バルテレミー・ボガンダ
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バルテレミー・ボガンダ(Barthélemy Boganda 1910年4月4日 - 1959年3月29日)は、中央アフリカ共和国の政治家。
カトリックのミッションスクールを卒業し聖職者の道を歩んでいたが、1946年にフランスの国民議会に選出される。1949年に黒アフリカ社会進歩運動(MESAN)を作り、同党の党頭となる。同時期結成されたアフリカ民主連合には加盟せず、独自路線を歩み続けた。
1958年にウバンギ・シャリがフランス共同体内の自治共和国となると、ボガンダは首相に就任し、国名を中央アフリカ共和国へと変更し、親族で側近のもと小学校長ダヴィド・ダッコ内相や医師のアベル・グンバ蔵相を率いた。
ボガンダはフランスとの対決姿勢はとらなかったが、フランス領赤道アフリカにおいてもっとも積極的な連邦論者であり、各植民地の分離独立を主張するガボンのレオン・ムバらと対立した。ボガンダの連邦論は赤道アフリカにとどまらず、ベルギー領コンゴやルワンダ・ブルンジ、ポルトガル領アンゴラをも視野に入れたラテンアフリカ連邦構想を提唱していた。
1959年3月29日、ボガンダは西部のベルベラティの町から首都バンギへと飛行機で戻る途中、飛行機が墜落し、独立を目前にしてこの世を去った。
現在の中央アフリカの国旗はボガンダによりデザインされており、50年以上使われている。
「インディ・ジョーンズ 若き日の冒険」では幼い頃の彼が登場している。ちなみに、「バルテレミー」という名前は、イザック・ド・バンコレが演じた同じ名前の軍曹から受け継いだことにされている。
なお、後の中央アフリカ帝国のジャン=ベデル・ボカサ皇帝は、甥である。