょうし。また基本的には記事の書式についてのルール設定などを想定していて、範囲が及ぶといってももともと特定の分野に限られないメディアミックス作品の記事やカテゴリの使用などに関しては告知はいらないかなと考えています。--頭痛会話2012年9月15日 (土) 22:59 (UTC)
了解です。他の方からも特に異論がなければ、とりあえずその運用方法でお願いします。--ディー・エム会話2012年9月16日 (日) 13:06 (UTC)

プロジェクト:フィクションの正式発足を受けて[編集]

プロジェクト:フィクションが正式発足となったことを受け、下記関連プロジェクトへの加筆を提案しています。ご意見等は各ページに頂けると幸いです。

--ディー・エム会話2012年9月15日 (土) 15:23 (UTC)

報告 各プロジェクト文書にプロジェクト:フィクションの案内を加筆しました。--ディー・エム会話2012年9月26日 (水) 14:34 (UTC)

プロジェクト‐ノート:フィクション/過去ログ2/テンプレート導入提案

著名人の反応などの書き方について[編集]

現行の作品や最近の作品の記事の場合、作品の人気や反響を示すために芸能人や作家といった著名人の反応が書かれることがあるのですが、そういった記述は加筆されていく内に目的が摩り替って、作品に対して著名人からどんな反応があったのかをまとめるだけの雑多な内容の箇条書きになってしまいがちです。それで、そういった記述を整理しようにも基準となるものがウィキペディアは何ではないかくらいなので、WP:BLP#評論家の意見のようにこのジャンルにも指針となるものがあった方が良いのではないかと思うので議論を立ち上げます。

それでまず、例として魔法少女まどか☆マギカ#著名人の反応を見て貰いたいのですが、作品に対して著名人が何らかの反応や出来事があったという共通点だけで節に加筆されていくため、関連性の低い事項のまとめとなり肥大化しています。内容も大半は専門性に欠ける感想や雑誌の特集などで求められて答えたコメント、誰がファンであるといったもので占められており、事典的側面からみてあまり必要性を感じません。それでノートの方で専門性のあるものを残して整理しようと議論があったのですが、単純な感想のような場合はなにをもって専門的とするかの判断が難しいように思います。例えばストーリーに関する話題であれば、小説家や脚本家に専門性があるとみなしてよいと思いますが、誰でも言えるような感想の場合は発言者の肩書が違おうとも発言の専門性に差はないのではないかと思います。それで少し別の話になりますがPJ:CVG#記述上の注意を見ると補足説明があれば「クソゲーである」と書いても良いことになっていて、実際にそういう記事を見かけたこともあるのですが、「クソゲー」のような表現を態々事典で使う必要があるか疑問です。ウィキペディアは中立的なので低評価だったことを隠す必要はないでしょうが、「クソゲー」と言われたことを一々紹介する必要があるかは疑問を感じます。それは「この作品は凄い」などの陳腐な賛美にしても同様で、コメントを紹介する必要があるのはなにかの賞を取った際の授賞理由だとか、権威のある書籍による総評くらいではないかと個人的には思います。

話を戻すと、著名人の反応のような節は確実にトリビアセクションになるので避けた方が良いと思います。芸能人や政治家が作品に反応して話題になるというような場合もあるとは思いますが、それなら出来事として記事中で扱えば良いのであって評価として組み込む必要はないですよね。なので第三者の意見を扱う際の指針となるものをプロジェクトなりで示した方が良いと思います。--半保護用会話2012年11月23日 (金) 10:56 (UTC)

魔法少女まどか☆マギカ#著名人の反応を見る限りでは書き方の問題であるように思われます。誰はこう言った、誰はこうコメントした、みたいな羅列的な書き方をしているから雑多な情報まで許容してしまうので、社会的影響の説明として流れのある文章で著名人の反応を大雑把にまとめたものであればうまく記事構成のなかに収まるのではないでしょうか。専門外の人物であっても社会的影響力の強い人物の反応を記すことは作品の理解に役立つと思います。
一人一人のコメントを引用するのは明らかに過剰でしょう。誰がDVDを買った程度の情報もトリヴィアルなので除去すべきです。--頭痛会話2012年11月25日 (日) 00:05 (UTC)
コメント 私も社会的反響や業界的反応を文脈を持った文章として載せることには肯定的なのでが、「著名人の反応」「ファンの著名人」のような節が作られるとどうしても著名人の言動をまとめるのが目的化してしまいがちなので、コメントの紹介を目的とした節は基本的に不要と明言した方が良いのではないかと思います。魔法少女まどか☆マギカに限った話をすると、ブログやツイッター・ラジオでの発言などの査読を経ていない情報源や、製作側が出版した同人誌といった独立していない情報源への寄稿が出典として用いられており、作品の評価を書く際の出典の選定も含めて指針があった方が良いと思います。--半保護用会話2012年11月25日 (日) 02:33 (UTC)
さしあたりの方向性としては「ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言の羅列は不要です」、と断言しておいて構わないでしょう。こうしておいても評論家・専門家による批評その他、および一国の宰相クラスの動向や社会的な動勢などは「ただの著名人やただファンによる雑多な感想や動向・発言の羅列」ではないので、必要とあらば誰でも本文に組み込むことができます。その状態の上で、BLPの方からうまく拝借できれば・・・。--Hman会話2012年11月25日 (日) 05:55 (UTC)

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────では、ここまでの意見を参考に当プロジェクトに載せる文案を作ってみます。

フィクション関連の記事において、主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報は記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言されているべきです。しかし、掲載すべきは専門家たちの共通見解でありだれかの個人的見解ではありません。少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。また、ただの著名人やファンによる雑多な感想や動向・発言の羅列は不要です。

主題に対する評価を掲載するには信頼できる情報源による確かな出典が必要であり、主題についてのものでなければいけません。

WP:BLP#評論家の意見に少し手を加えただけではありますが、こんな感じでしょうか?--半保護用会話) 2012年11月25日 (日) 09:17 (UTC)(追記)この他に、著作権に配慮して発言を丸ごと引用しない等の説明も有った方が良いでしょうか?--半保護用会話2012年11月25日 (日) 10:14 (UTC)

コメント 「掲載すべきは専門家たちの共通見解」ですが、WP:NOTESSAYにも無い記述で基準がわかりにくいと思いますし、「両論併記」や「中立性」を損なう虞れのある文面のようにも見えますので、削った方が良いと思います。--ジャムリン会話2012年11月25日 (日) 18:21 (UTC)
コメント いや、そこの文面はWP:NOTESSAYからのコピーですよ。直後の「少数派の意見が~」が似たような意味合いなので削って構わないとは思いますけど。--半保護用会話2012年11月26日 (月) 10:35 (UTC)
コメント 失礼「WP:BLP#評論家の意見」にはない部分の間違いでした。WP:NOTESSAYからの記述ですが、執筆利用者個人の感想や意見に対する注意であり、文脈が違う箇所からの合成になってしまいますので、反対します。Hmanさんのご意見にもありますように、少数派としての意見でも影響や反響としては大きい場合もあるので、難しいですね。--ジャムリン会話2012年11月26日 (月) 10:57 (UTC)
コメント 一応確認しておきますが、「少数派の意見が~」以後の文面は残すということでよろしいのですよね?--半保護用会話2012年11月26日 (月) 11:49 (UTC)
コメント 細かいところを詰める段階になって参りましたね。半保護用さんのご尽力に感謝申し上げます。さて、ことこのジャンルにおいては、「著作権に配慮」も明記しておいた方が良いでしょう(発言が転記しまくられた結果、エヴァの記事で削除依頼が出てしまっております)。・・・でまあ、当たり前ですが、「共通見解しか書いてはいけない」訳ではないわけです。「共通見解を基調としながら、いくらかの強力な権威による論評も適宜紹介する」のが、在るべきかたちだと思うんですよ。となるとこの辺りの文案は、「掲載すべきは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価であるべきです。ただし強力な権威を持つ専門家による正式かつ系統立った談話や論評は、中立性とバランスに慎重に配慮して紹介する価値があるかもしれません。」的な方向性も、一案です。--Hman会話2012年11月26日 (月) 12:16 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。「だれかの個人的見解ではありません」に問題があると考えます。
第1に、これに「WP:NOTESSAY」をリンクさせるのは間違いです。「WP:NOTESSAY」が禁止しているのは「あなた個人の感想」であり、第三者により公開された感想ではありません。
第2に、「個人的」の意味合いが明確ではなく、特に、ガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源」から問題のある解釈が可能なことです。このガイドラインは、「合作していない」「評価するに当たっては彼ら自身の判断を使っている」「企業や組織のウェブサイトを情報源として使う際には注意すべきです」など、むしろ「個人的」と表現可能な資料に高い優先度を置いています。そのため、「だれかの個人的見解ではありません」はこれらに否定的な解釈、たとえば「企業や組織を代表した見解が好ましい」などとも解釈可能です。そのようなことがないよう、表現を明確化べきです。--Greeneyes会話2012年11月26日 (月) 13:08 (UTC)

再度纏めますとこんな感じでしょうか

フィクション関連の記事において、主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報は記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言されているべきです。

少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です。権威ある専門家によるユニークな分析や、社会的影響力のある人物の反応はそうわかるように記述し、その見解が広く普及しているかのような書き方は避けてください。またウィキペディアは事典ですので、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません。

主題に対する評価を掲載するには信頼できる情報源による確かな出典が必要であり、主題についてのものでなければいけません。また、著作権への配慮から評論家の発言を丸写しで載せるようなことは避け、うまく記事中の文章に収まるように要約するように心掛けてください。

--半保護用会話2012年11月27日 (火) 10:37 (UTC)

 結局、別節の文章合成部分は残すのですか?その部分も合わせてのことですが、お尋ねの少数派~の下りは、元文からしてそうなので仕方がないのでしょうが、例えば大勢見解や意見の記述が量的内容的に貧弱であった場合、少数派見解の加筆の制約になってしまうことにもなりかねない気がします。量的注意ではなく、少数派意見であることの明記で良いのではないでしょうか。--ジャムリン会話2012年11月30日 (金) 16:10 (UTC)
少数派・多数派のくだりについては、直接的な関係はありませんが、WPの基本的な方針であるWikipedia:中立的な観点を参考にするとよいかもしれません。曰く、「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。」です。大多数の意見は大多数の意見と、一部権威のある専門家によるユニークな指摘はそうであると、明確にわかる様に書くと言うことです。原文を尊重することは目的ではないのですから、この際原文にはあまりこだわらず

フィクション関連の記事において、主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報は記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言されているべきです。どの様な場合でも、優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です。権威ある専門家によるユニークな分析や、社会的影響力のある人物や一部の少数派の反応を紹介する価値のある場合もありますが、その場合はその見解が広く普及しているかのような誤解を与える様な書き方は避けてください。

またウィキペディアは事典ですので、たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません。

主題に対する評価を掲載するには信頼できる情報源による確かな出典が必要であり、主題についてのものでなければいけません。また、著作権への配慮から評論家の発言を丸写しで載せるようなことは避け、うまく記事中の文章に収まるように要約するように心掛けてください。

くらいでもよろしいでしょう。ジャムリンさんも案がありましたら、どんどんやってみては如何ですか。どこかで、「これだ!」と言うものが、見付かるかもしれません。--Hman会話2012年11月30日 (金) 16:39 (UTC)
その部分はHmanさんの仰る通りWP:WEIGHTに基づいているものだと思うので、中立性への懸念を述べられているジャムソンの意に反するものではないかと考えます。--半保護用会話2012年12月1日 (土) 05:46 (UTC)
Hmanさんによる改正後の文案は、より的確であると思います。他に下の節で述べられていることと関連して、フィクションの下位プロジェクトでの諸注意への案内文を組み込むわけにはいかないものでしょうか。--ジャムリン会話2012年12月1日 (土) 06:20 (UTC)
報告 著名人や批評家の反応に関してはHmanさんの文案で問題ないようなのでプロジェクトページの方へ反映しました。下位プロジェクトへの案内文というのがどういうものか私にはわからないので、提案があるのならまた別の方にお願いします。--半保護用会話2012年12月8日 (土) 02:17 (UTC)
更新お疲れさまです。細かいアラはいくらでもあるのでしょうが、苦情が出れば順次汲み上げて参りましょう。また下位プロジェクトに関しましては・・・各々が参加しているPJがあるのであれば、各々で・・・で構わないと思いますよ。暫く試験運用の意味もありますし、あまり最初から大規模に行わずとも。--Hman会話2012年12月8日 (土) 06:31 (UTC)
了解しました。ではここでの議論は終了して、新たな提案がある場合はまた別節か別ページということにしたいと思います。お疲れ様でした。--半保護用会話2012年12月8日 (土) 07:09 (UTC)

ネット上の意見を紹介するニュースサイトを出典とすることについて[編集]

こんにちは。半保護用様他意見を書かれた皆様にお聞きしたいのですが、インターネット上の反応と言って2ch、Twitterなどのカキコを紹介しているだけのニュースサイト記事を出典として加筆することについての是非について皆様どう思われますでしょうか?著名人の反応と同時に指針を定めたほうがいいと考えます。個人的にはそのような「匿名の反応・意見」は著名人の反応以上に記事には不要と感じます。それとも信頼性に乏しかろうとも匿名の意見こそニュースサイトが記事にした場合積極的に加筆するべきなのでしょうか?多くのフィクション作品記事で「ネット上で〜」って記述が常態化していて気になっているので書き込みをした次第です。皆様を不快にさせる記述がありましたら申し訳ございません。--125.194.231.223 2012年11月29日 (木) 05:31 (UTC)
まず2ちゃんねるまとめサイト。これは論外です。個人運営の、見た目がニュースサイトっぽく見えるだけのもの。これも論外です。恐らく、議論の余地は無いでしょう。ウィキペディアの基本的なルールである、信頼性と権威のある中立的な情報源とは全く見なせません。そして・・・そうですね、「ガジェット通信」や「ロケットニュース」など。これはどうでしょうかとなりますと、実はまだ結論が出ていません。ハードコアな記事を書く利用者は私を含めこれを出典として使おうなどとは全く考えませんが、サブカル記事を多く書く方はどんどんこれを採用なされるのが実情です。これに関しましてはプロジェクト‐ノート:フィクションではなく、井戸端やWikipedia‐ノート:信頼できる情報源などで取り扱う問題でしょうから、今回はさておくとしましても、「強力な権威と信頼性がある」と見なせないのは確かでしょう(私はネットニュースとその他のニュース媒体は、はっきり分けて考えるべきと言うスタンスです)。ですが、これがですね、三大誌やNHKで、コラムが掲載され、複数回、紹介されていたとしたらどうでしょう。これは、ウィキペディアに盛り込む価値のある情報と見なされることもあるでしょう。その他、一般の雑誌ででも、同様の事例が複数回、別の雑誌で紹介されていれば、同じことです。すなわち、「匿名の反応・意見」だからと言って、頭から排斥されるものではありません。「匿名の反応・意見」が、上記の如き特殊な状況下に担保されることにより、特記性を持つこともあり得るわけです。・・・昔、ドラゴンクエストIII_そして伝説へ…と言う大人気ゲームソフトの、恐喝(カツアゲ)、強盗事件が多発しました。一つ一つは取るに足らない少年犯罪です。ですが、多くの信頼できるメディアが連日報道することにより、これは一つの事件として定着しました。取るに足らない「匿名の反応・意見」も、多くの信頼できるメディアが連日報道するのであれば、盛り込むべきでしょう。また、その様な状況でなければ原則的に盛り込まないとするべきでしょう。--Hman会話2012年11月29日 (木) 05:59 (UTC)
Hman様ありがとうございます。確かに「匿名の意見」を大手新聞やNHKなどが権威ある著名人による分析など掘り下げている記事に掲載したのなら良い出典ということで加筆に文句は言い難くなります(それでも記事自体の内容によりますし「特記に値するのか」という問題が出てきますが)。繰り返す形で大変申し訳無いのですが、私が「2ch、Twitterなどのカキコを紹介しているだけのニュースサイト記事」に関する是非をこの場で書いた理由はWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源などをかざした上で無限にある分野の中で特にアニメ・漫画などのフィクション記事(確かに時事ネタ記事でも同様ですが)でそのようなニュース記事を出典にした雑多な加筆することが常態化していると感じていることと、今回の議論で「著名人の反応」に制限が課されると「じゃあ2chなどの反応を、書き込みをコピペしただけの形で報じているニュースサイト記事なら問題無いんだ」と曲解される方が出そうと恐れているためです。ガジェット、ロケットと並んで使用に疑問を感じるジェイ・キャストというニュースサイトでもそのジェイ・キャスト#炎上メディア問題にて書かれている創設者が自著に書いた主張を読む限り報道スタンスからしてウィキペディアと相容れないものではないかと個人的に考えてしまいます。私自身はHman様が示されています「多くの信頼できるメディアが連日報道する」という条件には納得できますが、残念ながら先述の方針を理由に納得しないユーザーも多いだろうなと感じます。--125.194.231.223 2012年11月29日 (木) 08:47 (UTC)
そもそも論で申し上げれば、題材について専門家でも全く無い芸能人・アイドル・芸人・モデル・のtwitter/facebook/blog、その上ネットの名無しさんによる感想など、(先述の様な特殊な事情が無い限り)全く不要です。これはこの場で、かなり強い合意に近づいているものであるはずです。取り敢えず、ここで合意に至れば、結構。あとは、状態化している記事のノートで、自重や除去を提案してください。ガジェット・ロケット・ジェイキャスト関係なく取り扱えます。そして、いずれは、これらは信頼できる情報源とは見なし難いと言うことを、誰にでも分かる様に、いずこかに・・・恐らくはWikipedia:信頼できる情報源に明記すべきであると、考えています(・・・と申しますと「お前がやれ」と言われそうですが、現在既に複数の方針改定案件を抱えており、キャパシティーがぎりぎりでなかなかこれが・・・)。--Hman会話2012年11月29日 (木) 09:00 (UTC)
IP(埼玉/BIGLOBE)さんのおっしゃる加筆の範疇は、サブカル系の記事への削除依頼等で、ご指摘の出典を元に特筆性ありとして存続終了、または存続主張することも含まれているのでしょうか?ただHmanさんの例としてあげられた事件の定着というのは、ここでいうところの「作品」と言ったことになるかと思うので、作品への分析や反応となると、さらにその事件の分析や反応ということで、連日報道されようが内容としては別個々に違うことにもなるかと思います。Hmanさんのご指摘のように、専門家ではないが著名人の一々の感想の取捨の妥当性と、一応一般やファンの反応として吸い上げた形にはしている記事の発信元の情報源としての適不適はまた別問題になるでしょう。--ジャムリン会話2012年11月29日 (木) 09:27 (UTC)
別の話題なので節を分けさせて貰いました。それで出典元についてですが、ゴシップをメインで扱っているようなサイトは使わない方が良いと思います。サブカル系の記事の場合は、そういったものに当たらないと作品に対する反響が書けないという状況もあるとは思いますが、書くにしても「○○に対して反響が大きかった」程度で十分であり、匿名の意見を紹介するような記述は不要かと思います。--半保護用会話2012年11月30日 (金) 10:48 (UTC)
○○に対して「どのように」匿名の集合としての大衆に反響があった状況かを記述することは有為な場合もあると思われますが、埼玉/BIGLOBEIPさんのおっしゃっていることは、個々の意見の取捨基準でなく、出典元の有効無効についてのように思われますし、匿名個々の感想意見については出典の如何によらず、元より問題外でしょう。例外としては、匿名意見や感想によって、大きな反響や事態を引き起こすことになってしまった場合くらいかと思います。--ジャムリン会話2012年11月30日 (金) 11:23 (UTC)
あの、出来れば上の節にも返答を頂きたいのですが--半保護用会話2012年11月30日 (金) 14:51 (UTC)
私の意見に対しては、説明もなく、考慮されていない文案についてですが、お尋ねの部分について回答いたしました。--ジャムリン会話2012年11月30日 (金) 16:10 (UTC)

過ぎた感がありますし本当はこんなことを書きたくはないんですがさくら荘のペットな彼女もどうなんでしょう?いつものJ-CAST、ライブドアニュース(韓国メディアなので違和感を感じます)のコンボです。中日新聞も連載コーナー記事で扱いが大きいとは思えません。ノートで言っても雰囲気を見て、祭りとして報道されたんだし一応製作者側がコメントしたから問題ないと一蹴されるんでしょうけど2ch、twitterのようなネットで言われたことは出典がある限り問答無用でウィキペディアに書けるという風潮は本当にどうなんでしょう?--122.134.196.224 2013年1月24日 (木) 10:39 (UTC)

まず書く場所が違うように感じたので、勝手ながら節を移動させて頂きました。それで質問への返答ですが、将来的にほとぼりが冷めた頃には不要な記述だと思います。ただ、そもそもの話として、その記事には他に二次資料が出典としてありません。上でも言われていますが、出典の精度の話をし出すと二次資料も碌にないまま記事を立てる風潮はどうなのかという話になりますので、プロジェクトレベルで扱える話ではないように思います。--半保護用会話) 2013年1月24日 (木) 11:24 (UTC)(追記)あとその記述に関連した話として、原作からの些細な変更点を取り扱うのはどうなのかという議論もWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (フィクション関連)であったのですが、特に話は進んでいません。--半保護用会話2013年1月24日 (木) 11:35 (UTC)
ありがとうございます。「騒動になった」など出典があるといってもウィキペディアとしてどうよ?と感じた次第です。さらに出典の精度がどうかに関してはWP:V#NRのような方針がある限り不問とされる雰囲気を感じます。不可能と考えざるを得ませんが「ネット上で言われた」って記述のみを伴う速報的な匿名の反応はニュースサイトの報道があってもウィキペディアでは禁止に限りなく近い自粛ができないものかと本当に嘆いています。テレビでの放送やソフト販売スケジュールに影響があったレベル(正式に告知した上で差し替えたでもいいですが)でないと特記に値しないと本当に思います。--122.134.196.224 2013年1月24日 (木) 11:41 (UTC)

雑多な箇条書きではない著名人の反応について[編集]

この議論を経てプロジェクトに追加された内容の解釈を巡って、「ノート:けいおん!」で議論が起こっています。まあ問題になっているのは芸能人の些細なツイートで、謎本で紹介されたほかは、ロケットニュース、J-CAST、やじうまwatch、ASCII.jpなど、権威ではないが複数のニュースサイトで取り上げられた、というたいへんに微妙な扱いであるのですが。そもそも私は議論の当事者でありあまり中立的な立場ではないので、その件についてさておくことにします。

で、ちょっと確認したいのですが、このノートでの議論は、記事に芸能人の反応などを書く場合に「雑多な内容の箇条書き」にならないようにと警告するのが趣旨であったと理解しています。「魔法少女まどか☆マギカ」の問題点などはそうですよね? しかし、仮によく知られた権威のある専門家の意見ばかりを集めて記事を作ったとしても、軸の定まらない雑多な列挙という形をとれば、結局はトリビアの山となり果てます。逆に言えば、雑多な内容の箇条書きにならないように注意を払い、百科事典的な主題に関する一例として本文に組み込むような形であれば、これらは社会的な反響の一端として書くべき内容になり得ると理解しているのですが、どうも「ノート:けいおん!」を見ていると、どうも「芸能人の意見は批評家とは違うので何が何でも記事から排除すべき」という受け止め方をされているような気がしてなりません。仮にこれが、書き方によってはいくらでも百科事典的な内容になる社会的反響まで「専門家の意見ではないから排除」として除去されたり、批評家の肩書きを持たない人物(新聞記者やアニメ雑誌のライターなど)によって書かれた出典を片っ端から除去していくような事態になってしまうと、ちと如何なものかと思っています。

芸能人の意見が一切認められないことが意図なのであれば、プロジェクトの文章は「ウィキペディアは事典ですので、専門家の意見のみを書くべきです。たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、専門家ではないただの著名人やただのファンによる感想や動向・発言などといった内容は上記の例外であり、書くべきではありません」といった文章に修正すべきですし、雑多な内容のみを抑制するのであれば「ただし、このような内容はただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を羅列した雑多な箇条書きにならないよう、一連の流れを持った文書として書くべきです。たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、それらすべてを収集して列挙する必要はありません」といった記述にした方がよいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。--Kanohara会話2012年12月30日 (日) 18:18 (UTC)

コメント 記事がどうあるべきかってのをまず考えてみましょう。ちょっとした著名人や芸能人の些細なコメントが必要であるケースはほとんどありません。その場合、大抵一次資料から持ってきていると言う印象があります。まずここが間違いで、改めて申し上げるまでもなくウィキペディアでは二次資料を主に据えるべきなのです。大方、必要なのは著名人個人が何と言ったか。その著名人が誰なのか、そんなことではなく、「多くの著名人からも多くの人気を得た」と書いて置いて、1例か2例挙げればそれで終わるはずなんです。とは言え、専門家の編纂した二次資料で言及されているコメントであれば、ちょっとした著名人や芸能人のコメントの内容自体も、特記性がある程度担保されたと申せましょう。この場合の二次資料とは、ネットニュースで報道された程度のことを意味しません。ちゃんとした研究書的な意味の二次資料を想定してください。・・・さて、この程度の範囲内であれば多少の「書きすぎ」は許されて良いと思います。Wikipediaでしたら。もっともこれが許されている記事は、FAどころかGAにも及びも付かないかたちになるでしょうが、あれはFA/GAが特別なのであり、日本語版ウィキペディアのサブカルなどはそれが正常運行とも言えますしね。率直に申し上げれば、西川氏の絶叫は、信頼でき有用な百科事典には無くていいですが、今の日本語版ウィキペディアにはあってもいいと思います。あの程度で特記できるならいくらでも膨らませられそうですが、日本語版ウィキペディアでそこまで締めても仕方ない気がするんですよ。でまあ、5年か10年、この書きすぎの状態を甘受せねばならない。が、その5年か10年後にも、いや20年後かもしれませんが「2000年代のアニメブーム」的な、これを総括的に振り返る文献が出てきた時、ほとんどは無視されるんですよね。著名人・芸能人の発言なんて。些末ですから。で、それがはっきりした時、ばっさり整理される運命となるのでしょう。けど、その時まである程度は残っているのも、日本語版ウィキペディア的なんじゃないかなあと言う気もしないでもありません。
話は変わりまして。芸能人や著名人を無視した「専門家」については、現在は多少まとまりがなくても「ウィキペディアにはしめきりなんてない」と言う覚悟で、地道に力を合わせて改稿していくよりないのでは?--Hman会話2012年12月30日 (日) 19:12 (UTC)
コメント 基本的にはHmanさんと似たような意見なので細部には触れませんが、そもそも事典として重要なのは作品が世間にどのように受け止められたかというところであって、専門家や評論家の意見というのも本来はそういった解説の補足に過ぎない筈なんです。ただ、どうも書き易いからという理由でコメントの紹介が目的化してしまうことがあって、芸能人の言動まで書かれていくと本来の目的を見失うので、そこはある程度是正しようという文書だと捉えています。出典の制限にまでは踏み込んでいないかと思います。--半保護用会話2013年1月3日 (木) 04:28 (UTC)
コメント ううむ、意見や解釈は色々あると思うのですが、結局のところ「雑多な箇条書きが駄目」なのか、「専門家でない者の意見が駄目」なのか、どちらの方向で統一すべきなのでしょうか。「ただのファンによる雑多な感想や動向・発言」の掲載を不可とする記述は、その前の段落の「主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか」を明言すべきという内容や、「Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見」の内容と矛盾するようにも見えます。例えばある映画やテレビアニメがヒットして、ロケ地(聖地)に雑多な観光客が詰めかけ、ニュースやテレビ番組で紹介されたといった出来事は、私としてはフィクションの一般大衆に対する社会的反響と受け取りますが、中には「雑多なファンの動向」と受け取る人もいるかも知れず、そのような見解の違いがあった時に編集者はどう対応すれば良いのか、この文書は示していないと思えます。--Kanohara会話2013年1月3日 (木) 19:26 (UTC)
必要なのは共通見解であって個々人の動向ではないと読めば矛盾はしていないと思います。私としては「ただの雑多な感想」というのを「個人的な感想」として捉えていたので特に疑問は持たなかったのですが、確かに誤解を生む記述なのでここは手を加えた方が良いかもしれませんね。ダメなのは専門家の査読を経ずにファン一人一人の感想を書くことであって、二次資料を基にその時の大衆や業界の評価を書くことは推奨されます。また、観光地に経済効果があった場合は、その地域の動向として書けるので「ただのファンの動向」には当たらないと思います。逆にファンの個人的な行動の域を出ないものは特別な事情がない限り不要となるのではないでしょうか--半保護用会話2013年1月4日 (金) 06:31 (UTC)
Kanoharaのおっしゃる一般大衆に対する社会的反響は、それが重大なものであり鳥瞰的なものであれば、記述を行なうことは問題は無いですよ。多くの新聞・雑誌で(ネットニュースなどは無視してください)「けいおんではそのモデルとなった学校や地域に聖地巡礼が行なわれた」と紹介されていれば、そう書いてください。これは「多くの文献で紹介された重大な社会的影響の紹介」と解釈できます。ただし、細かく書く必要はありません。後世に伝えるべき事象であるかどうかを、全体のバランスを、考慮してください。特に何事も無いアニメについては細かい記述で「水増し」されることも許容されることもありますが、けいおんについてはむしろ必要な記述をできるだけ絞り、コンパクトに、読みやすく、重要で適切な情報をバランスよく配置、を心がけるべきです。ちょっと気を許すと人類が読めないサイズになりますよ。--Hman会話2013年1月4日 (金) 08:13 (UTC)

提案 それでなにが適切なのかを明確にするために問題の箇所の改訂案を考えてみました。

またウィキペディアは事典ですので、著名人やファンによる個人的な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません。その事象がネットニュースなどを除く多くの文献で紹介されており、主題の影響力を理解するために不可欠なものであれば簡潔に記載するのが適切です。

これなら分かり易いのではないでしょうか?--半保護用会話2013年1月5日 (土) 07:19 (UTC)

コメント その時期で最も話題性が高いテレビアニメ作品なら、ある事象が複数の新聞やアニメ雑誌で紹介される場合もあると思いますが、話題性に乏しい多くの作品ではあらゆる意味で二次資料を探すのが困難になると思います。私の場合、作品の概要に「おどろおどろしい作風」「のんびりとした日常の描写に主題が置かれている」「ショッキングな展開で視聴者を驚かした」のような記述を書く場合に、独自研究を避けるべく「まんたんウェブ」のようなネットニュースを出典としてよく利用していますが、そういった内容を「記者の個人的な感想」として封じられてしまうと、正直どうやって記事を書けばいいのか途方に暮れてしまいます。まあ、百科事典に有用なフィクションの記事など一握りで、アニメや漫画などの記事の大半は特筆性がないのだから当たり前だ、と言われればその通りですけれどね。
「けいおん!」のノートでの議論では、「著者と同業の作家や批評家といった専門家の意見は個人ブログを用いてでも書くべきだが、それ以外の事象については一切不要」という意見の方から「Kanoharaはこのガイドラインを読み直せ」的なことを言われてしまったのですが、専門家とそうでない人の線引きなどはどうなっているのでしょうか。また、ネットニュースが出典として無効であるというルールの根拠となっている方針やガイドラインなどを示して頂けると、参考になるのですが。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 18:15 (UTC)
はい、身も蓋もないですが、Kanoharaさんの書き込みの前半で、結論が出ていると思います。ですが無理矢理信頼性の低いネットニュースで記事を書いてしまう、という傾向があるのでJAWPのサブカルにはどうも信頼性が・・・という流れになっている感じですね。私としては話題性に乏しいものは話題性に乏しいなりの記事に収めておくしかないと思うのですが・・・。私はアニメは直接には書きませんが、色々な分野に手を出してはいるのです。ですが話題性が乏しく、信頼できる文献しかなく、諸元しか書けそうにない。これはもう、私の努力ではどうしようもありませんので、諸元しか書かない記事にしてしまうか、上梓を諦めてしまうでしょう。故に、HDDに何年も眠っている記事が何十もあります。恐らくこれらの記事はボツになるのでしょうが、掲載基準や品質を満たすだけのものにはなりそうにないのでやむを得ません。数年後に何らかの言及を行う文献が現れれば、日の目を見る事もあるでしょうが・・・。--Hman会話2013年1月8日 (火) 11:38 (UTC)
コメント 専門家については一括して線を引くと書けなくなる分野が出るので、そこは下部プロジェクトで決めた方が良いと思います。また、ネットニュースの部分は#ネット上の意見を紹介するニュースサイトを出典とすることについて節でのやり取りを経て追加されました。ネットニュースという表現だと曖昧なのでミドルメディアと言い換えるた方が通りがいいのかもしれません。--半保護用会話2013年1月8日 (火) 12:39 (UTC)
コメント 半保護用さんの文案について。末尾を「簡潔に記載する価値もあるかもしれません」「簡潔に記載すべき場合もあるかもしれません」「簡潔に記載してもよいかもしれません」などとした方が良いと思います。常に言える事ですが、文章を参照するのは分別のある大人ばかりとは限りませんので、若干保守的に記した方が、好ましいと思うからです。--Hman会話2013年1月8日 (火) 11:42 (UTC)
コメント ううむ、プロジェクトの方針によって「諸元しか書かない記事」になった記事を、片っ端から「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」に反した記事として削除していく……という運用は、プロジェクト:フィクションの前文にある「これら単なる提案であり……つまるところ、われわれはあなたに記事を書いて欲しいのです!」という一文と合致しないように思えますし、当然ながら現実的ではないでしょう。フィクションの記事に学術論文並みの水準を要求することで敷居を高くし、編集者を寄りつかないようにして記事の乱立に歯止めをかける、ということがこのウィキプロジェクトの目的だとするなら、「これらは強制力を持った方針として成立させることを目的としたものであり……つまるところ、われわれはあなたに書いて欲しくないのです!」といった文面を掲げる必要があるでしょうし、目下「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」などの改訂が必要ですが、記事を書きにくくして参入障壁を高くする方向は、「Wikipedia:保護の方針/仮運用」「Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集」などがうまく機能しなかった経緯などから、あまり有効ではないと感じています。ウィキプロジェクトの文章としては、学術的な水準の資料が期待できないフィクション記事を、どうしたら百科事典らしい記事にできるかをアドバイスする内容が適切のように思います。
さて、ルールの発端となった「魔法少女まどか☆マギカ」の記事は、雑多な内容の箇条書きであるからこそ問題になったわけですが、掲載基準を専門家であることにして一括した線引きをしたとしても、『新世紀エヴァンゲリオン』のように関連書籍が膨大な作品や、世界的に著名な『ハムレット』のような作品では、結局は専門家の意見の列挙だけでも「人類が読めないサイズ」に膨らませることが可能でます。結局、この線引きはあまり有効ではないというのが個人的な印章です。
百科事典の記事として成立しない、人類が読めない文章になってしまうことに対する歯止めを目的とした案内文として、個人的に意識している方針やガイドラインをまとめた改訂案をちょっと書いてみました。

==== 評価や反響を書く際の注意 ====

フィクション関連の記事において、主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報は記事を損なったり評論家に肩入れしたりするような書き方でない限り明言されているべきです。どの様な場合でも、優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です。権威ある専門家によるユニークな分析や、社会的影響力のある人物や一部の少数派の反応には紹介する価値のある場合もありますが、その場合はその見解が広く普及しているかのような誤解を与える様な書き方は避けてください

主題に対する社会的な反響や専門家による分析を集めて紹介する節を作成する場合は、論者たちの発言を実況中継しただけのような体裁を避けるようにし、また雑多な内容の箇条書きにならないように注意を払ってください。著作権への配慮からも評論家の発言を丸写しで載せるようなことは避けるべきです。こうした内容は長大になる前に論者の発言を自分の言葉でまとめ直すようにし、論点を整理して系統立てられ一連の流れを持った文書に修正し、感情的な表現を避けて不偏的な言い回しを用いて記述してください。多くの論点を公平に紹介することも重要ですが、ウィキペディアは事典ですので、あらゆる論点を細部に至るまですべて包括する必要はありません。本文に組み入れられないものは過剰な内容が含まれていないかどうか吟味し、必要であればノートで合意形成を行い、専門性の低いものや、記事の主題となっている作品を理解する上で重要でないものを除去してください。

経験則では、専門家による批評とも、大衆や業界の反応とも言えないような個人的な感想や出来事、例えば記事を執筆した時点では著名であった芸能人や、事件によって一時的に耳目を集めただけの個人などが、単に作品のファンであることを表明したという以上の話題性がない情報は、記事を執筆した時点では特記に値する話題のように見えても、十年、二十年先にその芸能人のブームが過ぎ去り、事件が忘れ去られた後には、あまり重要でなくなっていることが多いものです。そのような内容でも複数の評判のよい情報源で扱われた出来事であれば、作品が話題になった当時の時勢を示す出来事として特記できるかも知れませんが、多くの場合は簡潔に触れる程度が適切でしょう。

ウィキペディアの記事の執筆者による個人の見解や感想は独自研究に当たり、記事に書くべきではありません。主題に対する評価を掲載するには信頼できる情報源による確かな出典が必要であり、その出典は主題についてのものでなければいけません。もっともフィクションや大衆文化の分野において、学術的な分野と同水準の資料を期待するのは現実的ではないので、特に論争の余地がなく、その主張が特定の誰による意見であるかのように明記することが不適切な事柄については、専門家による意見はそれほど必要ないかも知れません。ですが、そのような場合もー掲示板や個人のブログ、wikiサイト、同人誌などの個人出版物を出典にしてはいけません。ただし、匿名の意見であっても信頼できる第三者的立場による情報源によって評判を得たことが明らかになっているものは、一つの意見として書くことができる場合もあります。また、過去に信用できる第三者的立場の出版社から記事の主題に関連した著書を出版した経験のある、著名な専門家の意見であれば、その専門家の個人サイトなどを出典として使用できるかも知れません。ですがこれらは例外であり、それが本当に重要な内容であるのか注意を払うべきです。また、原作者それに準じる製作関係者が運営している個人サイトや同人誌は、作り手が作品に込めた意図のような事柄に関しては一次資料として使用できる場合もありますが、第三者による評価の出典としては公平なものとして見なされず、主題に対する評価を巡って論争がある場合は単独で使用できないことに注意してください。

どうでしょうか。--Kanohara会話2013年1月13日 (日) 17:29 (UTC)
そこまで長くするのであれば節ごとの書き方を一から示した方が良いと思います。プロジェクト‐ノート:フィクション/テンプレート導入提案でも並行してやっていることではありますが、評価や作風に関しては別節でやってほしいとのことなのでこちらでやっても問題ないかと。--半保護用会話2013年1月14日 (月) 13:25 (UTC)
kanoharaさんのそれはkanohara流執筆ガイドであり、プロジェクト文書向けではありませんね。一時的に「諸元しかなくなった記事」は、育て直せばいいんですよ(アニメに限らず昔のTV番組記事はこういうのが非常に多い印象です)。題材に特筆性が確かにあるなら、記事が削除されることはないんですし、締め切りもないんですから。また、「不必要なことは書くな」は必ずしも参入障壁を高くしません。一番困るのは、古参や声の大きな人、納得しない人などの好みで記事やジャンルが支配されてしまうことです。記事によって基準がバラバラと言う。これが最大の初心者御免の参入障壁で、最悪の状態とも申せましょう。事前に十分に検討し策定されたルールに皆が従い、誰でもトラブル無く参加ができるかたちが、ウィキペディアの目指すべき所と思いますよ。専門家以外の著名人や芸能人のコメントが不要な理由などは、わざわざ書いて置く必要は無いでしょう。結論だけあればいいです。編集者個人の感想は要らないのはウィキペディアのどの記事でも言える事ですから、「書くな!」とだけ言っておけばいいです。「できるだけ二次資料」も基本中の基本ですので、念を押しておく程度で大丈夫でしょう。『ハムレット』に関しては、『ハムレット』に詳しい方が、ノートで検討すれば良いのです。文学批評家としての共通見解から入り、権威の高そうな方から順にかいつまんで紹介していき、人類の把握しきれる分量で解説を終える、というかたちに落ち着くのではないでしょうか。まあ、ハムレットほどの題材であれば多少長くなるのは、仕方ないかもしれませんけどね。--Hman会話2013年1月14日 (月) 13:58 (UTC)
報告 纏りそうにないので、ネットニュースという表現をミドルメディアとだけ言いかえておきました。--半保護用会話2013年1月29日 (火) 10:58 (UTC)

フィクションを詳細に説明している記事について[編集]

サブカル分野を中心にどんな作品かという説明はないに等しいにも関わらず、登場人物や地名、アイテム、技といった作中要素のリストアップには力を入れていて、フィクションの設定についてだけは詳細に書かれてる作品記事を結構見かけます。そういう記事は作品の概要が知りたいユーザーからするとまったく役に立たないのでWP:IINFOのいう「主題について一般に認められている知識をまとめたもの」にはなっていないとは思うのですが、そういう編集を行っている編集者は結構多く、実状としては整理されることの方が稀です。むしろ、予備知識があるユーザーが見れば作品の設定を思い出すのに役立つから有用であるという主張がされることもあります。なので実際のところどの程度整理されるべきかここで話し合った方が良いと思います。

また、既にWikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインにおいて、リストアップは一覧記事の役割なので作品記事では簡潔に保つよう書かれてはいるのですが、具体的にどう書くかはプロジェクト任せになっているので、このガイドライン自体をここのプロジェクトで管理して調整していってはどうでしょうか--半保護用会話2013年1月20日 (日) 05:55 (UTC)

  • 賛成 基本的に賛成です。調整しても実効性は薄いとは思いますが、やらないよりはマシだとは思いますし。サブカル分野は信頼のおける出典が少なく、せいぜい公式発表か専門誌のレビュー程度になってしまうのですが、それでも熱心な利用者によって日々情報が追加されています。その辺のインセンティブを損ねないように、どうやって修正を図るかというのは結構難しそうですが。--ろう(Law soma) D C 2013年1月21日 (月) 02:26 (UTC)
    • コメント 個人的にはWP:10YTの考え方はこの分野にも当てはまるのではないかと思っていて、記事の整理を行うのであれば、編集の活発な継続中の作品記事よりも、放映や連載の終わった作品の記事に対して行った方が良いのではないかと思っています。
      また、検証可能性に関していえば、どこまで脚注を付けなくとも良いとするかだと思います。例えば、登場人物がどのように物語に関わるかという解説であればそれはプロットの要約なので出典は作品そのもので構わない訳ですが、人物の性格や細部に関しては作中で明言されていない限り、作品以外の資料が必要となるので、本来ではあれば出典の明記が必須となるのですが、実際は付けられていない場合の方が多いんです。性格などに関しては編集者の解釈が載っていることも多いので、作品記事に限らずハッキリさせておくべきではないかと思います。--半保護用会話2013年1月21日 (月) 11:25 (UTC)
      • それは同感です。いずれ、本来1-2行で済むような登場人物紹介に、逐一1次資料の科白等からの自己解釈による性格を「○○という性格の模様」などと書くのは、独自研究だし言葉を濁す代表格です。あと、よく見受けられるのが、いちいち「前は○○と言っていたように○○の模様。だが、後には○○と発言するなど○○の側面もある」などの表現ですね。連続ドラマや連載漫画などでは、読者・視聴者の反応を見ながら人物造形を微修正していくことがあるのに、逐一そのように書いていては、多くのキャラクターが多重人格者になってしまう。公式設定にない性格等は、スタッフのインタビュー記事等でもない限り掲載しにくいものとの認識を共有したいです。--ろう(Law soma) D C 2013年1月22日 (火) 02:16 (UTC)
  • 賛成  基本的には賛成します。最新情報の反映については「速報には出典を」とありますし、「その記述が百科事典に掲載すべき記述として相応しいかどうかはタイムリーである事とは無関係です」ともあります。現在の人物、用語、地名等を列挙した物については、実質1次資料を編集者自身が考察した独自研究に過ぎませんし、「速報情報を扱う際の考え」は考慮すべきことでしょうが、展開終了した記事だけではなく、作られて間もない記事も出来る限り対処した方が良いでしょう。つい先日もWikipedia:削除依頼/ライトノベル作品の非加筆で大量のラノベ記事の削除依頼が出されましたが、存続はしたもののこれらの記事に問題がないとは言えないでしょう。記事量が少ない方が対処もしやすいと思いますし、長期間加熱状態の進行形記事以外は出来る限り対処していけるようにした方が良いと思います(可能なら現在進行中の記事も)。また、Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインにあるように、「作品記事および一覧記事では登場人物の解説が目的ではありません」ので性格が役所と直結している場合等は例外としても、基本的には性格や細部の情報は作中で明言されても人物に振り分けて書く必要はほとんど無いのではないでしょうか。こういった物はたぶん、きちんとした2次資料が無ければ書けば書くほど迷走する事になるだけでしょう。同じくキャラガイドの方で「箇条書きで解説するような記述は内容解説の補足」となっていますし、本文となるプロットを含んでいる概要等が無いのであればこういった箇条書きは無い方が良いでしょう。--C会話2013年1月23日 (水) 03:43 (UTC)

コメント 百科事典として重要な社会的位置づけについての説明がないのに、設定ばかり書かれているような記事も困ったものですが、逆に作品のあらすじや登場人物の位置づけについてはまったく説明されていない、あるいはネタバレを避けようとして極端に萎縮した内容になっている一方で、社会的な評価や影響ばかり書かれているような記事も問題だと感じています。要は一次資料と二次資料をバランスよく使用してくださいということです。例えば作品のテーマ性が批評の対象になっているような作品では、それに関連した描写やストーリーの説明は十分に百科事典的な内容でしょう。

さて、しばしば問題になる登場人物や設定の過剰な説明については、ちょっと個人的な意見を持っています。「劇中で登場人物が果たす役割を、二次資料なしに説明するのは独自研究である」と思っている人は多いと思うのですが、実のところフィクションの登場人物は現実の人間と異なり作者から何らかの役割を与えられているため、通常はその言動を解釈を挟まず列挙するだけでその人物が体現しているテーマを説明することが可能です。一次資料から情報を集めて整理する調査は百科事典の執筆の基本であり「独自の研究」には当たらないと「Wikipedia:独自研究は載せない」にも書かれています。ただ、そのテーマを説明するために解釈を挟まず一次資料だけで書こうとすると文章量が膨大になり、容易に冗長な内容へと成り下がります。そして、登場人物が体現している無数の論点やテーマをすべて列挙するのは中立的ではありますが愚かなやり方です。結局のところ登場人物や設定の詳細な説明は「百科事典として有益なものが多いけれど、有益なものを全部書こうとすると魔窟化するので、二次情報源で言及され評価の対象となっているものを中心に、なるべく情報を絞ろう」という点に尽きると考えています。

アニメの登場人物の解説を、公式サイトから語順や語尾を入れ替えただけで丸写ししたような体裁で書いている記事も見かけますが、これは著作権上問題がありますし、出典を明示して引用という形をとるにしても、引用の要件である主従関係を満たせないと考えます。それに、こうした内容は公式サイトのあらすじと同じで、ネタバレを避けつつ視聴者の興味を引くための内容になっており、百科事典の出典としてはあまり良質ではないとも感じています。登場人物の序盤における初期設定などは、物語全体に占める重要度は低いと言えます。また登場人物の身長やスリーサイズや髪の色などは著作性がなく、そこに解釈を挟む余地がないため検証も容易な情報ですが、それが百科事典的な内容かと言われれば否でしょう。

あまりルールでガチガチに縛って内容を制限すると、「百科事典を作る」というウィキペディア本来の目的から遠のく面もあると考えます。個人的に提案できるのは「なるべく二次資料で言及されている内容に絞って簡潔に書こう」「定義の箇条書きという体裁に固執すると雑多な箇条書きに化けやすいので、設定や登場人物について長文で解説する方式も百科事典らしい体裁として推奨していこう」「その人物や用語や本当に必要な内容なら特筆性も確保できるはずなので、積極的に出典を集めて個別記事化も視野に入れよう」といった辺りです。ウィキペディアのコミュニティの中では異端の意見だと思いますが、少数意見として表明しておきます。--Kanohara会話2013年1月24日 (木) 17:10 (UTC)

Kanoharaさんのご意見は、格別異端という訳ではないと思いますけどね。いわゆる「ローカルルール」ってのは、「指針」とか「行動原理」とでも言うべきものかと思っております。状況に応じて柔軟に対応できるようにするのが一番です。で、そのようなスタンス以外では、これまでの議論とKanoharaさんのご意見の方向性は大きく違っていませんよね? C-STARさんは少し厳しめですが、これまでの議論でも「言動を解釈を挟まず列挙するだけ」を拒否しているものでもない。少なくとも私は、例えば「ほぼ毎回○○が女性を口説くことを制止させている」「主人公からは『真面目』としばしば評されている」なんてキャラ紹介を頭から否定するものではありません。--ろう(Law soma) D C 2013年1月25日 (金) 01:06 (UTC)
  • 賛成 Law soma氏の2013年1月22日 (火) 02:16 (UTC)のコメントに尽きるでしょう。前もこんな話がありましたが・・・えーと、プロジェクト‐ノート:アニメ#キャラクターのプロフィール(身長・体重・スリーサイズなど)の掲載についてでしたでしょうか。必要かつ適切な情報を、適切な範囲で配置するのが原則です。WP:10YTももちろん考慮せねばならないでしょう。考慮すれば・・・今回私が指定しているのはアニメマンガゲームラノベですが(でないものでキャラ紹介があからさまに過剰になっているものは極めて少数と言う印象です)、ほとんどの記事で技等の紹介、キャラ紹介は数分の一となるでしょう。ただし、プロットに関わる重大な情報については、除去せずにあらすじに移動すべきものもあるでしょうね。その他は多くの二次資料で永く言及されていることをもって維持が検討されるべきでしょう。--Hman会話2013年1月24日 (木) 23:26 (UTC)
コメント テレビドラマや映画を中心に書くことが多い者ですが、過剰なキャラクター説明は自分でもやってしまったこともあり、最近になって書き過ぎた部分をどう整理していこうかと思索中です。テレビドラマでいうと、放送中は盛んに編集されますが放送後は放置されてあらすじ部分はほとんどまともな物がないですね。加筆してくれるのはいいけど人物説明がほとんどで、あとは途中で放置して次のクールのドラマの編集に夢中とか…(1クール完結まで見たんなら最後まできっちりあらすじ書いて欲しい)。それでも80パーセントがIPユーザーの細かい編集みたいな現状なので、文章で加筆してくれるだけありがたいわ、みたいな面もあるので、こういう人たちの関心をあらすじを最後まできちんと描くこととか社会での反応とかの記述にうまく持っていきたいところです。「キャラクター説明を書く前にあらすじに加筆しよう」みたいな標語でもかかげてみようかと考えてしまいます。ガイドラインですが、そういう具体的な行動の指示もある程度あってもいいのではないでしょうか。たぶん編集する側の人々も、よほど慣れていないと百科事典の加筆に何が求められているとか分からないと思うんですよね。それでつい、やりやすいキャラクター説明とかに流れてしまうんじゃないでしょうか。--Garakmiu会話2013年1月25日 (金) 01:48 (UTC)
  • 賛成 なのですが、これはかなり根の深い問題で、容易に解決できるようなことではないなと思います。問題になっているのは、いわゆる現在進行形の記事で、放送中のTVアニメとかドラマとかですよね。(ほとんどアニメのほうですが)それで、Garakmiuさんが上で指摘なさっているように、どうしても速報的な、逐一まとめ的な記事の書き方をせざるを得なくなると、あらすじは放っておいてキャラの説明に付け足しをしていくのがメインになってしまうんです。本来は結構たいへんなはずなのに、なぜIPユーザーがやたらと記事に参加しているかと言えば、ただ出てきた情報を書き足していくだけなので超簡単だからなんですよね^^;つまりウィキペディアの方針を全然知らないIPユーザーでも出来てしまう。要するに、巷にあふれるまとめwikiと同じ様な使い方をされているわけです。これもまた上のほうで他の方が書いていることですが、百科事典というのが何なのか分かっていない、いや、ウィキペディアが百科事典であると「認識していない」のが根本原因であると思われます。百科事典には、「第2話でこのキャラが死んだ」みたいなことをいちいち書き足していくことなどありえないのに、ネットというものと繋がってしまったが故に、そういうものであると誤解されている。放送が終了して情報も出尽くして世間の関心が薄れ始めた頃に書き始めるのが正しいのですが、ネットは速報性が高いのでどうしてもそういうわけにはいかない。まとめwikiとして使われてしまう。多分、是正するには「現在進行形の作品は、放送が終了してから記事を作成してください」とかしないとどう頑張っても解決は難しいでしょうね。しかし、そんな縛りを入れたとしてもネットユーザーの動きを制御するのはほとんど不可能かと思われます。ウィキペディアがもっと参加しづらいサイトで人気も無かったらこんなことにはならないと思いますが、それを言っちゃおしまいですからね・・人気サイトの宿命というやつでしょうか。--しおまねき会話2013年1月25日 (金) 02:47 (UTC)
それについてはWikipedia:創作物を基にした逐次的な編集というガイドラインが以前あったのですが、廃止になっています。そちらのノートで議論がされていました。これについては私は放送中の追記を制限するよりも、いっそ毎回逐一書いてもらったほうが、放送後あらすじが節stubのまま放置されるよりまだマシ、という考えを持っております。というか、上記の私論がガイドラインだった頃は、これを根拠に放送中はあらすじは書いてはいけないが(放送中のネタバレはいけないからという間違った認識も手伝って)人物説明なら良い、みたいな空気があったような……。--Garakmiu会話2013年1月25日 (金) 08:04 (UTC)
ん、なんか話が噛みあってませんね;私が言ってるのはあらすじのことじゃなく人物節のことですよ。--しおまねき会話2013年1月25日 (金) 08:46 (UTC)

コメント 色々な意見が出ましたが、Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインに手を加えようという話に対しては賛同が多いようなので、具体的な話に移ろうと思います。今のところ私が加筆しようと思っているのは

  • 登場人物の性格などの細かい設定に関しては一次、二次資料を問わず出典の明記が推奨され、「~である模様」「~といった面もある」のような言葉を濁した表現は避ける。また、作中で起こった出来事を逐一加筆しない。
  • 完結した作品の記事が肥大化している場合は、特に整理が必要であり、編集者の憶測が含まれている可能性のある記述は除去する。

の2点です。なお、ガイドラインに手を加えるというのはあくまで手段の一つですので、他に提案があるのであればコメントをよろしくお願いします。--半保護用会話2013年1月28日 (月) 14:39 (UTC)

賛成 賛成です。ないよりはあった方が独自研究を執筆する利用者への掣肘としてよいと思います。--ろう(Law soma) D C 2013年1月29日 (火) 00:12 (UTC)
コメント 最近の作品は、探せばそれなりに出典が見つかりますが、ネットが普及する以前の旧い作品に関しては資料を見つけ辛いのではと思いますがこの点に関してはどう思われますか?--Louis XX会話 / 投稿記録) 2013年 1月29日 (火) 01:11 (UTC)
賛成 この分野における独自研究の横行は目に余るもので、少しでも抑止力になることを願います。ルイ20世さんのご指摘ですが、資料を見つけ辛い作品に関しては、資料を探して、見つかるまでは書かないのが原則です。古いフィクションに限らず、ウェブ上に情報の乏しい主題はいくらでもあります。言うまでもなく、その場合には紙媒体の資料を探せばよいのです。ウィキペディアの方針は、資料が見つからないからといって独自研究を書くことを認めていません。--Trca会話2013年1月29日 (火) 02:00 (UTC)
コメント ルイ20世さんのご指摘はもっともですが、Trcaさんのご意見のとおり資料が見つからないからといって独自研究が許されるわけではありません。古いフィクションであっても、当時の雑誌等で言及されている例はありますし、一次資料も否定していないのであれば、古書や復刻版もあり、全く資料がないことは想定しにくいと思います。利用者個人としては出典がないからといって一律除去することには懐疑的ですが、誇張表現や曖昧表現、冗長な記述などが抑制されれば、それでよいと思っております。
いわゆるメインカルチャーの分野なら論文や評論を探せば古いものも見つかると思いますし、サブカルなら、例えばですが、SFならば『日本SFこてん古典』や『日本SF精神史』やSFマガジンのバックナンバー等、ミステリなら『推理小説を科学する』や『日本ミステリー事典』や中間小説誌の数々、アニメなら 『日本のアニメ全史』とかアニメ三大誌のバックナンバー、コミックなら『マンガ誕生』とかぱふのバックナンバー等があります。博捜範囲を広げればSFイズムとか奇想天外とかOUTとかワンダーランド(宝島)とか、少なくとも1970年代ころまで遡ってのサブカルはカヴァーできるでしょう。--ろう(Law soma) 2013年1月29日 (火) 04:21 (UTC)
コメント 一応、確認のために書いておくと、この議論は登場人物や用語節を対象としているので、概要や制作節も含めて積極的に整理しましょうということではありません。登場人物や用語節が肥大化することは事典としてはむしろデメリットが大きいのでこの部分に関しては要出典等を使わず除去優先で動いても問題は起こらないであろうという主旨での提案です。--半保護用会話2013年1月29日 (火) 10:45 (UTC)
コメント 反対はしないのですが、該当する詳細な記述というのが本来、人物個別記事で取り扱うべきことであり、現在問題点として取り上げている部分とは少しずれている感じがします。まずは作品記事の問題点の解決を図る方が先でしょう。どちらかというと、ここや過剰な内容の整理で取り扱うべきであり、登場人物などに限らず設定関連も取り上げ、出典の明記は義務と断言するべきでしょう。例えばWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#記事の分割でも、「子記事も検証可能性を満たしていなければならず、独自研究を含んではならず、そして中立的な観点が保たれていなければなりません。」と口酸っぱく言っているのですから推奨では不十分でしょう。ただし、これは一次資料の有用性を否定するものでもありません。
 キャラガイドにおける作品記事で取り扱うべき情報としては、すでに「細部に至るまで記述せず、現実世界から見た「作品における位置づけ」に絞って記述する必要があります。」とあり、一覧子記事でもそう変わるわけではありません。ご呈示の加筆内容を取り上げると、出典があれば細部の記述も問題ないと誤解されるかもしれず、もとからある文書と見比べるとあまり必要性も感じません。むしろ、キャラガイドの「あらすじとして一纏めに記述できるのであれば1つにまとめた方が理想的です。」とあるように、作品記事では箇条書きの使用よりも、主題の説明となるよう、文脈を持たせて一つにまとめたものを推奨する方へシフトした方が良いと思います。基本理念は人物でもそれ以外でもそう変わるものではないでしょう。例えば『ジョジョの奇妙な冒険』でスタンド能力の説明は必要でしょうし、それを一次出典を元に書いても問題はないでしょう。しかし、スタープラチナやザ・ワールドの説明を作品記事でする必要はないでしょう。可能なら使用を例外的なものとして基本的には作品記事内では箇条書きをしないことも加えてほしい所ですが、そこまで言い切るのは酷でしょうか。--C会話2013年1月29日 (火) 09:52 (UTC)
ウィキペディア上で義務とするには方針にまで持っていく必要があります。ガイドラインである以上、推奨という表現が適切ではないでしょうか。そもそもこの議題は「問題の抜本的解決を図ろう」ではないので、整理した方が良いというコンセンサスをどこかに明示できればそれで十分かと思います。また「細部に出典が必要」というのは作品記事だけではなく個別記事も含めた話です。これに関しては序論のような節を新たに加える形を考えていますが、ガイドラインではなくここのプロジェクトページに明示しておくというだけでも特に問題はないと思います。それから先述の通り、別のなにか良い案があるのであれば、ここで提案して頂いて構いません。プロジェクト‐ノート:ライトノベル/設定に関する節の導入提案も宙ぶらりんになっていますのでここで続きを行うというのも構わないです--半保護用会話) 2013年1月29日 (火) 10:45 (UTC)(追記)なお、定義リストに関してですが、適切な使用例にあるように定義だけが並んでいる状態であれば、むしろ読み易いので、全面的に禁止にする必要はないかと思います。--半保護用会話2013年2月4日 (月) 11:46 (UTC)
報告 C-STARさんの意見を汲んで、2013年1月28日 (月) 14:39 (UTC)に提案した2点の内一点目はプロジェクトページに記載し、2点目のみをWikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインに反映させました。事前に文案を出さなかったので加筆した文章に対して何か気になる点があれば修正をお願いします。--半保護用会話2013年2月4日 (月) 11:45 (UTC)
コメント ええと、私が言っている義務は方針に関する部分のみであって、一覧を一切作らない事を義務とすべきと言っている訳ではありませんよ。前回の発言の最後の部分も例外を認めないと言っている訳ではありませんし。所で、少し遅いかもしれませんが、案として、キャラクターガイドを改名して設定関連も対象に出来る様にするというのはどうでしょう。先日も言いましたが、基本理念は同じでしょうし。--C会話2013年2月6日 (水) 22:44 (UTC)
いえ、そんな誤読はしていないです。方針に関する部分を反映してほしいとのことだったので検証不可能な記述は除去される旨を書き加えました。改名に関しては良いと思いますが、WP:WAFと被らない様に名前を付けようとすると記事名が長くなりそうです。英語版を見るとen:Wikipedia:WikiProject Video games/Article guidelinesのようにプロジェクトのサブページがガイドライン化していることもあるので、ここのサブページとして組み込むのも一案かもしれません。サブページならフィクション関係のガイドラインであることをタイトル内で説明しなくていいので--半保護用会話2013年2月7日 (木) 10:57 (UTC)
コメント すいません。どうやらこちらが勝手に一方的な勘違いをしていたようです。大変失礼いたしました。申し訳ありません。サブページ化は元々ガイドラインの対象がフィクションのみですから良い案だと思います。--C会話2013年2月7日 (木) 12:28 (UTC)

提案 では上記の議論を受けて、Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインの適応範囲を広げ、プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述へ改名することを提案します。--半保護用会話) 2013年2月8日 (金) 10:47 (UTC) 報告 反対意見がなかったため改名を行いました。適応範囲の拡大に伴って言い回しも修正しています。この際、技やアイテムの一覧は避けるようにWP:NOTGUIDEに書かれている分野もあるため、一覧を新規で立項するという要旨は省きました。--半保護用会話2013年2月15日 (金) 11:17 (UTC)

情報 プロジェクト‐ノート:フィクション/登場人物と設定の記述において更なら改名提案が出ています--半保護用会話2013年3月16日 (土) 04:15 (UTC)