ノート:副島隆彦

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保護は無用の理由[編集]

2005年5月19日 (木) 09:37の版で『人類の月着陸はなかったろう論』に関する記述が削除されてたので、元に戻しておきました。副島隆彦氏を語る上で、この書は重要な位置づけを持つと思うんですが。210.139.1.226 2005年5月19日 (木) 09:51 (UTC)[返信]

副島氏自体が別に重要ではないので保護しなくてもよいと思います。
  • 他の重要な部分の訂正(例えば研究社との裁判の記述)が行えない。
  • あったことはあったことだから、『人類は~』を消すことはおかしい。副島氏の主張は、「科学的な正確さ」さえ懐疑することだから、むしろ削除は逆効果。
保護を申請した者ですが、対話の申し入れを無視して何度も記述を消す方がいましたので、保護する必要があると判断しました。過去ログをチェックしてみましたが、過去にも同様に勝手に記述を消したり、公式サイトへのリンクを書き換えたりする悪戯が絶えなかったようですね。210.139.1.226 2005年5月23日 (月) 10:41 (UTC)[返信]

批判箇所は削除すべきだ[編集]

問題となっている箇所について、批判的な記述箇所は削除すべきだ。 理由を以下に述べる。

まずと学会というのが胡散臭い。 また、と学会以外は各所となっているが、各所というのは曖昧だ。 胡散臭いものと曖昧な表現とでマイナスの情報を記載することは、 事実を述べることよりも誹謗することを優先していると訝られても仕方ない。

何度も記述を消す者がいた一方で、何度も記述を続けた者がいるからこの様な事態になった。 この事態を避けるために、ノートへ誘導し、議論して答を出すことを求めたものだと考える。 議論を求めているのであれば、それはつまり、どこかで妥協する考えを持っているものと理解する。

以上のことから考えると、問題となっている箇所のうち、批判があった云々の部分の記述は削除するべきだ。 どうしても本のことが書きたいのなら、出版されたことの記述だけで止めておくのが紳士的だ。 お互いにそこで妥協するべきだと考える。--以上の署名のないコメントは、220.96.98.230会話/Whois)さんが 2005年5月23日 (月) 13:09 (UTC) に投稿したものです。[返信]

と学会は、トンデモ本を評論する団体としてそれなりに認知されている組織であり、胡散臭いというのは決め付けだと思います。
それに、「アポロの月着陸はアメリカの情報操作による嘘だった」という副島氏の説は、一般的な科学的常識からは著しく逸脱しており、と学会でなくとも定説を支持する一般的な科学者には受け入れがたいものがあります。「科学的間違いに満ちていると各所から批判」と言われても仕方ないと思いますが。
ウィキペディアが副島氏の業績の宣伝場所ではなく百科事典である以上、副島氏に批判的な意見があるのなら明らかな中傷でない限り両論併記するのが中立的立場というものではないでしょうか。210.139.1.226 2005年5月23日 (月) 13:37 (UTC)[返信]

「地球が太陽の周りを回っている」というガリレオ氏の説は、一般的な科学的常識からは著しく逸脱しており、定説を支持する一般的な科学者には受け入れがたいものがあります。「科学的間違いに満ちていると各所から批判」と言われても仕方ないと思いますが。  ・・・各所って一体何なんだ・・・。

まず、ノートで発言する時はちゃんと署名をしてください。半角で~~~~と入れることで自動的に署名となります。あと、Wikipedia:中立的な観点にもちゃんと目を通しておいたほうがよろしいかと。
副島氏のアポロ捏造説を批判する人を具体的に挙げろというのであれば、たとえば副島隆彦の公式HPである『学問道場』の掲示板にも間違いを指摘する人が何人も来ましたしamazonのカスタマーレビューでも非科学的だと批判するレビューが多数載ってますし、2ちゃんねるでもかなり批判の声が上がりましたよ。あと、副島氏個人に対して書かれてるわけじゃないですが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)のホームページにも人類は月に行っていない!?というコーナーが設けられ、月着陸捏造説を否定しています。少なくとも、副島氏の意見を絶賛する声が世間に満ちているとはとてもいえないと思いますが210.139.1.226 2005年5月23日 (月) 15:17 (UTC)[返信]

署名なしの批判を並べても具体的に挙げたとは言えんでしょ(笑) 2ちゃんねるっておいおい(笑)この場所を匿名掲示板のレベルにまで貶めたいのですか? JAXAなるものの意見も客観的な批判とは言えんでしょ。ある意味NASAと共通する立場に位置してるんだから。 絶賛する声が世間に満ちることは難しいことですね。誰の説であれ。 だからといって各所で批判されてるとまで言い切るのは行き過ぎでしょう。 正直この程度か、という印象です。 私には、あなたがこの場所を荒らした最大の当事者に感じられますが、いかがでしょうか。

署名のある「と学会」やJAXAからの批判は「胡散臭い」「信用できない」と断定し、無記名の批判は「具体的でない」と断定する貴方のほうが不誠実だと思いますが(学問道場の投稿者には、ちゃんと自分の個人情報を明かした人もいました)。
繰り返しますが、副島氏を絶賛する人だけではなく、批判する人がいる以上、両論を併記して中立的な記述を保つのがウィキペディアのルールです(Wikipedia:中立的な観点)。ウィキペディアの編集に参加するのであれば、ルールに従うべきではありませんか。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 03:34 (UTC)[返信]
追記
試しにGoogleで「トンデモ 副島隆彦 アポロ」のキーワードで検索してみたら4,280件が引っかかりましたけど、これでも「各所から批判」ということにはならんのでしょうか。もちろんこの中には副島氏を支持する人の記事もありますけど、かなりの割合が批判側ですよ。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 06:29 (UTC)[返信]

誤解されてるようですが、私がこのノートに書き込むのは今日が初めてですよ。上で批判箇所を削除と書かれている方とは別人です。JAXAからの批判は立場的に採用するべきでないと言ってるのがお分かりにならないですか?貴方の書き方には中立を踏み越えたものを感じるので、荒らしの当事者のような印象を受けてしまうのです。絶賛を受けるという極端な表現を持ち出されて、それがないことを根拠にするのも飛躍を感じます。もう少し冷静な表現が出来ないものでしょうか。219.66.137.27 2005年5月24日 (火) 08:04 (UTC)[返信]

「と学会」を「胡散臭い団体」だから批判とはいえないと主張する方がいたので、日本の公的機関であるJAXAと、一般市民の声である2ちゃんねるやAMAZONでの評価を挙げたのですが、民間団体、国家機関、一般市民、そのいずれもが批判として取り上げるに値しないというのでは、なにをもって副島氏が批判を受けていることになるのでしょうか。そもそも、JAXAは文部科学省所管の団体であり、当事者だからJAXAが信用できんというのであれば、日本の文部科学省の管轄する科学教育を受けた人間全てが信用できないということになるのと思いますが?(実際、副島氏は自身に対する批判者を「米国の国家的犯罪に加担するエージェント」と主張してますが)
ちなみに私の主張は現在保護されているのと同様に、「副島隆彦の『人類は月にいっていなかった論』は(と学会のような)現代科学陣営からは非科学的だと批判を受けている」という趣旨の記述を残すべきだというものです。
現に批判が存在する以上、批判箇所を削除してしまっては副島氏の評価に対する中立性が失われるのではないでしょうか。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 08:35 (UTC)[返信]

議論に参加するつもりはないのですが一点だけ。挑発的なコメントは結論を導くことに何の役割も果たしません。相手を尊重した議論をお願いします。tanuki_Z 2005年5月24日 (火) 08:13 (UTC)[返信]

昨日、「批判箇所は削除すべきだ」と書いた者だ。今日ははじめて書く。 このウィキペディアというサイトは、記載対象となる人の主張が、 現在広く支持されている説を逸脱しているかどうかを議論する場所ではないはずだ。 それは、このノートでもそうだし、本文に至っては尚更だ。 昨日のガリレオのたとえでヒントを出したが、何も答を得なかったのだろうか。 それとも、彼が非中立で不条理な裁判を受け、姿の見えない多数意見に苦しんだ歴史を知らなかったのだろうか。 我々はここを、憶測や噂話、またそれらによる誹謗中傷が飛び交う状態にするべきでない。 それを避ける方法を案じなければならない。 その方法を考えているときに、2ちゃんねるの書き込みを持ち出してくるから驚いた。 自分の意見と反対の立場をとる人と折り合って、合意を形成しなければ何も生まれない。 紹介されていたリンク先に目を通した。 複数の人間が匿名の掲示板に書き込むときに、中立性を維持していくことが如何に困難であるかを思い知らされる長さだった。 紹介した人も、今一度再読して、その長さの意味を噛み締めてもらいたい。 そしてまた、中立の意味と、それを維持する方法とについて、考えてもらいたい。 合意を形成するための努力が必要だ。 私事で恐縮だが、今日はもう書けない。冷静な解決を望む。220.96.98.230 2005年5月24日 (火) 11:10 (UTC)[返信]

ガリレオでたとえるならば、「ガリレオはこう主張した」「それに対して教会はこう否定した」の両論を併記すべきでしょう。ガリレオの主張だけを書いて教会の主張を削除したのではガリレオに加担することになって中立にはなりません。ガリレオの主張と教会の主張のどちらが正しいかは両方を読んだ読者に判断を委ねるべきです。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 11:23 (UTC)[返信]

この文章を書いた人は、「『トンデモ本』=正しい」という前提で書いています。たとえば「小林よしのり」さんもウィキペディアに載っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A しかも小林さんは、『トンデモ本の世界R』(太田出版)で、「と学会会長」山本弘さん自身が批判しています。しかし、ウィキペディアには、「とんでも本」という批判は載っていません。むしろアマゾンの書評には「と学会・山本弘会長こそナンバーワンのトンデモさんだった!」と書かれています。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872336089/249-8419163-6689917 私の意見としては、一方的に断罪するような文章を載せるのはおかしいと考えています。

改定案を2度ほど書かれているが、真面目に批判記事を併記しようとしているとは感じられない。 ガリレオに対するカトリック教会が、この場合はと学会や2ちゃんねるになると考えているのか? 本気で合意を形成する意思があって保護を申請したのだろうか。220.96.98.230 2005年5月24日 (火) 22:33 (UTC)[返信]

改訂案[編集]

とりあえず219.66.137.27さんの意見を参考に書いてみましたがどうでしょうか。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 08:52 (UTC)[返信]

また、2004年には人類月面着陸を論考した『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版した。この本の内容は現代科学の常識を大幅に逸脱しており、現代科学信奉者(例:と学会)からは科学的間違いに満ちていると批判を浴びたが、科学的常識そのものを懐疑すべしというのが副島の主張である。

「科学の常識を大幅に逸脱」という表現が大仰ですね。過剰な表現は却って説得力を失うものです。私の意見を参考にされるのであれば、まず過剰な表現を控えることと、不確かな根拠でもって決め付けた書き方をしないということになると思いますが、貴方が書かれたものを読むと、そのようなものが伝わってこないので残念です。貴方は中立的立場を守ることをたびたび主張されており、それについては私もまったく同意なのですが、現実に貴方が書かれているものを読むと、本気で中立的な記述を求めているようには感じられないので、幾たびか指摘させていただいているのです。2ちゃんねるやamazonを一般市民と書かれてますが、これについても私の指摘を正しく理解されてないようですね。匿名の掲示板での書き込みは、量に関係なく採用に値しないということを言っているのですが、お分かりいただけませんか?  「日本の文部科学省の管轄する科学教育を受けた人間全てが信用できないということになるのと思いますが?」という部分をご自分で読み返されて、大いなる飛躍をお感じになりませんか?219.66.137.27 2005年5月24日 (火) 09:40 (UTC)[返信]

副島氏の主張が、現代科学を大幅に逸脱しているというのはそれほどオーバーな表現では無いと思いますが。
  • 「宇宙遊泳というのは、地表から100キロメートルぐらいの高度が低く空気の十分ある安全なところで行なわれたのではないか。」
空気の十分にある場所では大気の摩擦熱で宇宙船は燃え尽きてしまうし、高度100キロメートルならばほぼ真空。
  • 「アポロが月から持ち帰ってきた月の石は、科学的分析は公表されていない」
東京大学を含め、世界中の研究機関に分けられ、論文が発表されている。
  • 「30年前に本当に月に行けたのなら今もすぐ行けるはずだ」
アポロ計画には当時の日本の国家予算並みの莫大な予算がかけられており、現在のNASAの予算では無理。
といった感じで、科学的見地から見たらおかしい事だらけです。いちいち間違いを指摘するのは無理ですが、ネット上だと、[1]の752以降で、詳細なツッコミがされてますね(匿名掲示板の発言だから信用できないかもしれませんが)。
あと、JAXAは、文部科学省の傘下にあり、日本における唯一の宇宙開発の権威です。そのJAXAの反論が「当事者の反論だから反論として認められない」というのでは、JAXAや文部科学省に連なる日本の宇宙開発研究者全てが『当事者』ということにはなりませんか。少なくとも私は、正規の理系教育を受けた宇宙開発関係者で、人類の月着陸を否定する人がいるとは聞いたことがありません。
いずれにせよ、「現代科学が正しいのか副島氏が正しいのか」という点にまでは踏み込むつもりはないのですが、
  1. 副島氏の主張は現代科学の定説とは大幅に違う
  2. 現代科学側はアポロ月着陸否定論を「非科学的」と批判している
の2点は明確にすべきだと思います。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 10:59 (UTC)[返信]

改訂案2[編集]

とりあえず指摘を考慮して書き直してみました。210.139.1.226 2005年5月24日 (火) 12:06 (UTC)[返信]

また、2004年には人類月面着陸を論考し、アポロ計画アメリカの国家的謀略であるとする『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)を始めとする日本の宇宙開発関係者は月着陸捏造論は科学的に間違っているとしているが、「JAXAはNASAの手先であり信用できず、科学的常識そのものを懐疑すべし」というのが副島の主張である。

私の改訂案[編集]

また、2004年には人類月面着陸を論考した『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版したが、本の内容に対して一部で批判的な意見も見られた。221.170.32.155 2005年5月24日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

他の方が構わないのなら私もこれでいいです。210.139.1.226 2005年5月25日 (水) 05:53 (UTC)[返信]

一部の批判というのも不要ではないか?批判があれば必ず記載しなければ中立を保てないということではないわけだし。220.96.98.230 2005年5月25日 (水) 11:25 (UTC)[返信]

勝手に『私の改定案』なんて書いたものです。みんなが妥協できる案をってことで考えたんだけど、書いたあとも議論が続いていて、みなさんの意見をじっくり読んでました。そうして、批判のところは書かない方がいいと考えるようになりました。批判がなければ中立を守れないか。いいやいつもそうってわけじゃない。ということが、みんなの意見を読んで分かったのです。ということで上の案は削除します…。みんな忘れてくださいな(^0^;221.171.42.156 2005年5月27日 (金) 14:11 (UTC)[返信]

批判は記述するべきでないと思います[編集]

これは他の人も指摘されてますが、と学会で批判されているかどうかは、このウィキペディアで必ず明確にしなければならないことなのでしょうか。210.139.1.226さん流の極論でいけば、と学会で批判された人は、全てこのウィキペディアでそのことを書かなければならないことになってしまいませんか?私はもちろんその必要はないと考えています。ウィキペディアはトンデモ本ではないのですから。と学会の批判を掲載したからといって、中立を守ったことになるとは思われません。

現代の科学から逸脱しているかどうかは、本を読んだ人が判断することです。現代科学の常識という言葉を使われていますが、常識と考えられているものも、また覆ることだってあるわけで、絶対的「正」という立場からの記述は、適当だとは思えません。

本の内容に関して、このノートで色々書かれていましたが、やっちゃいましたね(笑)現代科学の信奉者という表現も使われてました。科学は信じ奉るものなのでしょうか?宗教裁判の話が出ていましたが、210.139.1.226さんの発想には、中世的な部分がありませんか。信奉者とか定説とか常識などの表現を用いて、本の内容に関する記述をすることは、このウィキペディアでは不適当だと考えますがいかがでしょうか。

ここは副島氏の宣伝の場所ではないと書かれてました。このウィキペディアでは多くの人が紹介されています。それらの人はみな、多かれ少なかれ、どこからか批判されているものです。だからと言って全て批判的意見を載せればよいということにはならないと思います。却って真実が見えにくくなるものだと思われます。中立を守るためにも、批判を記述する際には、慎重になるべきだと思います。

以上 219.66.135.212 2005年5月25日 (水) 00:26 (UTC)[返信]

横レス失礼します。どうも小さな誤解があるようなので一言。と学会はトンデモを「批判」をする団体ではありません。と学会はトンデモな著作や存在を「面白い/興味深い/趣ある」と思い、「観賞」する団体です。--Corwin 2005年5月25日 (水) 00:43 (UTC)[返信]

210.139.1.226さん出てこなくなっちゃいましたね。具体的な批判記事を探してらっしゃるのでしょうか。 とりあえずと学会絡みの記述は削除するのが適当でしょうね。それから、参考文献の項で『トンデモ本の世界S』との記載がありますが、これも削除するのが適当でしょう。トンデモ本で紹介された人や本のところ全てに、参考文献としてトンデモ本を記載する必要があるかといえば、そんなことはないと思いますので。ネット等での各所からの批判という記述も不適当でしょう。AMAZONの書き込みでもって、山本弘氏をナンバーワンのトンデモと紹介することが中立的である、なんてとても言えないことと同様に。またJAXAからの批判は、副島氏に対して直接なされているものでないということなので、本章で取り上げるのはこれまた不適当でしょう。219.66.111.39 2005年5月25日 (水) 09:50 (UTC)[返信]

別にいなくなったわけじゃなくて2005年5月25日 (水) 05:53 (UTC)にも投稿してますけど。
「具体的な批判記事」と言われましても、「JAXAの反論は当事者である以上採用できない」と禁止されては日本の宇宙開発関係者は全員JAXA関係者(JAXAは日本唯一の宇宙開発機関)なので、彼らの発表した資料・書籍を採用できない条件では反論不可能です。一応、グーグルで検索してみたら読売新聞の書評[2]で取り上げられてるのは発見しましたが。
これ以上続けても「JAXA(NASA)の発表が信頼できるかできないか」以上の議論は無理だと思いますが。210.139.1.226 2005年5月25日 (水) 10:53 (UTC)[返信]

JAXAは副島氏個人に対して批判をしていたのですか?210.139.1.226さんにお聞きします。219.66.111.39 2005年5月25日 (水) 23:38 (UTC)[返信]

「アポロ着陸捏造論」を批判していたのだから対象は副島氏も含むでしょう。そもそも、科学的事象に関する議論というのは「どんな意見か」という内容が重視されるんであって、「誰が言ったのか」なんてことはどうでもいいことです。「副島隆彦」という個人が批判されてるのではなく、「アポロは月に着陸していない」という副島氏の主張内容が批判されてるんです。
このノートに参加してる人たちは「当事者の反論だから」「と学会の反論だから」「匿名の発言者だから」と、反論内容とはまったく関係ない発言者の身元にこだわる人が多いようですが、物理法則が発言者のイデオロギーで左右されるものではない以上、そんなことにこだわっても無意味なんですが……
始める前ははっきり言って、ここまで根本的に理屈が食い違ってるとは思わなかったんで、議論の継続は厳しいと感じてます。210.139.1.226 2005年5月26日 (木) 13:52 (UTC)[返信]

たとえば、物理法則がイデオロギーで左右されないということだって、ほとんどの者がそれを正しいと考えているだろうが、しかしそれでもやはりそれは個人個人の考え方でしかなく、絶対ではないのだ。それを絶対という前提で論評しようとしている貴殿の姿勢が、中立を踏み越えているのだ。

中立性の維持を貴殿はさかんに説かれたが、そのためにも、掲載する論評が誰の意見であるかを明確にする程度の慎重さは、省くべきではない。それは肯定的論評であっても否定的論評であっても同じことだ。誰の意見かが明確に出来ないが、それでも書く必要がある場合は、「議論を呼んだ」程度の書き方に抑えることが望ましい。

「アポロ計画」というタイトルのページがあるが、貴殿が書きたいと考えていることは、そちらの方がまだ幾らかは掲載される余地があるのではないか。少なくともここよりは。

220.96.99.117 2005年5月26日 (木) 23:04 (UTC)[返信]

私は当初から「批判があるか・無いか」だけを問題にしてきたつもりですが、「誰からの批判か」と聞かれればJAXAやと学会といった「現代科学の定説を採用する側」としか言いようがない。そのJAXAやと学会の批判意見が取り上げるべきではないというのであれば、誰からの批判なら取り上げる意味ががあるのか疑問です。これは実質的に「批判があってもそのことは書くな」と言ってるも同然では。210.139.1.226 2005年5月28日 (土) 05:01 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかより引用

むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。これは全て論争をフェアーに説明するという任務の一部です。

>私は当初から「批判があるか・無いか」だけを問題にしてきたつもりですが
これは嘘だな。
少なくとも最初は、副島氏の主張を否定することを目的にしているという印象を受けた。

>「誰からの批判か」と聞かれればJAXAやと学会といった「現代科学の定説を採用する側」としか言いようがない。
具体的な材料が今まで挙げたものしか無いなら批判を書くことは諦めるんだな。
これについては、もう何度も説明したから、繰り返す必要もあるまい。

>誰からの批判なら取り上げる意味ががあるのか疑問です。
公平であることを第一に考えれば、取り上げるべき論評と、そうするべきでない論評との区別はつくはずだ。

>これは実質的に「批判があってもそのことは書くな」と言ってるも同然では。
そんなことは誰も言っていない。すぐ飛躍するのが貴殿の悪い癖だ。
みんなは貴殿に、もっと慎重になれと言ってるだけなんだよ。

Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかより引用
>(以下略)
当然のことを書いているだけだ。 ただ今回は、説明の仕方と場所に問題があったんだな。
前にも書いたが、「アポロ計画」のところでやればいいんじゃないのか?

220.96.99.117 2005年5月29日 (日) 15:08 (UTC)[返信]

最終合意のための案[編集]

いつまでも保護していても編集できないだけなので、そろそろ最終合意をはかりたいと思いますがいかがでしょうか。 批判記事は削除すべきだという主張に対して、削除すべきでないと主張していた210.139.1.226さんから反論が出てこないので、 批判記事を削除するということで決着することを提案したいと思います。 具体的には以下の2点です。すなわち、

  • 文章の改訂(本の出版にとどめ、批判に関する記述は削除する)
2004年には人類月面着陸の真偽を論考した『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版した。
  • 参考文献の項でのトンデモ本の記述の削除

219.66.134.50 2005年6月2日 (木) 04:18 (UTC)[返信]

何の反応もありませんね。いっときはここもなかなかの盛況だったのに。 まあ結論を急いで不満もたれてもいけないし、といってだらだらこの状態をつづけるべきでもないので、 あと1週間待ちますか。来週金曜日の日本時間午前9時までに最終合意案に対する有効な新しい反論がなければ、 最終合意案でもって、この編集に関わった人たちの総意と見なして決定し、保護解除の申請をしましょう。 勝手に仕切ってますけど、仕切らないと何も進みませんからね(笑) 219.66.134.50 2005年6月3日 (金) 00:04 (UTC)[返信]

今まで見ていましたが、批判されているという事実を削除するべきではないと考えます。言い回しはどうあれ、批判を受けた事実は書くべきでしょう。また、参考文献に『トンデモ本の世界S』を挙げるのは適切であると思います。 -- NiKe 2005年6月3日 (金) 23:49 (UTC)[返信]

結論だけじゃなくて、そう考えた理由を書かなきゃな。今まで見てたなら難しいことではなかろう。220.96.99.117 2005年6月4日 (土) 02:42 (UTC)[返信]


状況変わってます。http://www.togakkai.com/news/nikki.php  最終合意とかそういう段階じゃなくて、何やってもフレームの種にしかならないので最低半年はこのまま寝かせておくべきです。


議論を放棄したり、理由もなく結論だけ書いたり、だらしない発言が続くな。爆発するのを待つしか出来ない程度の知能ではないだろう。要は関係あるものと関係ないものとを区別して、関係ないものを無視すれば良いだけのことだ。何が関係あるかないかは、みなが中立的立場に立って考えてみても、それぞれ考えが異なるだろう。しかしここが合意を形成する場所であるなら、その前提で人間が議論すれば、それほど悩むことでもない。リンク先を見た。と学会が胡散臭いのは変わらないが、大賞という評価であれば特筆する理由になると考える。220.96.99.117 2005年6月5日 (日) 17:56 (UTC)[返信]

理想と現実の齟齬が理解できない御仁はこれだから。とりあえず、「合意を形成する」ことが不可能である状態には変わりないかと。この種のフレーム自体が「信念」というやっかいな代物から発している以上、ここで「合意」なるものを形成しても再び編集合戦に陥るのは火を見るよりも明らかです。中立と言うより、傍観者の立場に立って考えると、一旦この項目自体を削除する必要もあるのではないかと考えますが如何。

ネット上で匿名同士が合意を形成していくことの難しさは、皆さん承知の上ですよ。それでも議論の努力だけは省略しないようにしているのです。合意を形成するのが初めから不可能だというなら、半年経っても同じことだし、そもそも保護すること自体が無意味です。それどころかこのwikipedia自体が成り立たなくなるのですが、それを承知の上でその文章を投稿しようとしたのでしょうか。傍観者の立場を貫くなら発言は控えるべきだし、議論に参加する意思があるなら項目削除などという無責任な発言をするべきではありません。まずご自身の立場を明確にしてから発言するべきと考えますがいかがでしょうか。61.196.44.178 2005年6月6日 (月) 03:14 (UTC)[返信]

このwikipediaにおいて、編集合戦で保護されている項目におおむね共通する要素は、思想的に対立要素を抱えているか、社会的合意という点で揺れているかだと小生は考えております。後者の場合、社会的合意が為されれば無茶な編集は単なるいたずらという話になって、一般的な内容で固定されるものと考えております。副島氏のアポロ騒動については、JAXA殴り込みなどのいささか物騒な話も聞こえてきておりますし、こういう状況になっている以上、この件について氏と批判側の議論があるていど交わされるまでは氏を学者として扱うのか、それともいわゆる電波系オヤジとして扱うのかという観点ですら保留せざるを得ないと考えます。それこそ冷静に中立の立場で、「社会的合意」の形成を待つしか出来ることは無いでしょう。もしくは一度全部白紙に戻すか。為にする議論しかできない状態で議論を行うのは、議論の努力ではなく混乱を導く行為でしかないかと。先に「半年程度」と書きましたが、論理的な議論であればその程度の時間で状況が見えるであろう、という見込みでの期間設定です。


第14回日本トンデモ本大賞受賞作 人類の月面着陸は無かったろう論

揶揄はともかく、具体的に誤りが多々指摘されている状態ですね。これで批判に全く触れないというのはかえって無理があると思うのですが。 -- NiKe 2005年6月7日 (火) 01:50 (UTC)[返信]

日本トンデモ本大賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E8%B3%9E
を見ると、
第2回(1993年)横田順彌
言及なし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E9%A0%86%E5%BD%8C
第3回(1994年)大槻義彦
1994年、と学会より日本トンデモ本大賞特別賞を受賞した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A7%BB%E7%BE%A9%E5%BD%A6
第6回(1997年)松平龍樹
言及なし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E9%BE%8D%E6%A8%B9
第8回(1999年)五島勉
1999年、と学会より日本トンデモ本大賞特別功労賞を受賞した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E5%8B%89
第12回(2003年)森昭雄
一方では科学的な間違いが多いと指摘され、「トンデモ本」と批判されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%98%AD%E9%9B%84
と表記がバラバラである。
よって現行通り、
「言及なし」か「2005年、と学会より日本トンデモ本大賞を受賞した。」
と記述しておけば良いと思う(森昭雄も同様)。

電波系オヤジとして扱うということが具体的にどういうことなのか分かりません。学者の場合とどういう区別になるのでしょうか。219.66.134.86 2005年6月9日 (木) 09:23 (UTC)[返信]

約束していた日本時間2005年6月10日金曜日午前9時が過ぎました。上の質問に対する回答を待ちたいと思います。219.66.134.86 2005年6月10日 (金) 00:23 (UTC)[返信]

↑( ゚Д゚)ポカーン。副島氏自身の掲示板を見ていても思うんだけど、基本的に人の話を聞いていないのでは?>副島氏に明らかに好意的な態度を取られる方々全般

副島氏に対して好意的なのか悪意的なのか、などという見方で見ない方がいい。見るべきことが見えなくなるだけだから。みんなちゃんと聞いているから思うのまま書けばよい。みんなが自分の話を聞いてくれてないと思うのなら、そう思った理由をまず書いてみよう。不満を言うのはその後でも遅くない。218.43.128.190 2005年6月10日 (金) 13:47 (UTC)[返信]

評価(社会的合意)が定まるまで待つべきという姿勢で臨むことはいいことだと思います。 しかしだからといって、それまで何も書かないというのは同意できません。 評価が定まらない事項は項目ごと削除するということになれば、wikipediaはとても魅力のないサイトになってしまうでしょう。 評価が定まっていない状況で、さも定まった評価があるかのような書き方をするとすれば、それはよくないことです。 それについては慎重に、社会的合意が形成されるまで待つべきでしょう。 つまり書き方さえ注意すれば、書くことは問題なく出来ることなのです。項目を削除する必要はありません。

どうも論点がずれていると感じてましたが、昨日のお言葉でそのことがよく分かりました。 いまこのノートでは、副島氏や副島氏の説を肯定するか否定するかの議論をしているわけではありません。 副島氏やその説に対して、世間の評価が定まっているかのような印象を抱かせる記述を削除するか、或いは残すか、という点について議論しているのです。

その点にしぼって議論しませんか? そうすれば混乱を招くことはないでしょうし、半年もかかることはありません。

「それまでは副島氏を学者として扱うのか、それともいわゆる電波系オヤジとして扱うのかという観点ですら保留せざるを得ない。」

この部分が分からないから聞きました。 いわゆる電波系オヤジとして扱えば具体的にどういうことになるのでしょうか。学者の場合とどういう区別になるのでしょうか。

61.116.118.192 2005年6月11日 (土) 02:34 (UTC)[返信]

最終合意のための案(つづき)[編集]

サイズが大きくなったので、章を分けます。 私がみた限り、最終合意案の議論の中で、新しい有効な提案は、と学会の大賞に選ばれたということだけです。 これについて追加で掲示します。 あとは、副島氏やその説に対して、世間の評価が定まっているかのような印象を抱かせる記述を削除するか、或いは残すか、という論点にしぼって議論し、以下の案で合意をはかりたいと思います。

  • 文章の改訂(本の出版にとどめ、批判に関する記述は削除する)
2004年には人類月面着陸の真偽を論考した『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版した。
  • 参考文献の項でのトンデモ本の記述の削除
  • 追記
2005年、と学会より日本トンデモ本大賞を受賞した。

61.116.118.192 2005年6月11日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

日本時間で今週金曜日(2005年6月15日)の午前9時まで待ちましょう。61.209.175.221 2005年6月14日 (火) 01:19 (UTC)[返信]

私の意見は前と同じです。この案には合意いたしかねます。あれだけ具体的に科学的知識の欠如が指摘されているのを無かったことには出来ないでしょう。 -- NiKe 2005年6月14日 (火) 01:49 (UTC)[返信]

批判に関して具体的にどのような書き方にするのが適切か、案を出してください。 私や他の方がしているように、実際に記載するべき文章の形で提示してください。61.209.175.94 2005年6月16日 (木) 06:14 (UTC)[返信]

案を出してほしいというのはNikeさんに言っております。改訂案に異議がある人は、できるだけ対案を出すようにするべきだと考えます。具体案が出せない場合でも、「もっとこうした方がいい」といった具体的な提案や指摘をすることが最低限求められると考えます。特に、批判に関することを書くべきだという意見の場合は、それをどのように書くかということが、重要なポイントになると考えます。61.116.174.10 2005年6月16日 (木) 08:45 (UTC)[返信]

正直なところ、現在の文面(2005年5月20日 (金) 11:40 (UTC)の版)で特に問題ないと思っています。せいぜい文章表現をいじって印象を変えるくらいしかやることはないでしょう。 ところで、そろそろログインしてハンドルを登録してはいただけないのでしょうか。IPだけでは毎回変化するのでいささか認識しづらいのですが。 -- NiKe 2005年6月16日 (木) 09:32 (UTC)[返信]

現在の文面で問題ないと考える理由を述べてください。その考えが、既にここで出されている意見に関係する場合は、その意見に対してどう考えるのかということも述べてください。今回に限らず、提案や意見をされる場合は、そう考える理由を必ず書くようにしてください。なお現時点ではハンドル登録はしません。あなたが私に向けて発言しておられることから分かるように、現在のところその必要性を感じておりません。しかし今後、文脈からの判断が困難な状況になれば、そのときにハンドル登録するかもしれません。219.66.118.125 2005年6月16日 (木) 11:06 (UTC)[返信]

説得力のある反対意見が出てこないので、私が提示した案で決着したいと思うのですが皆様よろしいですか?219.66.119.94 2005年6月17日 (金) 00:42 (UTC)[返信]

批判が加えられているのにその事実を敢えて記述しない方が適切であるとする、その理由を述べていただきたいと思います。(何故か全く名乗ろうとしない)あなたの案に従った場合、『この本はアポロの月着陸を事実と考える人々からは批判を受けた』などという記述すらできないことになりそうですが。また、トンデモ本大賞を受賞した理由も書けませんよね? -- NiKe 2005年6月17日 (金) 01:46 (UTC)[返信]

お聞きになっていることについては既に上の方で何度も述べています。まずそちらを読み返してください。トンデモ本はトンデモ本だから受賞するのでしょう。トンデモ本大賞を受賞した理由を書くかどうかについても上で私が書いたことで理解できることですよ。

えっと。意見をするときに理由を述べたり、反対をするときに対案(または具体的な指摘)を用意したりするのは、議論をする上で最低限欠かせないことです。現在の文面でいいと考える理由を述べられないということは、現在の文面を改めるという考えに変更されたと理解してよろしいですか?『この本はアポロの月着陸を事実と考える人々からは批判を受けた』という記述が適当だ、或いは議論の決着点だ、と考えるならそのように述べてください。

ずっとご覧になっていたのなら重複を避けることは出来るでしょう。無駄に遅延させるだけの言動をなさらないでください。219.66.119.94 2005年6月17日 (金) 08:35 (UTC)[返信]

何度も述べています。まずそちらを読み返してください では分かりません。困ったことに、あなたはログインせずにIP表示だけで通しているので、どれがあなたの書いた文章なのか区別が付けられません。『批判があったという事実を記述するべきでない』とする理由を改めてまとめて述べて下さるようお願いします。

なお、私が『批判されたことを書いておくべきだ』とする理由は、簡単に言えば『副島氏の月着陸に関する言説があれだけ物議を醸したのに、それを無視するのは不自然である』というところですね。「対案」は前にも書いたとおり、記事の現状維持です。 -- NiKe 2005年6月18日 (土) 07:28 (UTC)[返信]

現在の文面「この本は、と学会を始めとする各所から、科学的間違いに満ちていると批判を浴びた」が問題であるとは思われません。これは氏の著作が「トンデモ本」として物議を醸したという事実を記述しているだけで、その批判が正しいとも間違いであるとも書いてないのですから、中立的な記述であると思います。Hermeneus 2005年6月18日 (土) 07:38 (UTC)[返信]

>NiKe

質問に答えてないのではないか?記事を現状維持でいいと考える理由と、批判があったことについて触れるべきと考える理由とは、分けて答えるべきだ。簡単に理由をと言っているが、省略したり曖昧な言い方をしたりせずに、ちゃんと詳しく理由を書くようにするべきだ。あれだけ物議を醸したとはどれだけなのか?ほかにも既に議論されていることについて触れていない。求められるまで理由を書かず、対案も示さず、また未だにこれまでの議論の内容をなぞった発言をせず、感じたことをただ書くだけという貴殿の姿勢は、徒に時間を長引かせるだけで、とても不真面目に感じる。議論の相手がハンドル登録しているかしていないかということは、貴殿自身がどのように振舞うべきかということとは関係ないはずだ。218.43.107.160 2005年6月18日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

他のトンデモ本の受賞者たちとのバランスと事典としての性格を鑑みて、「最終合意のための案」で良いと思います。
IP:222.158.45.237さん 2005年6月18日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

実は、私は件の「トンデモ本大賞」に参加したのですが、そこで公表された候補作選定過程には「月は無重力である」など、物理的に成立し得ない事が明らかな部分を出している部分とともに主催の「と学会」への批判部分も上げていることに留意すべきです。他の候補作がトンデモ本としての面白みに欠けていたので恐らくは前者の理由だけで大賞を受賞し得たでしょうが、後者も併せて公表されてことによって投票に参加した一般参加者(入場料を払って参加する以上、私も含めて基本的に「と学会」に好意的な人たちがほとんど)の投票行動に心理的影響を与えた可能性がある事も考えるべきだと思います。「月に~」に対してに批判があると言う客観的事実は記載すべきだと思いますが、「と学会」や「トンデモ本大賞」云々までは書く必要は無いと思います。。水野白楓

めんどくさいなぁ。。。仕切り役の人 2005年6月21日 (火) 09:36 (UTC)[返信]

いつまでも放置しておくのは好ましくないのでは。

---

もうどうでもよくなった。書いた意見をまとめなおすなんてめんどくさいし。実際副島って人はここで見て初めて知った。問題の文章を消したのは他の人の便乗で1回やっただけ。実はこのノートで1人で3人を演じてました。最初の頃のIP表示だけの人3人。ぜんぶ同じ意見。相手してくれてた人ごめんね。

批判の記事を消そうと思った理由は、なんかみんなから寄ってたかって批判されてるみたいな書き方が嫌だったから。まー批判されて当然の本かもしれないけどね、みんなからって印象を与えようとする書き方が嫌だった。そこまで頑張ってその言葉を書きたいのかと。結局各所って誰なんだ?

ネットでは集団で1人を集中的に攻撃する行為がよく見られるけど、そういうのが大嫌い。むかし2chで祭りとか言って騒いでたけどさ(今は知らない)、あんな没個性集団に加わって何が面白いのかな?そういうのが鬱陶しいということだけでした。私は最終合意のための案を書いた者です。あとはどうとでもなってください。仕切り役の人 2005年7月10日 (日) 11:45 (UTC)[返信]

IPアドレス表示されてれば、プロバイダ名、都道府県、接続回線が或る程度のレベルで分かります。自作自演を見抜けない人は、(ウィキペディアを使うのは)難しいでしょう。--61.202.118.64 2005年12月6日 (火) 06:56 (UTC)[返信]

最終合意案・仕切り直し[編集]

これからここはどうするのだ?61.127.152.228 2005年8月27日 (土) 09:13 (UTC)[返信]

最終的な提案として、 と学会に関する一文 『この本は、と学会を始めとする各所から、科学的間違いに満ちていると批判を浴びた。』 は削除するべきだと思います。 なぜなら、と学会は「科学的間違い」の問題を主に主張しているわけではないからです。

とにかく、この一文さえ削除すれば、とりあえずあとはそのままでよいのではないですか。

『科学的間違いに満ちていると批判』されたのは事実ですし、と学会的にも主たる突っ込みどころはそこだったはずですが? 敢えてそれ以外を挙げるなら、批判を受け付けない、指摘された間違いを放置して恥じない、脅すような言明をする、といったことかな……。 -- NiKe 2005年9月9日 (金) 22:55 (UTC)[返信]

上のほうで、一方の議論放棄宣言の後、ずっと放置されていたままだったのが再開されたようなので、仕切り直しとして章を新設します。私も、批判意見があり、かなりの勢力を持っている以上は記述すべきであるという立場につきますが、この本を信じている人もいるので([3][4]など)、「賛否両論の議論が相続いた」という表現にしてはどうでしょうか。そして副島氏がアポロは捏造という説の根拠として挙げているものを箇条書きで紹介し、それに対する反論もあわせて付ける(必要なら再反論も)、というのがフェアであろうと思います。--Charon 2005年9月16日 (金) 14:44 (UTC)[返信]

「月面は真空だから無重量だ」とか「宇宙遊泳は大気のある中でやっている」などと主張する人の言ってる事が科学的に信用できるかどうかは賛否両論以前の問題かと思いますが。Charonさんの挙げたリンク先を見ましたが、科学には素人の一般人がいくら信じても、科学的に認められるかどうかとは別問題ですよね。
むしろ問題なのは、“日米の政財界・シンクタンクに独自の情報源をもち、「民間人・国家戦略家」として、「日本は国家として独自の国家戦略を持つべきだ」と主張している。”とされる人物が導き出した結論が「月着陸は捏造」だという点だと思いますが……。こーゆー結論が出てくるような独自の情報源や分析能力って、本業である政治論や経済分析とは無関係なんですかねえ?219.102.71.160 2005年9月18日 (日) 02:18 (UTC)[返信]

ここは副島氏の言論者としての信頼性についてではなく、記事保護の原因となった一著書の紹介のしかたについてどう改善するか、という議論の場です。できればその話題に沿った提案をお願いします。第一、ある意見について賛否両論があった、という事実とその賛否の意見の当否はまた別問題でしょう。--Charon 2005年9月19日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

(現在の記述で妥当)たとえば、「聖書に書いてある事が正しくて進化論は間違ってる!」と信じてる人はアメリカなどでは大勢いるわけですが、それらの意見は科学者からは科学的に議論する価値の無いものとして全く相手にされてないわけです。この場合「賛否両論の議論」とは言わないでしょ?単に、「科学的には進化論は認められているが、創造論者からは認められていない」と、科学とは別の観点の存在を書けばいいだけの話です。
副島氏の主張が科学的には根本的に間違っているのが明白である以上、その説を信じる人は「科学よりも副島隆彦個人を信じている」わけで、賛否両論あっても議論にはなりえませんよ(副島説が科学的な場で真面目に検討された例があるというなら話は別ですが)。219.102.71.160 2005年9月19日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

なるほど、賛否両論ではあたかも科学的正統性において等価であると誤解されやすいのでまずい、ということですね。それでは、

副島は本書の中で1.……、2.……(立論)などの根拠を挙げて「アポロの月着陸はなかった、捏造だ」と主張した。しかしこれに対してと学会をはじめとする各所から以下のような批判がなされた。1.……、2.……(反論)

というような文面ではどうでしょうか。確かに私もこの捏造説はトンデモだとは思いますが、信じる人がかなりの数いることは事実なので、論点をまとめることには資料的価値があろうかと思います。--Charon 2005年9月19日 (月) 04:13 (UTC)[返信]


と学会は、別にこの本を「批判」はしていないのですよ。 多分、と学会のサイトから http://homepage3.nifty.com/hirorin/tondemotaisho2005.htm を読んで、 「と学会はじめとする…批判」 という文脈で書かれているの思うのだけれど、 このサイトは「山本弘のSF秘密基地」というサイトであって、「と学会」そのものではないと思われます。 ですから、「と学会をはじめとする…」という記述は、そもそも根拠薄弱なのかもしれません。 ところで、議論されているみなさんは、この本をお読みになりましたか? 私は読みました。

そこで、 ①科学的な「正しい」「正しくない」はここでは判断しない。だから、その件は争わない。 ②批判の記述は、「A:科学技術についての批判」「B:政治的問題に対する批判」に分かれること。ここでは「B:」に限ること。 を提案します。

なぜなら、論理的には「A:科学技術についての批判」の真偽とは関係なく、「B:政治的問題に対する批判」が出来るからです。逆に、「A:科学技術についての批判」以外の批判がないのなら、この本の両輪のうち、片輪のみを論じることになります。そうであるならば、別に「A:科学技術についての批判」を書く必要など無いではないのですか。 --218.217.133.175 2005年9月21日 (水) 15:45 (UTC)[返信]

>なぜなら、論理的には「A:科学技術についての批判」の真偽とは関係なく、「B:政治的問題に対する批判」が出来るからです。
その理屈はおかしいです。副島氏があの本で書いている「政治的問題」とやらは、「月着陸は捏造だった」というのが事実だという前提で繰り広げられてるわけですから、月着陸捏造論がデタラメなら、政治的主張もデタラメということです。両輪というよりは、「月着陸捏造」という親亀の上に「政治的問題」という子亀が乗っているというべきでしょうな。219.102.71.160 2005年9月21日 (水) 16:19 (UTC)[返信]

いやね、そういうことではなくて、これは 「A:当時、人類が月に行ける技術があったか」、ということと、 「B:人類が本当に月へ行った」ということは違う、ということです。 だから「両輪」なんですよ。 副島氏この本は、たとえ「A:」が満たされても、「B:」とはいえないことも示すわけで、 それがこの本の一番の意義でしょう。 みなさんは、本当にこの本を読んで、「と学会」うんぬんしているのですか。 もし読んだ上で、なおかつ「A:」だけをとりあげるなら、 それは片手落ちであり、 それこそ、「中立」が保てないのではないですか。 ですから、

①科学的な「正しい」「正しくない」はここでは判断しない。だから、その件は争わない。

②批判の記述は、「A:科学技術についての批判」「B:政治的問題に対する批判」に分かれること。ここでは「B:」に限ること。

を提案します。 --218.217.133.175

>副島氏この本は、たとえ「A:」が満たされても、「B:」とはいえないことも示すわけで、 それがこの本の一番の意義でしょう。
繰り返しますがその理屈はヘンですね。
副島氏のあの本を批判している側(と学会も含む)は「科学的に間違ってる」という点のみを問題にしてるんであって、政治的にどうなのかはどうでもいい問題です。あなたのように、問題の本質をすりかえようとする人がいる限り、合意なんていつまでたっても出来ないと思いますよ。保護解除の議論はまだ時期尚早じゃないかなあ。219.102.71.160 2005年9月23日 (金) 05:38 (UTC)[返信]


あのね、まず、 『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店) を読みましたか?私は読みました。 この本を中立的に扱うなら、 正しい、正しくない、ではなく、 この本の内容上、 「A:科学技術についての批判」、「B:政治的問題に対する批判」 の2つを並列に扱わなければならないと考えました。

科学的な正しさについて、ここで判断できるのですか? だから、科学的内容にたいして、ここで判断ができない以上、 「間違えている」とは記載できないのではないですか。 それに、「と学会」は「批判」していないでしょう。 と学会が、いつ、どこで、どんな「批判」をしているのですか? だいたい、なぜと学会の批判を、わざわざここに書く必然(必要性)があるのですか。私にはわかりません。

科学的な正しさについて判断できない(だれが「判断」できるというのだ)以上、 普通に、出版された事実のみを記載すれば良いではないですか。

なにをそこまで、この場所で副島氏を批判したいのかがわかりません。またここは、批判をする場所でもありません。副島氏についてあったこと、すなわち出版の事実のみを書けばよいと提案します。内容については、本を読んだ人が、自分なりに、自分の持ち場(自分が運営するサイト等)で批判なりなんなりすればいいのです。違いますかね。

--218.217.133.175

上のほうでも散々指摘されていますが、現実に批判意見が存在する以上、それについて全く触れずに無視するのは中立的視点ではありません。いい加減、問題のすりかえはやめましょう。219.102.71.160 2005年9月24日 (土) 02:42 (UTC)[返信]

横槍失礼します。

>科学的な正しさについて判断できない(だれが「判断」できるというのだ)

とのことですが、私でも判断できます。少なくともこの本の間違いは半導体チップが1969年に存在しなかったとか月の石のデータが発表されてないだとか極めて単純な事実誤認が多数あるので。批判ではないと言うのも確かにと学会がやってるのは批判ではなくてネタにすることなんですが、それなら「この本の科学的な間違い・事実誤認に対してと学会などから指摘された。」と書いてはいかがでしょうか?らりた 2005年9月24日 (土) 08:54 (UTC)[返信]

>現実に批判意見が存在する以上、それについて全く触れずに無視するのは中立的視点ではありません。

現実に批判意見があったということと、その意見の中身が、批判対象者の主張と対応しているかは、一概には言えません。ですから、批判意見があるということと、それを書くことが中立ということは、全く関係ないことだと思います。

>:>科学的な正しさについて判断できない(だれが「判断」できるというのだ)
>とのことですが、私でも判断できます。

言葉が足りなかったようですね。 判断は誰でも出来ますが、ウィキペティアとして、 誰々の「正しさ」を判断できるか、 ということです。

私自身は、批判があったことを載せるのこと、そのものは否定しません。 ただ、載せるに当たって、副島氏の本が主張する大きく二つの内容である、

「A:科学技術についての批判」 「B:政治的問題に対する批判」

を分けるべきだと考えているのです。

この本に対する、ここでの批判は、私の知り限り「A:」に対してのみなのです。 「A:」のみの批判ならば、片手落ちであり、中立性が保てない、と考えているのです。

だから、中立性が保てないくらいならば、書かないほうが良いのではないかと考えているのです。

蛇足ですが、「A:科学的な批判」の代表として、と学会は当てはまらないと思います。 らりたさんもご存知のように、 と学会は副島氏の本を「批判」していません。 「間違い」の「指摘」にしても、と学会が代表だとすると、 それはと学会の趣旨からはずれるので、 せめて、どこか別の、明確に「批判」をしているサイトを取り上げるべきだとおもいます。218.217.133.175

本の主張が二つに分かれていようが、そのうちの一つがおかしければ本全体が批判を受けるのは当たり前でしょう。片方だけの批判だから中立じゃないってのは詭弁ですよ。繰り返しますが副島氏の主張する政治的問題なんてこの件とは関係ないんですよ。問題をすりかえるのはやめましょう。219.102.69.1 2005年9月26日 (月) 19:56 (UTC)[返信]


問題の、何と何をすりかえているのですか?なにをそんなに感情的なのですか?ここで争っているのは、批判の表記方法なのであって、批判そのものではないのです。

>副島氏の主張する政治的問題なんてこの件とは関係ない

ですから、副島氏の主張に対する是非は、ここでは争っていません。

本の内容として、 「A:科学技術についての批判」 「B:政治的問題に対する批判」 がある以上、両方に触れなければ、それこそ、偏った、決め付けになってしまうのではないですか。それでは中立的には扱っていないと考えます。主張の片方にだけ触れるのは、この本を、ウィキペディアを読む人に、あやまって伝えてしまうのではないですか?どんな形でも、それなりの誤解を与えてしまう可能性はありますが、伝える努力はするべきです。

ここ、ウィキペディアは、副島氏の非難をするところではありません。そのようなことは、もっとふさわしいところで行うべきです。

批判を書くにしても、本の内容に即した、もうすこし適切な方法があると思います。

批判も、と学会ではなく(彼らは副島氏を「批難」はしていない)、彼を名指しで批判する、もっと適切なところがあると思うのです。

こういったことに同意があれば、もっと建設的に文章が作成できると思います。

利用者:218.217.133.175

えっと、保護中だったのでどうしたのかとノートみたのですが、議論を広げすぎではありませんか?
>と学会からは絶賛されているが、専門および隣接諸科学からは現状、ことごとく無視ないし黙殺されている。
あたりでいいのではないでしょうか? 歴史でもそうですが、いわゆる「とんでも」は問題が大きくならない限り無視するのが学術的慣行のように思えます。ですのでわざわざ反駁していたりするきちんとした文献を探すのは難しいのではないでしょうか。別にWikipediaが正しいかどうかは判断する必要はないでしょう。大方の読者は専門方面で無視されている、ということで充分その意味が理解できると思います。そして、もしかしたら学術側が誤りなのかもしれませんが、これもまた読者の判断なり後の研究を俟つことになるでしょう。Kotoito 2005年9月27日 (火) 03:16 (UTC)[返信]
>本の内容として、 「A:科学技術についての批判」 「B:政治的問題に対する批判」 がある以上、両方に触れなければ、それこそ、偏った、決め付けになってしまうのではないですか。
この本が問題とされているのは「A:科学技術についての批判」や「B:政治的問題に対する批判」といった本の結論ではなく、「基本的知識が全くないのに宇宙開発を語っている」という一点でしょう。それこそ、小学生向けの入門書を読めば判るようなことですら調べずに書いてるから、「月の石の分析データは世間には発表されていない」とか「月は真空だから無重量状態だ」とか珍妙な記述だらけの内容になるわけで。最低限の知識も無いのに思い込みだけで本を書くから「トンデモ本」と言われてるんですよ。219.102.69.1 2005年9月27日 (火) 08:52 (UTC)[返信]


>最低限の知識も無いのに思い込みだけで本を書くから「トンデモ本」と言われてるんですよ。

どういったら分かってもらえるのかよくわかりませんが、「最低限の知識も無いのに思い込みだけで本を書く」こと自体は、批判の表記の方法とは関係ありません。

ここで問題なのは、表記の方法なのです。価値判断(例:最低限の知識も無いのに思い込みだけで本を書く)は関係ないのです。

そういった内容に関する判断は、各人が本を読んで、各人が勝手に下せばいいことです。 ここ(ウィキペディア)で行うことではないでしょう。

また、あなたの、私の対する

問題をすりかえるのはやめましょう。

という発言に対して、私が何と何をすりかえているのか、答えて欲しいという私の質問にも、答えていただけないようですね。そんな、個人攻撃のような発言はやめたほうがいいですよ。文字だけでのやりとりは、感情を加熱しがちです。

そんなに感情的な発言をなさらなくてもよいのではないですか。冷静に、批判の表記の方法について考えましょうよ。熱くなるところでもないし。

それと、「と学会」は「批判」や「批難」や「指摘」を目的としてはいないので、 「批判」を書く場合は、それ以外のものをソースとするべきでしょう。

そのあたりで合意がとれれば、最終合意案の新章にしましょうか。

--218.217.133.175

おんなじことを何度繰り返したか判りませんが、最後にもう一度書きますか。
あの本が問題となっているのは「副島氏の科学的知識の珍奇さ」(前提)であって、「A:科学技術についての批判」とか「B:政治的問題に対する批判」といった主張内容(結論)ではないのです。前提条件だけが問題になっているのだから、あなたの問題にしようとしている「A」とか「B」といった案件はそもそも問題にされていないのです。誰も問題にしていないことを問題だと持ち出しているから「問題をすりかえるのはやめましょう」と言ってるんですがご理解できませんか。219.102.69.1 2005年9月27日 (火) 11:01 (UTC)[返信]


申し訳ありませんが、理解できません。 というのは、

>あの本が問題となっているのは「副島氏の科学的知識の珍奇さ」(前提)であって、「A:科学技術についての批判」とか「B:政治的問題に対する批判」といった主張内容(結論)ではないのです。

との主張ですが、なぜそう断言できるのか、理解できないからです。それは、何を根拠にそう主張されるのですか。私は本の内容上、理解できません。

また

>あなたの問題にしようとしている「A」とか「B」といった案件はそもそも問題にされていないのです。

との主張ですが、それは、あなたが問題にしていないというだけのことです。

副島氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』を、中立的に取り上げるのなら、その本の内容に即して取り上げるべきなのではないですか?なぜ内容の一部を、ことさら煽り立て、批判しなければならないのですか?ここはあなたのサイトではなく、ウィキペディアなのです。


あなたが、副島氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』の内容の、何が憎いのかは分かりませんが、 ここ(ウィキペディア)は批判のための場所ではありません。ですから、批判の表記の方法についてのみ、議論しているのですよ。

ついでに、あなたが私に対して、

「問題をすりかえるのはやめましょう」と言ってるんですがご理解できませんか。

と言っておりますが、私がこのことが理解できないもう一つの理由として、 はっきりと、「あなたはαとβをすりかえているのです」と明言してない、ということもあります。 せっかくですから、私は何のαとβをすりかえているのでしょうか。教えていただけませんかね。

それに、あなたはこの『人類の月面着陸は無かったろう論』を読んだのですか?私は読みました。読んだ上での主張なのですか?ここは感情的な議論をするところではありません。何度も念を押しますが、表記の方法についての議論をしているのです。副島氏への感情を抜いて、冷静にどう中立的に批判を表記するかを考えていただけませんか。


--218.217.133.175

219.102.69.1さん、お疲れ様です。もうKotoitoさんの出してくださった案で妥協しませんか?正直、これ以上ここで話し合っても何ら得る所が無いような気がします。218.217.133.175さんもそれでどうでしょうか?
もしくはこのままずっと保護でも良いような気がしてきました。大勢に影響は無いでしょう。乱暴な意見かもしれませんが。らりた 2005年9月27日 (火) 12:02 (UTC)[返信]
待って下さい。『と学会は絶賛している』と言ってはおかしいですよ。この場合、トンデモ本大賞が与えられた、というのは笑いものにしたということですからね。また、少なくとも山本弘は明確にこの本を批判しています。
それにしても、副島氏の宇宙開発に対する言説が甚だしく誤っているという事実への指摘を、副島氏に対する感情にすりかえて相手を非難して、平然と「すりかえとはなんですか」などと書いている人には驚くしかありませんね。 -- NiKe 2005年9月27日 (火) 13:05 (UTC)[返信]


私は、

>専門および隣接諸科学からは現状、ことごとく無視ないし黙殺されている。

ならば、とりあえず妥協・合意します。

ここでの議論は、あくまで批判の表記の方法についての議論だったと理解しています。ですから、

>副島氏の宇宙開発に対する言説が甚だしく誤っているという事実への指摘

ならば、中立的にそれをどう表記するかが重要なのです。 私は、そのための議論をしているのであり、それ以外の議論は、感情的だと判断しました。私はだれも非難などしていません。ただ、私の話を「すりかえだ」というならば、当然、そのことに質問をしますし、私に対して「あなたはαとβをすりかえているのです」と明言すればよいのです。それに、本の内容に関する批判なのに、最後までこの本を読んだかについてのコメントが無いのは、どういうことなのでしょうか。ある本を批判するのに、その本を読んでいないとすれば、その人は「批判」などする資格は無いのではないですか。

今回の、副島氏に対するこの議論では、「副島氏を一方的に非難しても良い」という考えの下に議論を進めたい方が多くいたようですね。そのことを大変残念に思います。「事実への指摘」といいますが、そんなことをし始めたら、何ページのどこ、と一覧表でも作るつもりですか?ある「事実」に対して、いちいち存在証明でもつくるのですか?そして、それが目的なのですか?そんなことは、本を読んだ方が判断すればよいことであり、ウィキペディアの目的では無いと思います。さらに、批判するならば、少なくとも内容にそったものでなければ、中立とは考えにくいと思います。

私はここまで、内容についての判断を表明しないままに議論を進めてきました。私は彼の本の「科学的事実」について、一度も内容を肯定したことはありません。内容の「判断」をしなくても、表記に関して議論は出来るのです。そういうことを、冷静に考えるべきなのです。 --218.217.133.175

Kotoitoです。Nikeさん、いやいや、まぁ絶賛はいきすぎかもしれませんが、と学会は少なくとも賞賛しているでしょう。えぇ、山本弘の言葉を借りれば「ああもう面白すぎ! 繰り返すけど、これでもまだほんの一部。どのページを開いても、この手の文章が続出し、七転八倒の楽しさである。とても全部紹介しきれないから、ぜひみんな買うように」[5]ということですから。非常に楽しく読める書物だということです。山本の言説をもって、批判とするのはどうでしょうか。学術的批判というのは相手の説にとりあって、その難点をつき、よりよい科学的見解を構築してゆくというものでしょう。と学会はそういうものを目指しませんし、副島氏の研究を現時点で学術的批判の対象たり得る研究であるという誤解を与えかねません。というより、と学会のやっていることを批判としてしまっては、批判という行為、一方でと学会の活動の主旨を誤解させかねません。と学会が批判するなら、一見トンデモ本の装いをしている実は堅実で深みのあるツッコミどころに欠けた研究ではないでしょうか。と学会が賞賛する、という行為の意味はトンデモ本大賞を一読すれば、何も知らない人だってわかるでしょう。
218.217.133.175さんのおっしゃるとおり、私はWikipediaは可能な限り内容の判断をわざわざ強調する叙述をさけたほうがよいと思っています。「副島氏の宇宙開発に対する言説が甚だしく誤っている」と書かなくても、諸科学部門から無視されているということ、という議論を必要としない事実をもって、学術的にどうかと思われる本であることは充分含意できるでしょう。一方でトンデモ本大賞の点も書いておいたほうがよいのではないでしょうか。これによって、学術的にはどうかとは思えるが、エンタテインメントなりジョークとしては非常によくできたツッコミどころ満載の実に良くできた書物であると持ち上げることもできるますし、自然科学方面に偏らない、人文社会科学方面も含めた総合的理解に資することになるので、私はこの程度の修辞はあって良いものだと思います。Kotoito 2005年9月27日 (火) 22:03 (UTC)[返信]


だいたい論点も出つくしたと思いますので、そろそろ具体的に最終文案でも考えますか。と学会部分の表記を、 多少気を付けて書くことになると思います。次から新章を設定しましょうか。 --218.217.133.175

三ヶ月経っています。早く決めて下さい。宜しくお願いします。61.210.34.113 2005年12月25日 (日) 07:20

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  • また、2004年には人類月面着陸を論考した『人類の月着陸はなかったろう論』(徳間書店)を出版した。この本は、と学会から科学的間違いを指摘されており、インターネット上でも同様の指摘が数多くなされて話題をよんだ。(各所、批判という言葉をなくした)
  • 参考文献
『トンデモ本の世界S』(太田出版) ISBN 4872338480
副島隆彦が『人類の月面着陸は無かったろう論』出版前に公式サイトで発表した「アポロは月に行ってなかった論」がトンデモとして取り上げられている。 2005年度の日本トンデモ本大賞を受賞した。[6](トンデモ本大賞を記載)

仕切り役の人 2006年1月2日 (月) 00:31 (UTC)[返信]

反対です。水野白楓さんの言うとおり、と学会の部分は不要だと思います。221.171.183.199 2006年1月2日 (月) 02:04 (UTC)[返信]

そもそも、この件はテレビ番組での月着陸捏造論を副島氏が本気にした(としか思えない)ことが始まりです。その後、これが主としてネット上で話題になりました。はっきり言えば、副島氏が科学知識の欠如をさらけ出し、それを指摘されるや「中傷」として撥ね付け、その有様が「ウォッチ先」として絶好だったのです。特に、自分への批判を『アメリカの手先による攻撃』であると副島氏が仄めかしたあたりは。そして、『月着陸否定論の本を出す』と公言していた副島氏は、実際に『無かったろう論』を発行しました。具体的に多くの問題点が指摘され、資料も提示されていたにも関わらずです。しかも、初歩的な誤り(静止衛星の高度や“静止”の理由に対する誤認)もそのままだったそうです。

こういった事実を端的に表すのが『と学会にトンデモ本として取り上げられたこと』だと思います。まあ確かに、と学会の関与はこの流れの中では瑣末なことであり、敢えて言及しなくてもいいかもしれません。しかしその場合、上で挙げたような顛末を書いておく必要があるのではないでしょうか。 -- NiKe 2006年1月2日 (月) 05:38 (UTC)[返信]

編集保護中に、こーゆー本も出てますね。

  • と学会レポート 人類の月着陸はあったんだ論(山本弘、植木不等式、江藤巌、志水一夫、皆神龍太郎) ISBN 4903063011

タイトルからも判るように、この本の中では副島氏の『人類の月面着陸は無かったろう論』がかなりのページを割いて大々的に取り上げられてます。--210.153.235.50 2006年1月3日 (火) 19:32 (UTC) いいかげん終わらしてください。お願いします。[返信]

百科辞典は人間を知に導くものであるので、その時点での最新の学問に照らして誤謬の多い説を唱える学者については、その説のどこがどうおかしいのかきちんと指摘すべきだと思います。 私には社会科学は門外漢であるが、理科出身なので、副島氏のムーン・ホークス論は背筋が寒くなりましたし、このような論を唱える人の著作は眉に唾を掛けて読まなければならないと思いました。 もし人に副島氏の知性についてどう思うか聞かれたら、彼のムーン・ホークス論を紹介し、それがいかに中学高校程度の理科の知識(特に作用反作用、慣性の法則)に反するかを説明して、参考にするように言うでしょう。 この顛末が彼の性格について参考になる資料であることは明白であるから、重要な情報として挙げるべきだと思います。 と学会(私はエンターテインメント集団として評価するものであるが)の名前を出すと過敏になる人が多いようであるなら、政治的にその名を避けることもしていいと思う。 ただし「人類の月面着陸はあったんだ論」は参考文献として非常にまとまっているから、リンクを張るべきだと思う。 しかしJAXAは現在の我が国の最高の学問機関であるから、これと見解を異にすることは乗せるべきだと思う。 副島氏の論を抑えるためにわざわざJAXAがWebページに項を割いたことは、副島氏も、ファンの人もある意味名誉と思っていいのではないか。

「案」の通り、と学会を含め、氏の著作物への批判に関することを載せて再開させましょう。知に導くべし云々の論は却って反論を招いてしまいそうなので、今はそっとしておきましょう。事実をありのままに書いて、あとは表現に少し気をつけさえすれば良いことです。1年近くも保護を続けるような問題ではありません。ビスケット柵崎 2006年3月3日 (金) 01:03 (UTC)[返信]

保護解除申請へ[編集]

保護解除を申請します。解除にあたってポイントは以下の二つです。

  1. 前章の「案」に基づき文章を訂正する。
  2. 以後の編集では、氏の著作や主張に対して過剰な批判はなるべく避けるが、批判があったという事実は記載しても良い。

いかがでしょうか。もうだいぶ落ち着いてるようだし、様子を見て反対意見が無ければ保護解除を申請しますね。ビスケット柵崎 2006年3月24日 (金) 07:25 (UTC)[返信]

いつまでも延々と保護され続けているのは健全ではないので、上記案に賛成です。参考文献には『あったんだ論』も内容が深く関連しているので追加する必要がありますね。--Charon 2006年3月26日 (日) 05:00 (UTC)[返信]

申請しますって宣言したのが3月24日だから、それから2週間後の4月7日までに反対意見が無ければ申請しましょうか。それまでに誰かが申請してくれたらそれに従います。もしその期間に反対意見が出てきても、すぐに解決するようなことであれば予定通り4月7日(または8日)に申請しますね。ビスケット柵崎 2006年4月3日 (月) 04:12 (UTC)[返信]

副島隆彦ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

ノートにて合意されましたので、ページの保護解除をお願いします。--125.173.46.112 2006年4月11日 (火) 02:14 (UTC)[返信]

解除しました。なお、保護解除の依頼先はWikipedia:保護解除依頼です。―Rh-Kiriki 2006年4月11日 (火) 12:09 (UTC)[返信]
保護解除有難うございました。ビスケット柵崎 2006年4月12日 (水) 01:59 (UTC)[返信]


「サブプライム問題の表面化は2006年暮以降です。2008年8月17日(たかだか2週間ちょっと前)に問題化したかのような記述は意味不明」とのことですが、記載のとおり本が出版されたのは2007年7月です。2006年暮以降発覚したサブプライム問題も当時は大きな影響はないとの見方が大きかったのに、「2008年8月17日から始まるサブプライムローンを発端とする~大暴落」を1年以上前(2週間ではありません。)の2007年7月当時に公に発言し、それを本人が的中だと主張しているという意味なのですが・・・編集合戦になりたくないので、取り消しはしませんが、あまりに性急な取り消しは残念です。--Nyurutan 2008年9月5日 (金) 15:43 (UTC)[返信]

61.21.75.118さんからその後何の反論もないだけでないだけでなく、他の誰からも意見がないのですが、このような場合自分で戻してしまっていいのでしょうか。サブプライム問題でなく、サブプライムによる暴落を問題としているのですから、どちらが百科事典に載せる記述として適当かどうかは明らかだと思うのですが。--Nyurutan 2008年10月2日 (木) 13:10 (UTC)[返信]

特任教授[編集]

常葉学園大学 » 大学案内 » 教員一覧から副島氏の名前が消えているのですが、特任教授ではなくなったのですか?--模様砂漠2 2009年7月27日 (月) 13:00 (UTC)[返信]

  • 「消えている」というのは、昨年度はあったのでしょうか。--以上の署名のないコメントは、116.83.29.188会話/Whois)さんが 2009年7月30日 (木) 17:09 に投稿したものです(模様砂漠2による付記)。

昨年度というより、googleのキャッシュでは掲載されています[7]。本年度の途中で特任教授制度が廃止になったのかも知れませんが。--模様砂漠2 2009年7月30日 (木) 19:18 (UTC)[返信]

  • 最新の植草との本には「常葉学園大学教授等を歴任」とありますから、今はそうじゃないわけですね。「教授」と「特任教授」は違うので、まあちょっとした経歴詐称の疑いはありますが…。--以上の署名のないコメントは、116.80.21.163会話/Whois)さんが 2009年7月31日 (金) 14:29 に投稿したものです(模様砂漠2による付記)。
  • こんにちわ。横から口を出して申し訳ありません。特任教授って何か前に調べてみたのですが,法律上の概念ではないらしく結局わからなかったことがあります。もしご存じでしたら教えていただけないでしょうか。お願いします。--Nyurutan 2009年7月31日 (金) 14:34 (UTC)[返信]
特任教授とは「大学によって全然異なります[8]」だそうですので、常葉学園大学がどのような定義をしているか調べたのですが、該当するページがないようです。ネット上ではわからないかもしれません。--模様砂漠2 2009年7月31日 (金) 19:21 (UTC)[返信]

即時削除の対象[編集]

210.237.57.123のような記述は即時に削除されてもやむを得ないものです。今後も繰り返すようであれば,保護依頼を出さなければなりませんので,ご賢察の上同様に行為を繰り返さないようお願い申し上げます。--Nyurutan 2009年12月10日 (木) 15:08 (UTC)[返信]

Need English wiki page[編集]

Jp is ambiguious and interpretation is very easily.

I hope English page TETSUHEI会話2020年4月22日 (水) 09:32 (UTC)[返信]