ノート:加速度の合成と分解/削除

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  • 削除依頼を提出しました。過去の議論(ノート:力の合成と分解Wikipedia:削除依頼/力の合成と分解)から考えて、たとえこの記事の内容がまともになったとしても統合しなければならなくなると思います。なので、出来れば最初から加速度に加筆するか、ベクトル (物理)あたりに加筆するほうが履歴保存などテクニカルな面も含めてメリットが多い(デメリットが少ない)用に思います。もし、統合すべきではなく、単独の項目とすべきだと言う強固なお考えをお持ちでしたら、まず過去の議論を踏まえた上で問題提起をしていただきたいと思います。yhr 2006年4月24日 (月) 16:49 (UTC)[返信]
  • こんにちは。出来れば加速度の方に追記する方が良いと思います。あるいは、似たような話で角運動量などまだ内容が少ないので。ちなみに魔球漫画「ドリームス」で、「この魔球は回転軸が2つある!!」とかあるのですが、、回転はベクトルなんだからいくらでも分解できると思います--W.stuart 2006年4月24日 (月) 17:20 (UTC)[返信]
  • stuart氏の記事は、普段は余り、触れられない内容ですが貴重なことを分かりよく解説されていて賞賛したい。加速度の方に追記する方が良いとーーーに同意いたします。210.155.77.36
  • 加速度の合成と分解をメインにした話の展開はガリレオだったのですね。ガリレオだったらこのまま強固に記事を進めるに違いない。210.155.77.36
  • 参考文献(マッハの本)今みてたのですが、ガリレオは基本的に高校で習う公式:S=S0+v0*t+1/2*a*t^2 を用いていた様です。これなら実験から経験式として求められますから。ニュートンの運動の第2法則から運動の軌道を求めようとすると積分が必要で、ガリレオが力と加速度は関係があるとうすうす気づいていたとしても、それは実用的では無かった。そのために力の合成法則よりも加速度の合成法則の方が先に登場したと考えられます。--W.stuart
  • 運動の平行四辺形の法則とは余り聞き慣れない用語ですね。そういうものもあったとは知りませんでした。マッハ力学を読むと話の展開が極めて遅く現代人はイライラしてしまいそうです。ですが無理のない展開で名著と思ったことがあります。皆様にもお勧めしたい。210.155.77.36

自然な発想?[編集]

  • 「力は目に見えないのに対して経過時間、運動した距離、速度、加速度は明白に観察し計測できるのでこれらの相互の関係を調べ、物の運動の掟を探求することは自然な発想で先人が試みてきた。」という記述ですけれども、ガリレオの時代にこれらが自然な発想であったとする根拠はなんですか?yhr 2006年4月29日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
  • 既に多くの事を知る者にとっては、雑多な情報や知識が災いして、返って、素朴な実験手法が奇異なものに映る恐れがあります。なんの先入観もない、ガリレオの時代の先人であれば計測対象としてこれらをまず選択すると思われるというのがそれで他に根拠が特段にあるとはいえないがおかしな考えですか。
  • ガリレオ時代の人間が何の先入観も持っていないと考えることが間違っていると思います。当時の人間にとっても少なくともアリストテレスの自然哲学にまでさかのぼれるだけの、運動学に対する論考の蓄積があったはずですし、それはガリレオの運動に関する考察とはかけ離れたものでした。もし、そのような背景を無視してガリレオの時代にそのような考え方にいたるのが自然だと考えるならば、何もガリレオを待つ必要が無いと言うことにもなりかねません。少なくとも僕には、今回の加筆内容が百科事典に記述するに値するほど明白な事実であるとは思えません。yhr 2006年4月29日 (土) 16:02 (UTC)[返信]
  • アリストテレスの自然哲学には実験による手法が採用されているという事は聞いたことがない。空理空論を弄ぶだけのことだったようである。運動学に対する論考の蓄積ーーーと言っても頭だけの屁理屈を捏ね回すものであって殆んど現実の事象には合致しないものである。ガリレオが現れて初めて実証的物理学が出来たと言えるのでガリレオを待つ必要があったと言える。動力学の発展過程からガリレオを無視することは出来ず、特に「力を導入せずにある程度の成果をえたことは今となっては返って新鮮な手法であるともいえる。その意味でも加速度の合成と分解は極めて重要であると思う。要は運動学の歴史に沿って解説の記事を書くほうが良いか、あるいはいきなり、最新の完成した運動理論を紹介することをよしとするかの選択をどうするかということにもなる。無味乾燥な物理理論が良い者は後者を選べばよいでしょう。
  • えーとね。実験的手法を採用すること自体が当時としては常識はずれで自然じゃない発想なんじゃないかって言う指摘なんだけど、その点どう思いますか?僕の疑問と言うのは、あくまでもその発想を「自然」の一言で片付けるることの妥当性であって、それ以外には言及していないつもりですけど。僕自身、物理学史的な記述はぜひとも欲しいところなんだけれども、自分で書けるかといったら、いくつか啓蒙書を読んだ程度では到底執筆など出来ないので躊躇しているのです。百科事典の記事を書くならば、少なくとも嘘をつかないという意味において正確性を保つ努力をしなければならないと思うんですが、僕の目には件の文章はかなり怪しく映りました。yhr 2006年4月29日 (土) 17:50 (UTC)[返信]

実は質問の意味がよく理解できなかったので変な回答となったかも知れない。 自然な発想とは言い換えれば無理のない思いつきとでも言えよう。ここでの自然な発想とは経過時間、運動した距離、速度、加速度を観察の対象にすることをいう。なにか別の意味に受け取られたようです。210.155.77.36

  • :このことに関して根拠を挙げろといわれても困ってしまうんだけれど、実験・観測をガリレオほど重視した人間と言うのは、彼の前にはいなかったと思うんですよ。あるいはいたのかもしれないけれど、後世に名を残してはいない。つまり、観察すると言うこと自体が非常識であったんじゃないかな。もちろん、測れるものを測っただけと言う味方も出来るけれど、それは後世の常識に照らし合わせた考え方であって、当時そのような考え方が自然な考え方であったと言うことにはならないのではないのかな。yhr 2006年4月30日 (日) 04:43 (UTC)[返信]

いくつかコメントしておきます。

  • 加速度は力と同じく明白に測定できるものではありません。記事中にも書かれている通り、ストロボや紙テープなどを用いた実験が必要でかなり煩雑です。ガリレオの時代に測定可能なのは時間と位置だけで、速度ですら微妙です(微分の概念がないので平均の速度しか求められない)。加速度の概念が成立するのはニュートンが微分法を発明した後からです(ニュートン自身は運動量の微分を使っていて、加速度そのものは扱っていないらしいですが)。
  • アリストテレスの位置づけは微妙な面があります。アリストテレスの考え方は例えば鉄の玉と羽根を比較すると鉄の玉は速く落ちる。よって重いものほど速く落ちる。物を転がすとだんだん遅くなり、止まってしまう。よって動いている物体は徐々に止まる。といったものですが、前者では空気抵抗が、後者では摩擦が無視されています。アリストテレスの自然科学というのは、机上の空論というわけではなく、実験観察に基づいてはいますがその解析が甘いために不正確な結論を導いただけといえます。アリストテレスの導いた結論は聖書中心主義に取り入れられて教条的にされたために誤解を招いている面があるようですが、ロジャー・ベーコンガリレオ・ガリレイの実験主義はアリストテレス(の方法論)への回帰とも言えると思われます。しかし、当時のカトリックの聖書中心主義に反して「実験してその結果を真理とする」という行為自体が当時「自然な発想」であったとはいえないでしょう(だからこそ彼らは異端とされたわけですし)。今の文章表現では実験してその結果を受け入れること自体が、普通に試みられていたように受け取れるため問題があります。銀猫 2006年4月30日 (日) 07:15 (UTC)[返信]

記述の移動・記事の統合について[編集]

  • かな遣いが昔風だから読み辛いだけで、210.155.26.190さんのおっしゃられたい事は判ります。ところで、このページの扱いを任せる、とYhrさんが言ってくれたのは嬉しいのですが、、、今すこし忙しくてちょっと判断できません。(><)コピペでいいなら加速度に移しても良いと思いますが、履歴保存の無いコピペは削除対象になるとか、細かいルールはあまり把握していないのです。--W.stuart 2006年4月29日 (土) 17:32 (UTC)[返信]
  • 節を分けました。W.stuartさんが執筆されたことが明らかな部分に関しては、著作権保持者によるリライセンス扱いですのでコピペでも権利上・ライセンス上の問題は無いと思います。それ以外の部分、IP氏の執筆された冒頭部分も含む形での移動を考えるならばWikipedia:記事の分割と統合に従うのが良いと思いますが、Wikipedia:削除依頼/加速度の合成と分解にも書いたように、履歴をたどるのが難しくなるのは好ましくないと考えますので、それぞれ個別に対処していただいてこの記事自体は削除と言う形をとるのがよいのではないでしょうか。yhr 2006年4月29日 (土) 17:50 (UTC)[返信]
  • 自分で読んで意味がとり辛かったので補足しますが、それぞれ個別に対処とは、W.strartさんとIP氏がそれぞれの執筆部分だけをそれぞれの責任において転記すると言う意味です。これならば、履歴保存義務上の問題は生じませんので、面倒なことは無いと思います。yhr 2006年4月29日 (土) 18:02 (UTC)[返信]
  • オリジナルの記事を加速度に盛り込んで統合できる兵者が現れることを期待したが一番安易なな削除という誰にでもできる安易な道を選ばれてしまった。W.stuart氏には折角のご記事を提供していただいたのに申し訳ない。少しでも物理的素養がある管理人なら、こんなにも早く全面的削除はしない思う。管理人には分野別に試験を課したほうがよいのではないか。よい記事が消えるのは残念。
  • もたもたしてたら駄目ですね(><)。僕の手元には文章データなどは残っていないので、どなたか内容を覚えていらっしゃるなら、加速度へのコピペなり加筆なりでも、僕としては構いません。復帰依頼までは必要ないかなあ、と。あの内容が本当に必要とされるなら、またいつか誰かが書くでしょうし。ウィキペディアにはもっともっと物理系の書き手が必要だとは思います。文系の項目みたいに盛り上がればいいですけどねー。--W.stuart 2006年5月4日 (木) 03:48 (UTC)[返信]


加速度の合成と分解 - ノート[編集]