ノート:丙寅洋擾

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2010年10月21日 (木) 11:21 (UTC)投稿の要約欄[編集]

↑ この要約欄に記した「2010年8月31日16:34-16:34(UTC)」は、「2010年8月31日16:34(UTC),2010年8月13日05:36(UTC)」の誤りです。訂正しなくてもわかっていただけるであろうとは思ったのですが、気になりますのでこの場をお借りして訂正します。失礼しました。--しまあじ 2010年10月21日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

日本語版のWikipedia:記事名の付け方の「基本的には日本語での正式名称 (common name の誤訳?)を使用します」と「正式な名称がない場合は日本語での適切な名称を採用します」により、「朝仏戦争」が適切であるため改名を提案します。なお、本記事に書かれている「仏朝戦争」は少なくともgoogle books では見当たりませんでした。Takabeg会話2015年7月14日 (火) 10:10 (UTC)[返信]

  • Googleで「丙寅洋擾」で検索したらコトバンクの丙寅洋擾がみつかり、図書館で平凡社『世界大百科事典』2007年改訂新版の29巻138頁に「洋擾」という見出しがあり、ここに「丙寅洋擾」と「辛未洋擾」の説明がある事を確認しました。一方、『朝仏戦争』なる見出しは『世界大百科事典』には存在しない事を31巻の索引にて確認しました。なお、 Amazon.co.jp で「丙寅洋擾」で検索すると2冊ばかりヒットしましたが、本の内容までは確認しておりません。
    common name は誤訳ではないと思いますが、(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方に追記しました) en:French campaign against Korea (1866) の "campaign" を"戦争”と訳すのは誤訳ではないでしょうか。戦闘とか作戦のようなニュアンスになるかと思われます。
    「朝仏戦争」とは、Takabeg さんが造語なさったのですか? --114.181.36.77 2015年7月29日 (水) 09:26 (UTC) (脱字訂正。失礼致しました。この機会に一部を追記 --114.181.36.77 2015年7月30日 (木) 02:47 (UTC))[返信]
  • 「朝仏戦争」なる用語の出典元がはっきりしませんでしたので一旦記事から削除しました。--大和屋敷会話2015年8月2日 (日) 03:48 (UTC)[返信]

提案 「改名せず」で議論終結を提案します。

理由: 図書館等で入手できる文献を調査した結果、

  • 『丙寅洋擾』の名称がつかわれているもの
    • 平凡社『世界大百科事典 改訂新版』 p. 138 (第29巻138頁の「洋擾」の見出)
    • 朝鮮史研究会『朝鮮の歴史』 p. 206
    • 武田幸男『朝鮮史』 p. 224
    • 姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』 p. 182
    • 平凡社『朝鮮を知る事典』新訂増補版第5刷 p. 421
    • 朴永圭『朝鮮王朝実録』改訂版 p. 445
    • 水野俊平『韓国の歴史』 p. 154
  • 「朝仏戦争」の名称がつかわれているもの
    • 調査した範囲ではゼロ。

という結果でした。これではもはや”改名議論”をする価値は見出せない、というより、最初から改名議論として成立しないに等しい状況です。また、改名提案者である Takabeg さんは

  • なぜ『丙寅洋擾』の名称ではまずいのか
  • なぜ中立性に問題があるというのか
  • 「朝仏戦争」を用いている出典は何という本の何ページなのか
  • 「朝仏戦争」を用いている出典が、質・量の面で『丙寅洋擾』用いている出典を上回るという事実

が一切、示されておらず、極めて異常な提案行為に思われます。もしこれらが「Takabeg さんの脳内にはあるが書かなかった」というのであれば、最初からこのような根拠を明記した上で改名提案をするようにお願いします。

一週間待ちますので、前述の、改名するのが妥当と言える根拠があれば明記願います。もし、出典に基づく論拠が一週間以内に示されなければ、不備な改名提案と見なし、{{改名提案}} と {{POV-title}} を取り除かせて頂きます。仮に「朝仏戦争」の名称がつかわれている出典を十分に示せないとなれば、Takabeg さんは、出典が容易に見つかる『丙寅洋擾』の名称よりも、Takabeg さんが独自に考えた独自研究の”歴史用語”で Wikipedia の歴史記事を書き換えるべきだという発想の持ち主であり、かかる行為は極めて問題であると思われます。--114.181.36.77 2015年8月15日 (土) 00:58 (UTC)[返信]

「Takabeg さんが独自に考えた独自研究の”歴史用語”で Wikipedia の歴史記事を書き換えるべきだという発想の持ち主であり」というのは嘘による悪質な印象操作です。独自研究の”歴史用語”などではないことは普通の利用者なら簡単にわかるはずです。横山伊徳『幕末維新と外交』吉川弘文館、2001年、215、226頁。井上清『日本の「近代化」と軍国主義』新日本出版社、1966年、5頁。などで使用されています。量の面では『丙寅洋擾』に及びませんが、質の面では、特に中立性という面では『丙寅洋擾』を圧倒しております。「洋擾」というのは李氏朝鮮の立場からのみ見た用語であってもう一方の当事者であるフランスを無視してしまっている、という点で、すでに朝鮮POVなのです。また、ご存知のように、李氏朝鮮では、女真 (後金)をと位置づけ、政治的にが朝鮮の宗主国となった後も、文化的には夷狄即胡虜視していました。19世紀になりキリスト教の浸透や「西洋」からの軍事的圧力が強まるにつれ、清に対して使用していた夷狄という語を「西洋」に対して用いるようになりました。それが「洋夷」という語です。そして、欧米諸国を「貨色に溺れ人倫を欠いた禽獣の地」とし、「世界で唯一の汚れなき地」である朝鮮を守るために「洋夷」を撃退しなければならない、という論理が採用されました。明治維新後、欧米文化を受容しようとした日本も「洋夷」と同一の「倭夷」と位置付けました。これを「倭洋一体」と言います (姜在彦「小中華思想」、原田環「衛正斥邪」『韓国朝鮮を知る事典』などを読んでいただければ概要はわかると思いますよ)。「洋擾」という語は、衛正斥邪小中華思想に基づいてつけられた呼称であり、自文化中心主義的であり、今風の言い方をすればレイシズムの発想に基づいた差別的呼称であり差別表現なのです。複数の当事者 (朝鮮とフランス)が存在する本記事の名称としては、余りにも中立的な観点から外れたものなのです。Takabeg会話2015年8月15日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
先日ノート:丁卯胡乱でも申し上げました[1]が、ウィキ内でポリティカルコレクトネス運動をされてもどうしようもありません。現実世界でポリティカルコレクトネスが大規模に行われ、その結果をこちらにフィードバックするのならわかりますが(例イスラム国→ISIL)、そんな気配もこちらにはないようです。またTakabegさんの論理ですと元寇は日元戦争に、倭寇は東アジア海賊団に、攘夷は異民族・外国人排斥に改名しなければならなくなります。--114.171.162.65 2015年9月25日 (金) 20:56 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

丙寅洋擾」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月24日 (日) 03:25 (UTC)[返信]