ハッツフェルト (エーダー)

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紋章 地図
(郡の位置)
Wappen Hatzfeld (Eder).png Locator map KB in Germany.svg
基本情報
連邦州: ヘッセン州
行政管区: カッセル行政管区
郡: ヴァルデック=フランケンベルク郡
緯度経度: 北緯50度59分
東経08度32分
標高: 海抜 358 m
面積: 58.51 km²
人口:

3,040人(2013年12月31日現在) [1]

人口密度: 52 人/km²
郵便番号: 35116
市外局番: 06467
ナンバープレート: KB
自治体コード: 06 6 35 014
行政庁舎の住所: Im Hain 1
35116 Hatzfeld (Eder)
ウェブサイト: www.hatzfeld-eder.de
首長: ウーヴェ・エルミシュ (Uwe Ermisch)
郡内の位置
Hatzfeld (Eder) in KB.svg

ハッツフェルト (エーダー) (Hatzfeld (Eder)) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州ヴァルデック=フランケンベルク郡に属す市である。

地理[編集]

位置[編集]

ハッツフェルトは、ヘッセン州の西部、マールブルクの北西、ザックプファイフェ山の北に当たるエーダー川の谷に位置している。

隣接する市町村[編集]

ハッツフェルトは北と東はバッテンベルクヴァルデック=フランケンベルク郡)、南はビーデンコプフマールブルク=ビーデンコプフ郡)、西はバート・ベルレブルクノルトライン=ヴェストファーレン州ジーゲン=ヴィトゲンシュタイン郡)と境を接する。

市の構成[編集]

ハッツフェルトは以下の市区からなる。

  • ビービヒハウゼン
  • アイファ
  • ハッツフェルト
  • ホルツハウゼン
  • レディヒハウゼン

歴史[編集]

フォン・ハッツフェルト家一門は、1138年頃に "de Hepisvelt" として初めて文献に記録されている。近隣のバッテンベルク伯同様、中世盛期から工期には、マインツ大司教の家臣としてヘッセン=マイン紛争に巻き込まれた。1283年に彼らの城(現在ではほとんど崩壊している)が記録されており、その麓に1340年から都市が建設された。フォン・ハッツフェルト家のヘッセン側の傍流が断絶した後、まず1570年にその半分が、1588年と1772年に結局その全部がヘッセン家のものとなった。城は、1311年には既にヘッセン家に移譲され、レーエンとなっていた。ハッツフェルトは、1866年ヘッセン=ダルムシュタット方伯領のヒンターラントの一部としてプロイセン領となり、プロイセンの法律に従って都市権を剥奪された。プロイセン王国解体後、1950年にこの街は再び「市」の称号を回復した。

行政[編集]

議会[編集]

ハッツフェルトの市議会は、23 議席からなる[2]

首長[編集]

1989年からウーヴェ・エルミシュ (SPD) が市長を務めている。就任当時、彼はヘッセン州で最も若い市長であった。

姉妹都市[編集]

文化と見所[編集]

ハッツフェルトの街並みと聖ヨハネス教会

聖ヨハネス市教会[編集]

プロテスタントルター派の聖ヨハネス教会は、14世紀のスレート葺き木組み建築である。詳細な建造年は不明であるが、1379年の文書中にエマウス礼拝堂が「旧」教会と記述されていることから、この頃には既に新しい教会として聖ヨハネス教会が存在していたと推測される。この教会は、貴族家フォン・ハッツフェルト家一門によってブルクベルク(城山)の中腹にゴシック様式の木組み建築の教会として建造された。ブルクベルクには、1340年以降に都市権を有する入植地「タールジートルング」が建設された。祭壇のある内陣には、15世紀の後期ゴシック様式のキリスト十字架像がある。この教会は、この街で2番目に古い教会である。

エマウス礼拝堂[編集]

ハッツフェルトのエマウス礼拝堂は、ハッツフェルトの3つの教会の中で最も古いものである。おそらく12世紀に建造された西塔を有する三堂式の後期ロマネスク様式列柱バシリカ教会で、聖キリアクスに献堂された。この教会は、ハッツフェルト家の本拠地であり、12世紀後期に建設された城を含む防衛施設に囲まれた「グローサー・ホーフ・ツー・ニーダー=ハッツフェルト」内にあった。14世紀半ばに市壁を持たない市街が建設され、この場所は市街地ではなくなった。これ以後、この狭軌はハッツフェルト市民の墓地教会として利用された。ハッツフェルトのオルガン製作者ヨハン・クリスティアン・リントは、1706年に聖ヨハネス教会のために7つのストップをもつオルガンを製作したのだが、このオルガンは1868年にエマウス礼拝堂に移設された。この重要な楽器は、ヘッセンで最も古いオルガンの1つである。

カトリックの聖フベルトゥス教会[編集]

エーダー川に突き出した岩山「ラート」の上に、プロイセン王国のハッツフェルト上級森林監督官アルフレート・グラーフ・コルフ・ゲナント・シュミッシング=ケルゼンブロックが1898年に小さな礼拝堂を建設した。この信仰心篤い林務官はこの礼拝堂に聖フベルトゥス(狩猟の守護聖人)にちなんだ名を付け、その入口に大きなシカの角を取り付けた。この礼拝堂は完成後、施主とその家族の教会堂として使われた。グラーフは1936年にフベルトゥス礼拝堂に埋葬された。ここには、グラーフ本人の他に、彼の2人の子供が埋葬されている。

グラーフの孫は、1950年代にこの礼拝堂をカトリック教会に寄贈した。その後、カトリック教会の組織はこの建物を増改築された。

経済と社会資本[編集]

地元企業[編集]

ハッツフェルトには、鉄道模型の付属品を製造する Viessmann Modellspielwaren(フィースマン模型玩具)がある。2010年からは Kibri の商標に関する全権利をこの会社が保有している。

参考文献[編集]

  • Georg Dehio/Ernst Gall/Magnus Backes: Handbuch der deutschen Kunstdenkmäler. Hessen, 2. Auflage Sonderausgabe Darmstadt 1982. p. 396.
  • Erich Keyser: Hessisches Städtebuch, Stuttgart 1957. pp. 223-224.
  • Rudolf Knappe: Mittelalterliche Burgen in Hessen, 3. Auflage Gudensberg-Gleichen 2000. pp. 143-144.
  • Georg Wilhelm Sante: Handbuch der historischen Stätten Deutschlands. Band 4: Hessen, 3. Auflage Stuttgart 1976, Nachdruck 1993. pp. 203-204.
  • Alexander Thon, Stefan Ulrich, Jens Friedhoff: „Mit starken eisernen Ketten und Riegeln beschlossen ...“. Burgen an der Lahn. Schnell & Steiner, Regensburg 2008, ISBN 978-3-7954-2000-0, pp. 62-65.

これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。

引用[編集]

外部リンク[編集]