ノート:仙禄湖

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別名について[編集]

  • 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 歴史編(五) 現代』佐久市志刊行会、2003年、349、355 - 357ページ。

上記『佐久市志』に「窪田頭温水溜池」とあります。これが正式名称であるとする記載はありませんでしたので、「建設時の名称」として記載しました。

一部から仙禄湖の古名を「篠澤池」であるとの主張があるようです[1]。江戸時代に築かれたとされる篠澤用水の池であるからだということですが、しかし前出の『佐久市志』には篠澤池・篠澤用水への言及はありませんでした。『佐久市志』のようなWikipedia:信頼できる情報源に記載がない以上、篠澤池を古名として記載したり、篠澤用水に言及することはできません。ノート:篠澤用水もご覧下さい。--Qurren会話2017年6月25日 (日) 02:35 (UTC)[返信]


上記は篠澤用水開発者の子孫が営む宿泊施設が、地域情報ポータルサイトに投稿したニュース記事です。現在、篠澤用水・篠澤池といった名称が用いられていないのは、戦後GHQの指令で禁止されたためだそうです。これだけ読みますと、篠澤用水はともかく、戦前から篠澤池が存在していたかのような印象を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、そうでないことは『佐久市志』の記述から明かです。仙禄湖建設開始は1954年(昭和29年)ですから、サンフランシスコ講和条約の後のことです。それ以前に、現在の仙禄湖がある場所に池があって、それを拡張改修して仙禄湖を造ったとも考えられますが、仙禄湖建設前後で航空写真(下記、国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)を見比べてみても、仙禄湖建設地点には田畑しかなく、仙禄湖=篠澤池であるとは考えにくいです。--Qurren会話2017年6月25日 (日) 04:20 (UTC)[返信]

  • 井出安人「県営窪田頭温水タメ池事業 ―仙禄湖―」『北佐久の農業土木』27 - 32ページ。
    • 「北佐久の農業土木」編集委員会編『北佐久の農業土木』長野県北佐久地方事務所・長野県北佐久土地改良事業研究会、1975年。
      • 早稲田大学、文学碑と拓本の会編『佐藤春夫の詩碑』二玄社、1970年。ASIN B000J96OIO

仙禄湖の建設工事のほか、記念碑や詩碑・歌碑などの書き起こしも記載されています。『佐藤春夫の詩碑』(原典未確認)より佐藤春夫による仙禄湖命名の経緯に関する記述の引用もあります。果たして、佐藤春夫は仙禄湖の古名を「篠澤池」と知っていたのでしょうか。「篠澤池」であると知りながら、改めて仙禄湖と命名したのでしょうか。疑問です。--Qurren会話2017年7月1日 (土) 03:51 (UTC)[返信]

面積について[編集]

上記ウェブサイトでは、仙禄湖の面積を「3ha」としていますが、『佐久市志』(#別名について)には湖面積「1.1ha」とありました。電子国土の計測ツールで水の部分だけを囲うと1ha少々ですが、周囲の土手や隣接する仙禄湖公園まで選択範囲を広げると3ha弱ありました。「3ha」というのは湖面積ではなく、土手や公園まで含めたものであると考えられます。--Qurren会話2017年6月25日 (日) 12:46 (UTC)[返信]