ヒロシマへ行く

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ヒロシマへ行く(ヒロシマへいく)は、西日本の一部で用いられる、人のを表現する忌み言葉である[1]。主に中国地方西部、四国西部、九州北部で用いられ、その中でも内陸部よりも沿岸部、島嶼部で用いられやすい[2]

用法の地域差[編集]

単に「ヒロシマへ行く」と言う場合もあれば、地域によっては「ヒロシマへ○○を買いに行く」とも言う場合もある[3]。「ヒロシマへ○○を買いに行く」と言う地域は芸予諸島愛媛県など広島に比較的近く、より外縁の地域では「ヒロシマへ行く」が用いられ、広島を中心とした周圏構造をなしている[4]

ただし、広島県内では「便所へ行く」という意味でこの言葉が用いられる場合がある[2]

「ヒロシマ」が指す内容の変化[編集]

歴史地理学者の小口千明は、「ヒロシマ」が指す内容が3段階に変化していったと指摘している[5]。まず第1段階として、「ヒロシマへ行く」の「ヒロシマ」は他界を意味する想像上の抽象的な空間を指すものと考えている[6]。一方、第2段階として、「ヒロシマへ○○を買いに行く」[注釈 1]の「ヒロシマ」は商業機能を有してきた現実の都市の広島と考えている[8]。この背景として、「ヒロシマ」が同音の「広島」と認識されるようになったため、他界表現として、死を連想させる品物[注釈 2]を加えた表現が成立したと指摘している[9]

第3段階として、広島市への原子爆弾投下の影響から、現代では「広島」自体に死を連想させる認識をもつ人も出現した[11]。ただし、「ヒロシマへ行く」という表現は第二次世界大戦の前から用いられていた[注釈 3]ことから、小口は民間語源として多数の一般人から支持されているとはいえ、この認識には問題があると指摘している[12]。また、千葉徳爾は現代における民間語源の一例と指摘している[10]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「ヒロシマへ○○を買いに行く」が用いられる地域は、「ヒロシマへ行く」が用いられている地域(小豆島・九州など)に挟まれているため、方言周圏論の「地区連続の原則」を踏まえると、「ヒロシマへ○○を買いに行く」は「ヒロシマへ行く」よりも新しい言葉と考えられる[7]
  2. ^ 例えば、煙草が挙げられる[9]。これらは日用品であり、通常は敢えて広島まで買いに行くことはない[10]
  3. ^ 例えば、柳田國男の文章『ヒロシマへ煙草買いに』は1937年に発表されている[10]

出典[編集]

  1. ^ 小口 1985, p. 211.
  2. ^ a b 小口 1985, p. 219.
  3. ^ 小口 1985, p. 214.
  4. ^ 小口 1985, p. 223.
  5. ^ 小口 1985, p. 230.
  6. ^ 小口 1985, pp. 226–227.
  7. ^ 小口 1985, p. 224.
  8. ^ 小口 1985, p. 225.
  9. ^ a b 小口 1985, p. 227.
  10. ^ a b c 千葉 1988, p. 228.
  11. ^ 小口 1985, p. 231.
  12. ^ 小口 1985, pp. 228–229.

参考文献[編集]

  • 小口千明忌言葉「ヒロシマへ行く」にみる他界の認識像とその変化」『歴史地理学紀要』第27巻、1985年、211-236頁。 
  • 千葉徳爾「ヒロシマに行く話――ムラびとの広域志向性」『民俗学方法論の諸問題』東京堂出版〈千葉徳爾著作選集〉、1988年、227-242頁。ISBN 4-490-30244-4