クルト・ダールケ
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(ピロレーターから転送)
クルト・ダールケ Kurt Dahlke | |
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ピロレーターことクルト・ダールケ(左)。2006年ハーゲンでのフェルファーベンのライブにて | |
基本情報 | |
別名 | ピロレーター (Pyrolator) |
生誕 | 1958年4月29日(66歳) |
出身地 | ドイツ ノルトライン=ヴェストファーレン州ヴッパータール |
ジャンル | 実験音楽、テクノ、ポストパンク、電子音楽、ニュー・ウェイヴ |
職業 | ミュージシャン、音楽プロデューサー、エンジニア |
担当楽器 | シンセサイザー、キーボード |
活動期間 | 1979年 - |
レーベル | Warning Records、Ata Tak、Bureau-B、キャプテン・トリップ・レコーズ、Suezan Studio |
共同作業者 | デア・プラン、DAF、フェルファーベン、ア・サーティン・フランク、Bombay 1、Burkina Electric |
クルト・ダールケ(Kurt Dahlke、1958年4月29日 - )は、ドイツのミュージシャンであり、「ピロレーター (Pyrolator)」という名前で活動している。シンセサイザーやテープ編集を用いた電子音楽を多数制作する。
1978年から1979年にかけてDAFのメンバーとして活動したが、アルバムは『ファースト・アルバム』(Ein Produkt der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft)のみの参加となった。DAF脱退直後、1979年に結成したバンド、デア・プラン (Der Plan)に参加 (1992年まで)。同年にアタタック (Ata Tak)・レーベルの立ち上げに尽力し、同レーベルから多くの西ドイツ(当時)出身のミュージシャンのプロデュースやコラボレーションをリリースした。それらはノイエ・ドイチェ・ヴェレと呼ばれる当時のドイツで発生したニュー・ウェイヴの代表的な作品となった。また、フェルファーベン、ア・サーティン・フランク、Bombay 1などのメンバーとしても活躍する。
ディスコグラフィ
[編集]ピロレーター
[編集]- 『インランド』 - Inland (1980年)
- 『アウスランド』 - Ausland (1981年)
- 『ワンダーランド』 - Wunderland (1984年)
- 『ホーム・ テーピング・イズ・キリング・ミュージック』 - Home Taping Is Killing Music (1985年) ※with A. K. クロゾフスキー
- 『トラウムランド』 - Traumland (1988年)
- 『エヴリー・セカンド』 - Every Second (1990年) ※ピロレーター/シャーロック/サンバ名義
- Neuland (2011年)
- Con-Struct (2015年) ※with コンラッド・シュニッツラー