フローレンス・ハート

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Florence Hart
フローレンス・ハート
生年月日 (1893-01-08) 1893年1月8日
没年月日 (1960-03-30) 1960年3月30日(67歳没)
出生地 イギリスの旗 イギリス リバプール
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ジャーマンタウン
職業 女優
ジャンル 舞台、サイレント映画
活動期間 1910年代 - 1921年
配偶者 ケネス・ハーラン 離婚
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フローレンス・ハートFlorence Hart, 1893年1月8日 - 1960年3月30日)は、アメリカ合衆国女優である[1]

人物・来歴[編集]

生年生地不詳[1]

1913年(大正2年)に、ニューヨークブロードウェイにあるカジノ劇場で、カール・ミレッカーオペレッタ乞食学生行進曲』(The Beggar Student, 原題 Der Bettelstudent)の舞台にコーラスの1人として立った記録がある[2]

1920年(大正9年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)が製作・配給、ノーマン・ドーンが監督、青木鶴子が主演したサイレント映画『東京の妖婦』に脇役として出演、同年6月に同作が公開されたのが、もっとも古い映画への出演記録である[1]。同月26日、同年に前妻と離婚したばかりのスター俳優ケネス・ハーランと結婚する[1]。夫ハーランは前年11月1日に公開されたジョージ・シーグマン監督の『戦慄』(別題『恐怖の瞬間』)を最後に、ユニヴァーサルを退社している[3]が、フローレンスが出演した『東京の妖婦』は、『戦慄』の脚本家ドリス・シュローダーの作品である[4]。同年8月、フェイマス・プレイヤー=ラスキーで脇役として出演した、ウィリアム・C・デミル監督、トーマス・ミーアン主演の『愛と芸術』が公開される[1]

1921年(大正10年)、ヴァイタグラフ・カンパニー・オヴ・アメリカ(ヴァイタグラフ・スタジオ)で脇役として出演した、ジョージ・ランドルフ・ チェスター監督、ウィルフリッド・ノース主演の『二代成金』、ならびにアール・ウィリアムスが自らのアール・ウィリアムス・プロダクションズで製作して主演、ヴァイタグラフが配給したデイヴィッド・スミス監督の It Can Be Done 、この2作以降の出演記録は見当たらない[1]

1922年(大正11年)、夫ハーランと離婚する[1]。ハーランは同年、スチュアート・ペイトン監督の『命懸けの大競争』、ウィリアム・A・サイター監督の『女は曲者』で、女優のマリー・プレヴォーと共演、2年後にはプレヴォーと結婚している[3]

1960年(昭和35年)3月30日ペンシルベニア州ジャーマンタウンにて67歳で死去した[3]

フィルモグラフィ[編集]

すべて出演作である[1]

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Florence Hart, Internet Movie Database (英語), 2010年6月16日閲覧。
  2. ^ Florence Hart, Internet Broadway Database (英語), 2010年6月16日閲覧。
  3. ^ a b c Kenneth Harlan - IMDb(英語), 2010年6月16日閲覧。
  4. ^ Doris Schroeder - IMDb(英語), 2010年6月16日閲覧。

外部リンク[編集]