ノート:THE ALFEE

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各記述について[編集]

他のエピソード (だらだらした文章にならないように追加したい)

  • コンフィデンスの名前の由来: 生理用品(におい消しスプレー?)
  • 「アルフィー(Alfie)」の由来はフランス映画?
  • ドレミファソラ「シド」
  • 桜井さんはドラムスをやりたかった
  • デビュー後もしばらく担当楽器は固定していなかった
  • 桜井さんや坂崎さんの実家: 息子をねたに商売をしている

- Hamichan 15:14 2004年5月2日 (UTC)

やさおとこ系ヴォーカルってなんですか??

略歴をCHAGE and ASKAに倣い整理する必要がありそうです--219.60.84.88 2005年4月29日 (金) 04:39 (UTC)[返信]

> やさおとこ系ヴォーカルってなんですか??
特徴を短く表現したつもりなんですが。

  • 所ジョージさんにリンクしたい。
  • 各所、より客観的な表現に直したい。
  • "BE∀T BOYS"という表記はHEARTBREAK LONELY RAIN以降のことではないだろうか。

Hamichan 2005年7月31日 (日) 13:35 (UTC)[返信]

DNA Communication」と山川健一著「蜂の王様」の関連性--218.223.192.34 2006年7月16日 (日) 23:34 (UTC)[返信]

坂崎が、THE ALFEE下積み時代の苦労話としてよく話すウルトラマンとのジョイント・コンサート、いわゆる着包みヒーローショーと競演したコンサートが行われた、広島そごうデパートの屋上ステージは、30年近く経過した現在も、往時の姿とさほど変わりなく現存している。そのステージでヒーローショーは、現在も稀に行われることがあるが、さすがにミュージシャンとのジョイントは今はしない。夏場だけはビアガーデンとなり、素人カラオケ大会などで利用されている。

上記の文章を投稿すると218.223.192.34の人が、「逸脱した内容」であるとか「前後の文脈から考えて不要」と白紙化されます。THE ALFEEは下積み時代が長かったことはよく知られていますが、この「ウルトラマンとのジョイント・コンサート」の話は、坂崎氏がよく話す有名で面白い下積み時代のエピソードと思います。実際コンサートが行われた現場にも足を運び、当時のことを憶えとられる管理人さんの方の話も聞きました。入れても良いか、白紙化が妥当か意見を伺いたいと思います。--125.205.128.130 2006年8月5日 (土)

  • そのデパートの現在の姿とこの項目との関係がない上、過去にALFEEが演奏した他のデパート等(たくさんあるはず)について書いていくとキリがないように思います。「下積み時代にデパートの着ぐるみショーとジョイントした」「ギャラを持ち逃げされた」といった事実を苦労エピソードとして記述するのはOKだと思いますが。--220.147.166.80 2006年8月5日 (土) 23:39 (UTC)[返信]

年代順に整理されていないため記述が前後し大変分かりにくい。また、90年代以降の記述が少なすぎる。売れていなかった頃のエピソードも含めるために年代順に整理するべきだ--218.223.192.34 2006年8月25日 (金) 23:57 (UTC)[返信]

「歴史」の項について[編集]

「ヒット」の記述が適当、つまり85年以降の記述が薄すぎて、初期のヒット要因を並べるだけでその後の現実的な話題が全く触れられていないのが問題です。例えば

  • 1990年前後にXに影響されてハードロック方面に傾倒した
  • 1991年初頭に高見沢のソロ活動によりいったん活動を中断した

など、挙げればかなりあるはずです。--218.223.197.211 2007年3月21日 (水) 12:51 (UTC)[返信]

BE∀T BOYS分割について[編集]

肥大化して見辛い状況であり、分割が適切だと思われます。

--Qeasd 2008年2月11日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

  • BEAT BOYSについての内容自体はそんなに分量が多くないのと、独自のCDリリースやコンサートがない現状では「THE ALFEEと別に活動しているグループ」というわけではないので、このままでよいのでは、と思います。でも何らかの分割は必要だと思いますのでツアータイトルのリストとか、ディスコグラフィーなど分量が多い部分を別記事にするのはどうでしょう?
  • 余談ですがノートに項目を追加するときは最後の行のうしろに追加するのでは?--125.3.101.128 2008年2月16日 (土) 02:04 (UTC)[返信]
  • 修正しました。--218.223.197.211 2008年2月17日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
  • BEAT BOYSはTHE ALFEEに比べてリリース量も少なく、また、メンバー自体も(実質的に)異なるわけではないので、わざわざ別項目を作成する必要はないと思います。--ジョージ 2008年5月18日 (日) 22:26 (UTC)

出典の記載について[編集]

記事に見受けられる「~らしい」とか出典の不確かな噂と思しきものについて整理をしてはどうでしょうか。個人的な感想を文章にしたような記述もあると思います。--Topgun1997 2008年6月7日 (土) 06:03 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

記事が肥満化しているため、ディスコグラフィの項目THE ALFEEのディスコグラフィに分割することを提案いたします。--科学部の大野智 2010年1月8日 (金) 05:26 (UTC)[返信]

報告2週間たっても反対意見が出なかったので分割しました。--科学部の大野智(会話-投稿記録-メール) 2010年1月19日 (火) 06:12 (UTC)[返信]

プログレッシブ・ロックの先駆者でしょうか?[編集]

プログレッシブ・ロックの先駆者という表現は、不適切だと思います。確かに彼等の音楽はプログレッシブ・ロックですが、邦楽では先だって、四人囃子美狂乱がおりますので。--M wiki mania

だからと言って、「プログレッシブ・ロックとしては商業的に最も成功したバンドである」という表現も不適切です。「プログレッシブ・ロックの先駆者」というのも、出典がなけれな除去すべきだと思います。--Dr.Jimmy 2010年8月1日 (日) 09:09 (UTC)[返信]
それはこちらが不適切で大変失礼致しました。しかしそのようにお考えでしたら、「プログレッシブ・ロックの先駆者」という表現は除去した上での編集をするべきではないでしょうか。--M wiki mania
ではそうしましょう。それから、署名は手書きではなく、正しく行うようにして下さい。--Dr.Jimmy 2010年8月1日 (日) 23:30 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

以下の10件の記事名はプロジェクト:音楽に反しているので、それぞれ前者から後者への改名を提案します。

1週間様子を見て反対意見がなかったら移動したいと思います。--ナカムーラ 2011年5月3日 (火) 11:48 (UTC)[返信]

  • これらの作品の記事は、私が利用者登録をする前に作成したものです。この時点では、記事名の付け方についてあまり詳しくなかったこともあり、不適切なタイトルのものもあると考えています。すべての記事名が不適切かどうかはわからない部分もありますが、少なくとも『青春の記憶』については記事名を変えるのが妥当と考えていました。--旭川の自称美女 2011年5月4日 (水) 11:53 (UTC)

三宅康夫氏のパートについて[編集]

三宅康夫氏のパートについて、同氏のページではドラムになっています。 初期のアルフィーにドラムが居たとも思えないのですが、ギターとドラムどちらなのでしょうか?

1982-1983当時のサポートメンバーについて[編集]

1982年から1983年当時のサポートメンバーについて、コメントいたします。

1982年、ドラム、キーボードが参加しますが、以下の経過をたどっているはずです。

  • 久保講堂

1982年3月30日~4月1日の久保講堂で、富岡義弘(Dr)、遠藤誠一(Kb)が参加しています。 当時発行されていた雑誌「GB」のミニブックに久保講堂ライブのレポートが掲載されており、「グリコ」、「エンマ」の名前が見られます。 以降、所沢航空記念公園まではサポートメンバーは参加していないはずです。

  • 所沢航空記念公園

1982年8月6日の所沢航空記念公園でのライブですが、当時の記事ではサポートメンバー名は出ていません。しかし、久保講堂の経緯を考えると、当日もドラムは富岡義弘と考えるのが適切です。なお、キーボードは遠藤誠一、山石敬之両名です。

  • OVER DRIVEツアー(1982年秋)

1982年9月7日の大阪フェスティバルホールでも、所沢航空記念公園と同じメンバーでライブが行われています。雑誌「GB」の記事、1983年春のツアーのパンフレット写真から確認できます。

以降、年内のツアーは富岡義弘のみの同行で、キーボードは不参加と思われます。 根拠:同年10月の北海道ツアーの記事が雑誌「GB」に掲載されていましたが、そこでは富岡義弘のみが写真に写っています。また、このツアーのステージ写真は当時の雑誌にはほとんど掲載されていませんでしたが、楽譜集(人のものを見ただけなので、書名・出版社名は不明です)に掲載されていた中野サンプラザと思われる写真(特徴的なステージ上の「カーテン」が写っています)でも、ドラムのみが写っています。

  • 1983年ツアー

富岡義弘のツアー参加は1983年8月24日の日本武道館までで、秋のツアーは相沢美彦が参加しています。また、長谷川浩二の初参加は同年12月17日の渋谷公会堂とされていますが、同年12月19日の東京厚生年金会館からの可能性があります。渋谷公会堂はドラム×1でしたが、東京厚生年金会館ではツインドラムであり、長谷川浩二の初ステージへの配慮がなされたのでは、と思われます。ちなみに、同年紅白歌合戦もツインドラムでした。 --O.S.S.会話2013年11月24日 (日) 05:32 (UTC)[返信]

タイアップ一覧の一部記述について[編集]

概要欄(音楽ジャンル)について[編集]

”高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している”の箇所ですが、2024年4月21日放送の「高見沢俊彦のロックばん」(TBSラジオ)にて、自分の好きな傾向に注視してしまい、他のものを聴かないまま取り残してしまう旨(特にギタリストに多い)を挙げながら、「レゲエが駄目だった(聴かず嫌いだった)」が、「最近聴いたら、結構いいなぁ(レゲエも)」「今は聴いてますけどね」と発言されています。--203.180.194.247 2024年4月25日 (木) 05:19 (UTC)[返信]