バイスングル (シャー・ルフの子)

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バイスングルの宮廷で制作された『バイスングル・シャー・ナーメ』

バイスングル(Gīāṭ al-dīn Bāysonḡor、1397年 - 1433年)とは、ティムール朝の王族。シャー・ルフの三男。生母はガウハール・シャード・アーガー日本語ではバーイスングル、バイソンゴルとも表記される。

1420年黒羊朝遠征に従軍、タブリーズ攻撃を命じられ、ジャライル朝下で保護を受けていた書家や画家、そして写本を伴ってヘラートに帰還した。 1431年にアストラバード(グルガーン)の知事に任じられた。ワインを愛飲したが酒量が度を越していたために健康を害し、36歳の若さで早世した[1]

詩、絵画、音楽に造詣が深く[2]、宮廷で学者芸術家を厚く保護し、特に写本の作成に情熱を傾けた。 彼の宮廷では書家、画家、鍍金師、彩飾家、製本職人などの23人[3]の専門家が写本の作成に従事し、 その写本は紙質、挿絵、装丁のいずれにおいても高い品質を誇った[3]。 彼自身も写本の作成に携わり、代表作に『シャー・ナーメ』『カリーラとディムナ』『薔薇園』の写本がある。 『カリーラとディムナ』はイスラム世界で多くの写本が制作されたが、バイスングルの宮廷で制作された写本は特に質が高く、 挿絵の色彩、ページの余白にまで及ぶ表現が評価されている[4]。 また、彼の宮廷では写本以外に絨毯、織物、タイル、宝石、天幕などの工芸品や庭園のデザインも行われていた。

東洋史研究者の間野英二は、バイスングルの写本事業とヘラートで行われていた建築事業の関連性を指摘した。 間野によれば、高名な技術者たちがシャー・ルフ、ガウハール・シャード・アーガーの建築事業に動員されていたため建築事業を行えず、 やむなく写本の制作に携わったというのである[5]

脚注[編集]

  1. ^ 鎌田「華やぐティムール朝宮廷文化」『イランを知るための65章』、94頁 F.ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、79頁
  2. ^ 植村「バイソンゴル」『アジア歴史事典』7巻
  3. ^ a b F.ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、79頁
  4. ^ 鎌田「華やぐティムール朝宮廷文化」『イランを知るための65章』、93頁
  5. ^ 間野「ティムール帝国とヘラートの発展」『西アジア史』、124頁

参考文献[編集]

  • 久保一之「ティムール帝国」『中央アジア史』収録(竺沙雅章監修、間野英二責任編集, アジアの歴史と文化8, 同朋舎, 1999年4月)
  • 間野英二「ティムール帝国とヘラートの発展」『西アジア史』収録(竺沙雅章監修、間野英二責任編集, アジアの歴史と文化9, 同朋舎, 2000年4月)
  • 鎌田由美子「華やぐティムール朝宮廷文化」『イランを知るための65章』収録(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2004年9月)
  • フランシス・ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』(小名康之監修, 創元社, 2009年5月)
  • 植村清二「バイソンゴル」『アジア歴史事典』7巻収録(平凡社, 1959年)

関連項目[編集]