ハッブル遷移彗星捜索

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハッブル遷移彗星捜索(ハッブルせんいすいせいそうさく、:Hubble search for transition comets)または小惑星OH輝線による遷移彗星捜索(しょうわくせいOHきせんによるせんいすいせいそうさく、:Transition Comets—UV Search for OH Emissions in Asteroids)はアマチュア天文家によるハッブル宇宙望遠鏡を使った天文学の研究プロジェクトで、これまでにNASAが承認したアマチュア天文学者の関わるプロジェクトの6例のうちの1つとして知られている[1]

概要[編集]

ハッブル宇宙望遠鏡(HST)のプロジェクトが始まってから数年間、NASAや議会はどうにかして一般市民であるアマチュアの天文家たちがHSTの研究に携われないか関心を持っていた。当時宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)の所長だったリカルド・ジャコーニは、HSTに予定されている観測時間の割り当てとして所長の権限と裁量で使い道を決定できる枠("Director's Discretionary")の一部をアマチュアのための観測プログラムにすることを決めた。1985年12月、7つのアマチュア天文学団体の代表者がアメリカメリーランド州ボルチモアのSTScIの施設に集まり、HSTのプロジェクトにアマチュアがどう関わることができるかを議論した[2]

この時集まった代表者は

  • ジャネット・マッティー - アメリカ変光星観測者協会(AAVSO)からの代表
  • ジョン・ウェストホール - 月惑星観測者協会英語版(ALPO)からの代表
  • ジョージ・エリス - 天文学連盟英語版からの代表
  • ジェシー・アイチェンラウブ - 独立宇宙研究団からの代表
  • ジェラルド・パーシャ - 国際アマチュアプロ光電測光チーム(IAPPP)からの代表
  • デイビッド・ダンハム - 国際掩蔽観測者協会(IOTA)からの代表
  • スティーブン・エドバーグ - 西洋アマチュア天文からの代表

の7名である[3][4]

チームは、ハッブル宇宙望遠鏡を使って5つの小惑星分光観測し、得たスペクトルからヒドロキシ基の輝線(OH輝線)を探すことに決めた。OH輝線の存在は、その小惑星が彗星・小惑星遷移天体と呼ばれる、かつて彗星だったが放出物が枯渇した天体であることを示唆する。対象天体は、小惑星でありながら彗星のような楕円軌道を描いていることで注目されていた(944) イダルゴ(2201) オルヤトの2個と、1977年にチェコの天文学者ルボール・クレサーク英語版によってコマと呼ばれる彗星に見られる構造が観測されたことのある(182) エルザ(224) オケアナ(899) ヨーカステの3個を加えた合計5個である。

分光観測と同時に、世界中の22か国の80人以上のアマチュアが地上からこれらの小惑星を観測した[5]。 最終的には参加したアマチュアの観測者は、主要な役割を果たした数だけで70人を超えた。観測者は22か国に跨り、さらにアメリカだけでも24の州に分布した[6][7]

研究背景[編集]

彗星のような大きな楕円を描く小惑星イダルゴの軌道(白)。オレンジが木星軌道、黄が土星軌道。

科学者は、小惑星の中にはかつて彗星だったものもあると考えていた。太陽系小天体のうち揮発性の物質を放出する彗星活動を見せる天体が彗星であるが、太陽の周りを公転しているうちにこの放出によって彗星の質量はだんだん失われる。揮発性の物質をすべて放出しきってしまうか、一緒に巻き上げられたダストが彗星表面を覆うことで揮発性物質が埋められてしまうことで、彗星活動を見せなくなり小惑星と変わらない外観になる[8][9][10]

小惑星イダルゴは彗星活動を見せないにもかかわらず彗星のような特徴的な楕円軌道を持つ天体として頻繁に注目される[11][12][13][14]。実際、この小惑星を観測したクレサークは1977年にこの天体が「枯渇した彗星核」であると提唱した。加えて、多くの小惑星と異なり彗星は木星に接近する。イダルゴも木星に、エンケ彗星、アラン・リゴー彗星、ネウイモーン第一彗星といった彗星の木星接近距離と同じくらいの近さまで接近する。この3彗星は彗星活動のレベルが低く、枯渇間際とも解釈できる[15]

金星探査機パイオニア・ヴィーナス・オービターは、小惑星オルヤトに起因する磁場の攪乱を観測した。この磁場活動は水素原子を、活動的な彗星の1万分の1程度の穏やかなペースで放出することで説明される[16][17]。オルヤトの彗星的な性質は紫外線領域での異常な反射特性にも見られ、これは微粒子によるレイリー散乱で説明できる[18]

1923年12月13日に天文学者のホセ・コマス・ソラは小惑星オケアナに彗星活動がみられることを観測した[19]。この小惑星の写真では、淡いハローが30秒角にわたり広がっている様子が写っており、小惑星の明るさは11.6等級まで明るくなっていた。このときオケアナの太陽からの距離は1.78auであることから、このハローの広がりは実際の距離にして3.8万kmに達していたとされる。

小惑星上の揮発物質の存在は、将来小惑星帯を人類が探査・開発するにあたって重要となりうる。揮発性物質の主成分から、それらはミッションのために水や酸素、燃料の供給源にできる[20]

観測[編集]

1993年、ハッブル宇宙望遠鏡とアマチュア天文家によるイダルゴとオルヤトの観測が実現し、HST搭載の微光天体分光器英語版によって波長308.5nmのOH輝線の存在有無が検証された。この2天体はその軌道特性、流星群との関連性によって選ばれた[21]。アンバー検出器は、波長232.5nmから322.5nmを開口部1秒角でカバーするG270Hのスペクトル特性で蓄積モードで運用された。

その後同じ微光天体分光器の、同じG270Hでエルサ・オケアナ・ヨーカステの3小惑星が観測された[22]

アマチュアのチームリーダーは、HSTが紫外線で分光観測を行っていると同時に地上から可視光分光を行いたいと思っているアマチュア向けに広報キャンペーンを行い、地上からダストや彗星活動が見られないか確かめることも促した。

結果[編集]

観測に用いられたHSTの微光天体分光器

イダルゴとオルヤトのスペクトルは太陽スペクトルとほとんど同一で、OHや他の輝線は観測されなかった。イダルゴとオルヤトが観測当時19等級と暗かったためアマチュアの当時の望遠鏡の観測限界を超えており、地上観測が成立したのは小惑星があると予測された位置をCCDイメージセンサで観測したいくつかの観測に限られた[4]

他の3小惑星も活動の弱い彗星核から想定される輝線は観測されなかった。この3つについては先の2つと異なり、安定した小惑星帯の軌道を公転していたので、想定通りの結果ではあった。 エルサとオケアナはHSTでの観測当時12等級、ヨーカステは15等級と比較的明るかったため、これらの地上観測は眼視・写真・VHS・CCDとあらゆる方法で行われた[4]

全ての眼視観測は3天体に彗星活動はなく点状に見えたと報告しており、写真観測も同じ結果だった。それよりもさらに暗い天体まで検出できるCCD観測を行った観測者もおり、うち2人がヨーカステから短い尾が伸びていることを観測した。この尾は17等級ほどと推定されたが、撮影画像に写っていた小惑星のそばの恒星画像を精査したところ、この尾に見える構造はガイド撮影時の追尾エラーによるものと断定された。結局この3小惑星からも彗星活動は検出されなかった[4]

イダルゴとオルヤトの観測は、HSTのスケジュール上、サービスミッションと呼ばれるスペースシャトルによる保守作業の直前に行われるしかなかったが、この時期は2つの小惑星についてOH輝線を検出するのに適した時期では決してなかった。イダルゴは撮影時太陽から5auという遠い位置を公転していた[4]1994年に木星に衝突したとして有名であるシューメーカー・レヴィ第9彗星(SL-9)は衝突前にちょうど同じく太陽から5auの位置でHSTの微光天体分光器G270Hで観測されたことがあったが、明らかな彗星であるこのSL-9でさえこの距離ではOH輝線は検出されなかったのである[23]。 オルヤトも観測時には遠日点におり、小惑星帯の距離を考慮すると19等級の小惑星からのOH輝線は暗すぎてノイズによってかき消される可能性が高いとされた。この2小惑星は、理想を言えば近日点付近にある時に観測されるべきだった[4]

残りの3小惑星については、それぞれがの位置と呼ばれる観測に適した地球・太陽との位置関係にある時に観測できたが、OH輝線は検出されなかった。ただし、エルサとヨーカステについては観測されたとき、ハッブル宇宙望遠鏡は天体の追尾に問題を抱えており、太陽電池パネルの1枚が機能していなかったため電力確保のため望遠鏡の姿勢を観測に適さない形に保つ必要があった。また、過去のコマが見えたという観測報告は、彗星活動ではなく小惑星に別の天体が衝突したため巻き上げられた物質で一時的に生じたと推定された[24]

観測結果としては大きな成果は無かったが、このプロジェクトの後にNASAは市民科学を意識した観測プログラムや観測データの公開・活用を行うようになり、現在のアマチュア天文学の学術連携にとって大きなきっかけとなったと評されている[25]

脚注[編集]

  1. ^ Amateur Astronomers Will Use NASA's Hubble Space Telescope”. Hubblesite.org (1992年9月10日). 2022年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
  2. ^ Bahcall, John N. (2002). “The Birth of the Snapshot Programs”. STScI Newsletter (Institute for Advanced Studies) 19 (4): 22–23. http://www.stsci.edu/~webdocs/STScINewsletter/2002/fall_02.pdf. 
  3. ^ Max Mutchler (STScI) and Harald Schenk, 188th Meeting of the American Astronomical Society (AAS) in Madison, Wisconsin, 13 June 1996, and the 190th AAS Meeting in Winston-Salem, North Carolina, 10 June 1997
  4. ^ a b c d e f Amateur Astronomers and HST”. 2022年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
  5. ^ Proceedings of the Astronomical League, 47th National Convention, July 29–31, 1993.
  6. ^ Max Mutchler (STScI) and Harald Schenk 188th Meeting of the American Astronomical Society (AAS) in Madison, Wisconsin, 13 June 1996, and the 190th AAS Meeting in Winston-Salem, North Carolina, 10 June 1997
  7. ^ Amateur Astronomers and HST”. 2022年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
  8. ^ Cochran, A. L.; Barker, E. S. (August 1984). “Minor planet 1983TB - A dead comet?”. Icarus 59 (2): 296–300. Bibcode1984Icar...59..296C. doi:10.1016/0019-1035(84)90029-0. 
  9. ^ Degewij, J.; van Houten, C. J. (1979). “Distant asteroids and outer Jovian satellites”. In Gehrels, T.. Asteroids. University of Arizona Press. pp. 417–435. Bibcode1979aste.book..417D. ISBN 0816506957 
  10. ^ Chamberlin, Alan B.; McFadden, Lucy-Ann; Schulz, Rita; Schleicher, David G.; Bus, Schelte J. (January 1996). “4015 Wilson-Harrington, 2201 Oljato, and 3200 Phaethon: Search for CN Emission”. Icarus 119 (1): 173–181. Bibcode1996Icar..119..173C. doi:10.1006/icar.1996.0009. 
  11. ^ Marsden, B.G. (1970). “The orbit of Hidalgo”. Bulletin of the American Astronomical Society 2: 249. Bibcode1970BAAS....2T.249M. 
  12. ^ Shoemaker, E.M.; Wolfe, R.F. (1982). Cratering time scales for the Galilean satellites. In: Satellites of Jupiter. (A83-16226 04-91) Tucson, AZ, University of Arizona Press. Bibcode:1982stjp.conf..277S
  13. ^ Degewij, J.; Tedesco, E.F. (1982). Do comets evolve into asteroids - Evidence from physical studies. In: Comets. (A83-13376 03-90) Tucson, AZ, University of Arizona Press, 1982. Bibcode:1982come.coll..665D
  14. ^ Kresak, 1977, 1979;
  15. ^ Rickman, H. (1985). “Interrelations between comets and asteroids.”. Proceedings of the Eighty-third Colloquium: 149–172. Bibcode1985ASSL..115..149R. doi:10.1007/978-94-009-5400-7_13. 
  16. ^ Russell, C.T.; Aroian, R. (1984年10月). “Interplanetary Magnetic Field Enhancements and Their Association with the Asteroid 2201 Oljato”. Science 226 (4670): 43–45. Bibcode1984Sci...226...43R. doi:10.1126/science.226.4670.43. 
  17. ^ Davies, 1986
  18. ^ McFadden, L.A.; Ostro, S.J. (1984年6月). “2201 Oljato: An Asteroid, a Comet, or Both?”. Bulletin of the American Astronomical Society 16 (4670): 691. Bibcode1984BAAS...16..691M. 
  19. ^ Kresak, 1977
  20. ^ O'Leary, B. (1977). “Asteroidal Resources and Gravity Assisted Low-Energy Retrieval Missions.”. Bulletin of the American Astronomical Society 9: 500. Bibcode1977BAAS....9..500O. 
  21. ^ Weissman, P.R.; A'Hearn, M.F. (1989). Evolution of comets into asteroids. IN: Asteroids II; Proceedings of the Conference, Tucson, AZ, Mar. 8-11, 1988.
  22. ^ Schenk, H.; Secosky, J. (1999). A Hubble Space Telescope Search for Water in Asteroids. Rochester Academy of Science 26th Annual Scientific Paper Session. November 6, 1999. Canandaigua, New York.
  23. ^ Advertise for HST collabo”. 2023年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月2日閲覧。
  24. ^ Rickman, 1996
  25. ^ Rickman, 2002

外部リンク[編集]