副島隆彦

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副島 隆彦(そえじま たかひこ、1953年5月1日 - )は、福岡県福岡市生まれの評論家常葉学園大学教育学部特任教授。日本国際政治学会、日本アメリカ学会所属。

目次

[編集] 人物

[編集] 概要

明治期の政治家副島種臣の傍流の子孫。早稲田大学法学部卒業。吉本隆明久野収小室直樹岡田英弘片岡鉄哉を師と仰ぎ、政治思想法制度論・経済分析・社会時事評論の分野で評論家として活動。それ以外にもカール・マルクスフランシス・フクヤマアイン・ランドマックス・ヴェーバーにも多大の影響を受け尊敬する。日米の政財界・シンクタンクに独自の情報源を持つとのことで、「民間人・国家戦略家」として、「日本は国家として独自の国家戦略を持つべきだ」と主張している。 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰。

[編集] 学生時代

マルクス主義社会主義等の左翼思想に影響を受け、その後フルシチョフスターリン批判や世界の左派の流れと同調するように、反帝・反スタのトロツキズムである新左翼学生運動にはまっていった。多くの左派系の団体に参加していたが、本当は家で寝転んで本でも読んでいる方が好きだったという。この頃から吉本隆明を教祖の様に仰いでいた。内ゲバなど生命の危険に晒されながらも活動を続けたが、姉の夫が病気で寝たきりになったことから危険な活動からは身を引いた。 その後小室直樹が主宰していた東大の自主ゼミに通い、学問の分野を超えて、社会学政治学経済学法学等の指導を受ける[1]

[編集] 評論家へ

大学卒業後銀行に就職し、アメリカ等海外勤務を経て退職。その後日本に帰国し3年ほどは無職ですごしていた[要出典]。「フェーム」という映画の影響でいろいろな出版社に自分の文章の売込みを始め、雑誌に執筆者名が載らない「埋め草(うめくさ)原稿」を書く仕事を手始めに、次第に仕事の幅を拡げていった[要出典]

[編集] 思想

[編集] 社会主義の受容と超克

学生時代左翼思想の影響を受けたが、その後日本共産党ソヴィエト共産党や、岩波知識人の一部をスターリン主義であるとして批判的な立場に変わっていった。後にそれでも実際にソヴィエトが崩壊するまでは彼らから逃れられず虜であったと語る。1980年に小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊』を読んでだんだんと保守派やアメリカの社会学に影響を受け始め、凝り固まった右派左派イデオロギーではなく大きな視点での事実のみを信じるようになった。

その後、アメリカの学問思想を分析する上でアイン・ランド客観主義に出会い[要出典]リバタリアニズムにも影響を受ける。

[編集] 属国論の展開

銀行員時代アメリカ勤務を通して得た多くのアメリカ人・イギリス人の友人たちと10年以上にわたり議論を繰り返した結果、日本の学問・思想が、学問・思想における世界的普遍価値から大きく外れたものであり、しかも日本の学者・思想家が自らの利権を守るためそれを密教と化して、日本国民に大きな事実を隠してきたことを知ったとする。そのため、日本の一般民衆は、自分ですら自分が何を考えているかわからない無意識の状態になっており、その結果、日本では、政治家が育たず、国家戦略なき国家となり下がり、意識的・無意識的に、イギリス、アメリカ等その時代時代の覇権国のコントロールを受けているとする[2]

1994年に総合法令から『政治を哲学する本』(後に後掲『決然たる政治学への道』に改題)でアメリカこそが世界の覇権国であり、日本を含め西欧諸国ですらその属国の一つにすぎないとする属国論を提唱し、日本は、アメリカに政治、金融経済、学問・思想のすべての面で完全に敗北しており、その現実を直視することによって初めて日本固有の民族的価値を守ることができると主張した。その上で、学問・思想における世界的普遍価値に基づけば、日本は天皇を主君とする前近代的な王政国家であることは明白であるとし、明治維新について、理想に燃える下級武士が単独で近代革命を成し遂げたとする司馬遼太郎によるいわゆる司馬史観を否定し、イギリスが当時覇権を争っていたロシア帝国の勢力拡大を防ぐため、岩倉具視坂本龍馬らのスパイを育成・使役することによって親イギリス政府を作るという世界戦略の一環であったと主張している[3]

[編集] アメリカ政治・思想・経済分析

アメリカが世界覇権国であるゆえんを明らかにするためには、そのよって立つ世界普遍価値を明らかにする必要があるとして、1995年に当時のアメリカの政治家と知識人の世界における思想的な対立を体系的に紹介し、ネオコングローバリズムリバータリアンによるアイソレーショニズムという政治的な対立を他に先駆けて紹介した[4]

[編集] 法学会への批判

世界普遍的価値に基づく、自然法自然権の対立や、自然権人権の違いができていない多くの日本の法学者が誤った知識を広めたことから戦後の人権一辺倒の政治的風潮が蔓延したことを批判し(人権という概念自体を批判しているわけではなく、人権と対立する人権以外の概念をささえる大きな政治的対立があることを日本では正しく伝える人がほとんどいないことを批判している)自然法自然権人権人定法アニマル・ライツ、などの法思想の関係と対立を分かりやすく説明した[5]

[編集] 日本の大学制度への批判

副島は、世界普遍的価値に基づけば、14世紀にヨーロッパで成立した大学は、神学、法学、医学哲学の4つの学部からできており、哲学それ自身は、もともとは神学の下女あるいははした女としての位置付けであったが、哲学を基に、日本語でいう科学は発展したのであって、その内容は「物理的な自然、自然法則、人間社会についての諸事実を観察と検証によって人間が獲得する体系化した知識のこと」で、科学と学問とは同義であり、したがって、自然科学社会科学の区別は存在せず、また、文学は厳密には学問ではなく、学問を始める前の準備として初等ないし下級学問(リベラル・アーツ)の意味しか有しないことを指摘し、理系文系を分け、文学部哲学科、人文科学部なる意味不明なものを擁する日本の大学制度を批判している[6]

[編集] 文章の書き方への思考方法

文章を書く際にはオッカムの剃刀という考え方に気を使い、シンプルで誰にでも分かりやすくしているという。しかし単純化しすぎたり説明不足に落ちいる危険性も認識している。逆に新カント学派の流れをついだ、やたらと気取ったり不必要に難解で意味が伝わりにくい文章に批判的な立場である[要出典]

[編集] 評論活動に対する反論

  • 著作や訳書に陰謀論にもとづくものがある[要出典]
  • 2004年には人類の月面着陸はなかったとウェブページと著書で主張した[7]。新聞の書評に「夏バテにはドリンク剤とトンデモ本が一番」と紹介され[8]と学会からも間違いを指摘されて[9]、インターネット上でも同様の議論が数多くなされた(参照アポロ計画陰謀論)。『人類の月面着陸は無かったろう論』の後書きで副島は、「私の主張が明白に間違いで、アポロ11号の飛行士たちが月面に着陸していたことの明白な証拠が出てきたら、その時は私は筆を折る。もう二度と本を書いて出版することをしない。」とまで書いている。
  • 以前、代々木ゼミナール英語講師を務めていたこともあり、英文法関連の著作がある他、研究社刊行の英和辞典は間違いだらけであるとする著作を発表。同著に対しては山岸勝榮から反論がなされただけでなく[10]、研究社が同著の出版元であるJICC出版局(現宝島社)に対し出版の差し止めと名誉毀損による損害賠償を求めて東京地裁に訴えを起こした。判決では出版の差し止めは退けられたが、損害賠償に関しては研究社の主張が一部認められ400万円の賠償が宝島社に命じられた。その後、宝島社の控訴が棄却されて判決は確定した。

[編集] エピソード

  • 現在、自身の学問上の弟子の慰留のため関東近県の避暑地に別荘を建設中である。スルガ銀行融資により資金調達、名を『大暴落荘』と呼ぶ。ネーミングの由来は不明である。
  • 雑誌の対談等で漫画家小林よしのりに対し自身の学問上の師である小室直樹岡田英弘に次ぐ師であると絶賛し告白する。理由は日本の保守派が実際のところ愛国派の衣を被った米国に媚びへつらう飼い犬のポチでしかない事を小林が見抜いた事による。
  • 家に先住の猫を飼っているため、勤め先の大学近くに生息し、餌付けしている野良猫を拾ってやれず自著で嘆いている。
  • 自らのことを、陰謀論者として葬り去ろうとする者には特に厳しく、情け容赦なく筆誅を加える旨を著作物で宣言している。実際に過去、自著よりの無断の盗作に対しては、実際に著者名、書名を挙げて自著にて筆誅を加え葬り去り抗議をしている。
  • 著書等で自らを、生まれてこの方組織というものに属したことが無いと繰り返し語り続けている。会社組織などに属することなく塾講師、銀行、家庭教師などを転々とした人生であり、世の全てに対し何のしがらみもないゆえに、著書などでこれから証拠つきの手槍を片手に、世の様々な団体、個人の尻を突き刺しながらの世の中すべての真実暴きの旅に出る旨を述べている。
  • 2004年に副島に対して税務署の査察が入ったときには、「大学の給与は給与所得として、著作の原稿料は雑収入として申告しており、「副島隆彦の学問道場」の会費は、副島個人から独立した権利能力なき社団である学問道場の運営費なのであって、私個人の事業収入ではない」と主張した。学問道場は会費や講演会の入場料、副島の著作の売り上げ等で、複数年で5千万円余の収入があったが、副島自身はボランティアで道場に原稿を寄稿し、報酬等は受け取っていなかった。査察前は会員の有志がボランティアで道場を運営していたため、公認会計士や税理士は関わっておらず、正規の帳簿は存在しなかったため、領収書等の証憑を提出。ところが、査察から2か月以上たっても何の進展もないことから、税務署へ弟子と共に行き、進展状況について尋ねると、現時点では何もしていないとの説明であった。副島は、仕事もせず権力を笠にきて修正申告を「お奨め」するという態度に抗議するため税務署長や職員の自宅へ出向くなどした。結局のところ、白色申告者であったため推計計算により課税されたが、修正申告に至る経緯を『私は税務署と闘う 恐ろしい日本の未来』(ビジネス社)としてまとめた。
  • リーマンブラザーズの破綻や、オバマ大統領の誕生などを予測し、これを的中させている。佐藤優 (外交官)は、「副島さんがすでに2007年4月の時点で、バラク・オバマ氏が民主党大統領候補となる。と決めうちしたことは驚きました。日本で一番早い予測だったのではないかと思います。」「副島さんの今回の的確な予測は、他の人がいろいろと留保をつけるなかで、非常に突出していました。」と、対談「暴走する国家 恐慌化する世界」(日本文芸社)の中で評価している。ちなみに、副島は、オバマ大統領について「景気の舵取りもしますが、どうせうまくゆかない」というやや悲観的な見方を、同書の中で示している。
  • 2007年8月に刊行された「ドル覇権の崩壊」(徳間書店)の中で、「2008年末からドルが80円に大暴落する」と予測し、実際2008年末には、1ドルが80円台に突入し、予測をほぼ的中させた。
  • ニューヨーク・ダウがまだ1万2千ドル台にあった2008年3月に刊行された「連鎖する大暴落」(徳間書店)では、「ニューヨーク・ダウは、1万ドルを割って6000ドルに大暴落する」と、「1年で半値に暴落」という、極めて大胆な予測を行ったが、1年後の2009年3月には、ダウ平均は12年ぶりに6000ドル台半ばへと突入し、 予測を的中させている。
  • 2009年2月14日中川昭一財務・金融大臣(当時)のローマでの泥酔会見に関しては、会見直前のウエスティン・エクチェルシオール・ホテル1階のレストラン「ドニー」での談話会で玉木林太郎財務省国際局長、読売新聞記者の越前谷知子日本テレビの原聡子、ブルームバーグの下土井京子らが列席したとし、読売新聞社日本テレビアメリカと手を引いており、またブルームバーグも小泉純一郎元首相らとの関係を持つことをふまえ、親米勢力による謀略との見解を出している[11]

[編集] 主な研究分野・著書

[編集] 現代政治思想の研究

[編集] 政治・経済分析

[編集] 日本史研究

[編集] 言語研究、用語辞典編纂

[編集] その他

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

  1. ^ 橋爪大三郎、副島隆彦『小室直樹の学問と思想』 弓立社 1992年(参考:小室直樹『超常識の方法』 祥伝社 1981年)
  2. ^ 上掲『決然たる政治学への道』
  3. ^ 上掲『属国・日本論』、『思想劇画 属国日本史 幕末編』
  4. ^ 上掲『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』
  5. ^ 上掲『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』
  6. ^ 上掲『決然たる政治学への道』167頁
  7. ^ 上掲『人類の月面着陸は無かったろう論』
  8. ^ 上掲『読売新聞』(2004年8月15日)http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/getumen.htm
  9. ^ 上掲『人類の月面着陸はあったんだ論』
  10. ^ 上掲『山岸勝榮 英語辞書・教育研究室 英語辞書論考』
  11. ^ http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi
  12. ^ 参考 Victor Thorn The New World Order Exposed

[編集] 外部リンク