ノート:世界システム論

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>後進国として固定化されているように考えられる。

最近はあまり「後進国」という言葉は普通には使わないと思いますが、意図的なものですか?世界システム論を語る際には必要な語彙(代替できない語彙)なのでしょうか?

>中心-半周辺-周辺

何でもいいんですが、私が学生のころは「周縁」という訳語の方が一般的だったような気がします。

160.185.1.56 2005年7月4日 (月) 10:22 (UTC)[返信]

「後進国」の用語については、鍵括弧付きの「後進国」か、一般的には「低開発国」でしょうか。世界システム論的には「後進国」は単純に開発が遅れているというものではありませんから。
「周縁」については、数年前、私が学生だった頃は「周辺」が一般的でした。が、文献によっては「周縁」でしたし、川北稔氏の(『近代世界システム』の)訳では「辺境」になっていました。個人的には「周辺」が言い易いので、「周辺(周縁)」とするのが良いかと思いますが、「周縁(周辺)」でも良いんじゃないでしょうか。どちらにせよ、用語としてはどちらを使用する場合もありますで、併記するのが望ましいかと思います。 コータ 2005年7月10日 (日) 02:21 (UTC)[返信]


全体的に加筆・修正しました。が、必要最低限の説明のみで、ヘゲモニー、インターステイト・システム、長期波動、反システム運動などに関する記述が記載されていません。有識者の方、修正をお願い致します。  コータ 2005年7月18日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

引用文があったので、いったん2005年7月5日 (火) 00:16 の版にリバートしました。引用しないと書けない内容なのかどうか、ご検討ください。なお、引用の是非については、Wikipedia‐ノート:著作権において議論の最中であります。 --忠太 2005年8月17日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
「後進国」「周辺」などの用語については、適切な言葉に直していただければ幸いです。(追記)
引用無しに修正しました。コータ 2005年8月19日 (金) 12:50 (UTC)[返信]

カテゴリ「システム」への分類について[編集]

世界「システム」論とはいっても、世界経済と国際関係をシステムになぞらえているだけ、という感じなので、名前に「システム」という言葉が含まれるからといって、カテゴリ「システム」に分類するのはかなり強い違和感を覚えます。ウォーラステインなり、概説書なりを読まれた上でのカテゴライズでしょうか? --コータ 2007年4月14日 (土) 06:54 (UTC)[返信]

関連文献について[編集]

関連文献から『世界システム論で読む日本』をひとまず削除しました。そもそも「関連文献」という項目に疑問がありますが、それを置いておくとしても関連文献に挙げる書籍に一定の基準を設ける必要があるのではないでしょうか。ウォーラステインの著作のなかで特に世界システム論に関連するものを挙げるのであれば名目が立つと思いますし、それ程文献の選定についてそれ程意見が分かれることは無いと思います。しかし、例えば『世界システム論で読む日本』と、同じ講談社メチエの『知の教科書 ウォーラステイン』(川北稔編、講談社<講談社メチエ>、2001)の違いはどのあたりにあるのでしょうか。際限の無い増加を避ける為には明確な判断基準が必要かと思います。そのあたりが「関連文献」に反対な理由でもあります。それはそれとして、関連文献を載せ続けるなら、邦訳された文献は邦題を先にした方が良いかと思います。--コータ 2007年12月19日 (水) 16:46 (UTC)[返信]

世界システム論は「歴史」理論か[編集]

キリスト教史観や唯物史観を含む進歩主義史観に基づく決定論としての歴史理論は破綻した概念であり、そのようなものとして世界システム論を定義すること自体が間違いです。Keith Thomasの論評中で用いられたとする"jumbo history"を「巨視的歴史理論」と誤訳した川北稔が日本における世界システム論受容の大いなる誤解の根本であり、彼の責任は重大だと思います。ウォーラスタインは社会学者であって歴史学者ではありません。世界システム論は成立の必然として歴史的分析を含んでいるだけで歴史学として著されたものでなく、世界を単一のシステムと見る社会システム論であり、結果として英語版の定義にあるような独自な国際関係論です。歴史学方法論(時代区分論)として理解されてよいものではありますが、歴史理論とするのは決定的な誤りです。

詳しくは、基本的に世界システム論に依拠して構成された世界の一体化のノート(ノート:世界の一体化#「世界の一体化」は独自観点による独自研究)節へ2008年3月10日 (月) 19:25 (UTC)に寄せたコメント「ゴンベイが本項記述に対して疑義を表明した包括的な理由と記事改定のプラン」をご覧ください。ゴンベイが編集したウォーラステインの導入部もご参照ください。--ゴンベイ 2008年3月11日 (火) 11:31 (UTC)[返信]

ウォーラステインは社会学者で、歴史学者です。欧米では、特にアナール派以降は歴史学と社会学をあまり明確に区別できなくなっています。もちろん、英語版のWikipediaをご覧ならご存知だとは思いますけど。社会史とか、歴史社会学とかいう言葉を聞いたことありませんか? 歴史理論とするのが誤りだというのなら、それがゴンベイさんの独自研究ではないという根拠を示してください。というか、ゴンベイさんはウォーラステインの『近代世界システム』のどれか一冊でも読んだことはありますか?お有りなら、著者略歴を確認してください。まあそれ以前の問題として、「キリスト教史観や唯物史観を含む進歩主義史観に基づく決定論としての歴史理論は破綻した概念であり、そのようなものとして世界システム論を定義すること自体が間違いです」という仰り様から、明らかに歴史学を誤解していることが見て取れるのですが。--コータ 2008年3月11日 (火) 12:02 (UTC)[返信]
(補足)ノート:世界システム論で思ったのですが、ゴンベイさんは歴史観と歴史理論を混同していませんか。簡単に言えば歴史観とは歴史に特定の方向性を見出す見方のことで、乱暴な言い方をすれば「はじめに結論ありき」な見方のことです。歴史理論とは、歴史を検証してみて、「こういった傾向があるんじゃないか」とか、「こういったまとめ方ができるんじゃないか」とか考えることです。「史観」というのは歴史学においては基本的に否定的な言葉です。「なになに史観」と付いた時点で特定の偏向が認められたことになるからです。「唯物史観」、「進歩史観」、「皇国史観」といった言葉を思い浮かべてください。これらは学問として完全にアウトです。一応、歴史ではありますが、歴史学ではありません。信じている人たちにとっては一応、歴史理論であるのかもしれませんが、歴史学における歴史理論では決してありません。--コータ 2008年3月11日 (火) 13:33 (UTC)--コータさんが私ゴンベイの個人ノートに記されたコメントをコータさんの了解を得て転記します。ゴンベイ 2008年3月12日 (水) 01:27 (UTC)[返信]
ゴンベイさんご自身の要請により、こちらでも指摘させて戴きますが、唯物史観や進歩史観といった歴史観と歴史学での歴史理論は全くの別物です。
ただ私はゴンベイさんが誤解していた、いないとかではなく、どんな本を読んでいて、どんな根拠をお持ちなのかという方向に議論を進めたいのですが。もちろん、何々語版Wikipediaやネット情報にこう書いてあるという話でもなく。あと世界の一体化の話もどうでもいいです。明らかに長すぎますから。あちらでお気の済む様にやって下さい。こちらでは純粋かつ単純に、世界システム論について書いてあるこの本にはこう書いてある、という話をしましょう。--コータ 2008年3月11日 (火) 15:21 (UTC)[返信]
先のコメントで「日本における世界システム論受容の大いなる誤解」と申し上げているにもかかわらず、「歴史理論であるかないかの典拠」節でコータさんが日本の祖述・解説者の文ばかりを典拠としてあげられているので非常に困惑しております。ウォーラステイン自身の著書からの引用により論だてていただけるとありがたいです。典拠の一つとしている「カバー」とは一体なんでしょうか。当然ながらウォーラスタイン本人による序文ではなく、せいぜい翻訳者らの紹介文、通常は出版社の宣伝文が書かれているものです。コータさんのノートにコメントを書き込んだ際に、コータさんが歴史学を学んだ旨のことが記されていましたから、当然ご存知のはずランケの歴史学方法論(英語版記事での定義は"historical theory"ではなく"Methodology")の主体である資料批判を適用するならば、典拠としてあげるには最も慎重であるべきものと思います。
(英語の歴史書にはen:Big Historyというジャンルがあるそうです。地球の誕生からのそれこそ地球史を時代を追って天文学、地学、古生物学、人類学、考古学と複数の学理"multi discipline"を用いて記述するため、歴史学者からは歴史書とは認められていないとのこと、まぁ読み物ですか。自身がOxfordの歴史学教授であったKeith ThomasがWallersteinの『近代世界システム』とPerry Andersonによる2冊をあわせて書評の題を"jumbo history"としたのはBig Historyとの対比を意識してのことでしょうね。Jumbo History - The New York Review of Booksは無料ではリード部分だけで具体にWallersteinの著作を評した部分は読めませんが、出だしは高評価のように思えます。ただし、"The composition of large-scale works of historical interpretation is therefore left to autodidacts, unintimidated by academic demarcation lines, and visionaries, convinced that by reinterpreting the past they can shape a new future."の文節の中で"historical interpretation"(歴史解釈)と"visionaries"(予言者も含意する明確なビジョンをもった人)という文言があるのは気になるところです。全文脈が分からないので括弧で括って単なる感想とします。)
また、コータさんは典拠として英語版事典の記述を取り上げられています。Amazonで見た限りではOxford Pressには歴史(学)事典ではなく、コータさんのお説のとおり歴史学と社会学を合わせて社会学事典としているのでしょう。しかし、"historical theory/principle/discipline"ではなく、史的アプローチを含んでいることを意味するに過ぎない「歴史叙述」、すなわち歴史書の定義と同じものであるものを歴史理論とする論立てはいかがかと思います。百歩譲って歴史社会学理論であるとしても歴史学理論だけに限定する理由にはなりません。学の領域を限定することは、それこそ「巨視的な」理論にふさわしくない定義です。
マルクスに始まる唯物史観は、ギリシアの奴隷制->ゲルマンの農奴制->イギリスの資本主義と、生産関係の発展した地域が違うにもかかわらず単線的に発展段階説を構築していること自体で、この説を知った当初から私は理論的整合性がないとしてきましたが、ましてやソ連の国家神学として決定論化が進んでしまっては話になりません。(この土俵の上で闘われた「日本資本主義論争」なるものは相当に不毛なものです。)さて、ウォーラステインの世界システム論の基礎はマルクス主義と双方ともその系譜に位置づけられる従属理論とアナール学派であるとされています。当然ながら、ウォーラステインは新マルクス学派(Neo-Marxian Schools)に位置づけられます。マルクス学派は新旧を問わず唯物史観をどう位置づけるかが問題となります。私は唯物史観から発展段階説と決定論を捨て去ったものを"史的唯物論"(WPJAにredirectページのみ)として区別し、"史的唯物論"が肝として持っている、政治社会を突き動かし歴史のダイナミズムを生み出すのは経済の下部構造であるとの政治経済学理論は、ポスト・ヴェーバー、ポスト・ポパーにおいては限定されるとしても依然として有効・有力なものであると考えております。ウォーラステインは個別の地域・国における"発展"が世界経済と無関係に単線的に成立するものでないことを理論だてたと見たため、ウォーラステインの世界システム論も私が位置づける"史的唯物論"の上に立つものと思っておりましたが、あれこれ見ていると、このイメージは間違っていたようです。ベトナム戦争後の世界ではソ連が優位に立つとウォーラステイン自身が考えていたことで、彼は決定論からは脱していませんでした。ソ連の崩壊により、彼の観点は根底的に間違いが証明されていますが、現在の彼は未完の四部作『近代世界システム』の最終巻などでソ連の崩壊を理論的にどう位置づけるのかに傾注することなく、世界社会フォーラムなどアルテルモンディアリスムのイデオローグとしての活動に励んでいるようです。唯物史観に依拠した彼の世界システム論を歴史学理論と読み解くには相当に厳重な括弧に入れた上でないといけないものかと思います。マルクスに始まる唯物史観を歴史理論ではないとするコータさんは彼の世界システム論と唯物史観との関わりをどのように読み解かれますか。(もっとも、唯物史観が伏流として今なお流れている日本の学者が翻訳・解説したものでは、あまりに当然のこととしてかえって無視されて、明晰には読み取れるものではないかとも思いますが。)(参考:英語版には日本語版の唯物史観と同じ内容を定義したen:historical materialism(史的唯物論)とは別にen:Marx's theory of historyがあり、両記事の統合が提案され議論中である。)
コータさんはCategory:歴史理論をご覧になったことがありますか。定義は「文献に記された歴史だけではなく、ある事象が何故起こったか、そして未来へ向けてへの可能な限りの手段の方法を研究する理論である。」となっています。カテゴライズされている記事についてどう思われますか。日本語版Categoryの定義は英語版en:Category:Theories of historyの翻訳そのものです。en:Social Darwinismも含めてずらりと歴史観関係の記事がカテゴライズされています。少なくともWikipedia世間では歴史理論=歴史学理論という見方は常識とはされていないかと思います。コータさんはWikipediaを論拠にするべきではないとおっしゃっていますが、Wikipediaのこの現状をどう思われますか。
日本語版には「歴史理論」の記事がありません。キーワード検索でヒットしませんでしたが、「歴史学研究法‎」と「歴史学」の二つの記事があります。「歴史学研究法‎」は何と英語版en:Historical methodからの翻訳記事です。en:historyではなく「地誌」en:geographyと同じ命名法による「歴史学」en:histographyには「史料批判」サブ節を含む「方法論」節はありましたが、「歴史理論」の節も記述もありませんでした。そして「歴史観」の節にはコータさんが編集された世界システム論に関する小項目がありました。
>歴史観と歴史学での歴史理論は全くの別物です。
節立てを無視されてのコータさんの当該編集行為は自説と矛盾するのではありませんか。
コータさんから見れば感想の羅列に過ぎないでしょうが、今のところの私の考えを述べました。--ゴンベイ 2008年3月12日 (水) 16:32 (UTC)[返信]
繰り返しますが、歴史理論でないという根拠を示してください。国際関係学の理論だという根拠はノート:世界の一体化を見る限り、英語版Wikipediaの内容と、英語版を参考にして書き換えたというイマニュエル・ウォーラステインの内容ぐらいな様に思えます。
次に私の挙げた、日本語の世界システム論関連の文献が信用できないと仰るのなら、その根拠を示してください。たとえカバーに書かれている概要だとしても、学術的に正確な情報でなく一般的にどう受け止められているかの参考程度にはなります。ましてや、それなりにちゃんとした書店から出版されている本の本文の内容であれば、根拠も示されずに出典の有効性を否定することはできないはずです。
歴史学の「歴史観」に世界システム論を追加したのは私ではありません。内容の修正をしましたが、世界システム論に限らずヴェーバー、アナールなど幾つかの事柄は歴史観の節に並べられるべきではないと思っています。ただし、私はそれらを歴史観として扱うのは間違いだと思いますが、書き加えた人には書き加えた人なりの考えのあってのことでしょうから、あまり触らずにそのままにしておきました。と、こういうこともありますから、Wikipediaの情報を鵜呑みにはしないほうが良いと思います。--コータ 2008年3月13日 (木) 09:35 (UTC)[返信]
Wikipedia世間では「歴史理論=歴史観」とされている現状、ここで「歴史理論=歴史学理論」か否かを論じていてもしょうがない。本元の歴史学Category:歴史理論で概念定義を論じられたい。それまでは歴史学徒であったコータさんの編集行為が自説に矛盾した「歴史理論=歴史観」の追認行為であるとの結果に対する認識は変えられません。このことに関する議論はしばらくお休みです。なお、もともと世界システム論の日本における受容を問題意識の核としているので、{{国際化}}とさせていただきました。 --ゴンベイ
仰ることがよく分からないのですが、Wikipediaで「歴史理論=歴史観」とされているからWikipedia以外でどう扱われていようと、私自身がどう考えていようと関係ない、ということでしょうか? 申し訳ありませんが、その後の部分を含めまして、私には論旨がさっぱりわかりません。本来、歴史観に含まれるべきでないものが幾つか歴史学の歴史観の節に紛れ込んでいたというだけなのではありませんか? とりあえず、基本的にWikipedia上の情報をもとに議論や判断はしないで下さい。Wikipedia:信頼できる情報源をご覧下さい。
何度目の指摘になるのかはわかりませんが、「世界システム論の日本における受容を問題意識の核としている」と仰るのでしたら、その根拠を示してください。何がどんな風に問題なのかを、信頼できる出典とともにお願いします。--コータ 2008年3月13日 (木) 15:12 (UTC)[返信]
残念ですが、どうにも出典を示していただけない様なので、コメント依頼を立てさせて頂きました。これを機に典拠を示して頂ければ幸いです。先方にも書きましたが、それなりの根拠を(Wikipedia以外で)示して頂ければ、歴史理論以外の言い回しを探しても良いと考えています。「国際関係論」は無理ですが。『近代世界システム』で国は真に有効な単位ではない、ってウォーラステインが書いてますし。国際関係論が世界システム論に含まれないとは言いませんが。いずれにせよ、コメント依頼と出典の件、宜しくお願い致します。--コータ 2008年3月14日 (金) 16:52 (UTC)[返信]

(報告)「歴史理論=歴史観」あるいは「歴史理論=歴史学理論」であるか否かは、この記事の範囲で収まることでなく歴史学の学理に関することなので、ノート:歴史学においてノート:歴史学#歴史学理論、歴史理論、歴史観、歴史学方法論、歴史学説節を設けて発議しました。--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 03:43 (UTC)[返信]

出典有り難う御座います。ところで、これらの文献は実際にゴンベイさんがお読みになられたものでしょうか。ゴンベイさんが国際関係論である根拠として挙げられた『現代政治学叢書19 世界システム』では国に限らず企業や世帯なども主体となることが書かれているのですが、どうお考えでしょうか。他にもゴンベイさんが挙げられた文献は、同様に国家より小さな単位が主体として含まれる、として既に国際関係論でない根拠に挙げられたものが含まれています。もちろん、国際関係論が世界システム論に含まれないというつもりは毛頭ありませが、「国際」つまり「国と国のあいだ」という言葉ではより小さな単位が主体となることがこぼれ落ちてしまうとおもうのですが。そのあたりどのように書かれているかや、そもそも私の見落としでないかの確認をとらなければいけませんので、ページ数とどのように書かれているかの概要を追記下さいますよう、お願い致します。お手数ですが、すべての文献についてお願い致します。--コータ 2008年3月16日 (日) 11:04 (UTC)[返信]

ゴンベイさんは世界システム論を国際関係(?)の側面から読み取っておいでのようですね。ところでそれは、歴史学的側面からきりとることを拒否しなければならない種類のものなのでしょうか。一般論としては「○○ではない」と証明するのは大変なことのように思われます。いくら「△である」「□である」といったところで、世界システム論のみならず大抵の理論は分野をまたぎうる、というのは昨今常識になりつつあるのではないかと感じています。--S kitahashi(Plé)2008年3月16日 (日) 18:48 (UTC)[返信]

歴史理論であるかないかの典拠[編集]

言い出した側なので、まずはこちらから文献を挙げさせて頂きます。ゴンベイさん、あるいはゴンベイさんに限らず世界システム論は歴史理論でないとする、あるいは国際関係論であるとする文献をお持ちの方はそれぞれの節に追加して下さい。--コータ 2008年3月11日 (火) 16:48 (UTC)[返信]

歴史理論である[編集]

  • "Oxford Dictionary of Sociology"の"world system, world-systems theory"の項
冒頭から"A historical description"「歴史叙述」と定義されている。
  • ウォーラステイン『近代世界システムI』(岩波現代選書)の訳者川北稔の「まえがき-訳者解説-」
「超巨視的歴史(ジャンボヒストリ)」の理論、との記述
  • ウォーラステイン『新版史的システムとしての資本主義』岩波書店
カバーの概要に「壮大な歴史理論『世界システム論』」との記述。1997年出版なので、『近代世界システム』の訳が誤訳なら修正されているはず
  • ウォーラステイン『近代世界システム 1730~1840s』名古屋大学出版会
訳者あとがきに、「壮大な『近代世界システム』の歴史的展開についての叙述」という記述
  • 今村仁司編『現代思想を読む事典』(講談社現代新書)の「ウォーラステイン」の項
世界システム論四部作の説明に「…歴史のマクロな枠組を成してきたとする理論構想」との記述
  • 高坂健次、厚東洋輔編『講座社会学1 理論と方法』
p.50-54 「歴史理論」の説明で世界システム論を歴史理論として説明
  • 『社会学事典』弘文堂
ウォーラステインの説明で「歴史理論」と解説

歴史理論でない[編集]

社会科学の巨視的理論-「世界システム論」の世界での受容[編集]

社会科学の巨視的理論とする典拠文献[編集]

世界/国際政治経済論である[編集]

  • ウォーラーステインThe Capitalist World-economy: Essays, (Cambridge University Press, 1979).
『資本主義世界経済(1)中核と周辺の不平等』(名古屋大学出版会, 1987年)藤瀬浩司麻沼賢彦金井雄一
藤瀬浩司:名古屋大学名誉教授、経済史専攻。麻沼賢彦:四日市大学経済学部教授、ドイツ経済史・欧米経営史専攻。金井雄一:名古屋大学経済学部教授、経済史,金融史,貨幣・信用論を専攻。
『資本主義世界経済(2)階級・エスニシティの不平等、国際政治』(名古屋大学出版会, 1987年)日南田靜眞監訳
日南田靜眞:(東京大学教授?故人?)、マルクス主義経済学専攻
  • ウォーラーステインThe Politics of the World-economy: the States, the Movements, and the Civilizations, (Cambridge University Press, 1984).
『世界経済の政治学――国家・運動・文明』(同文舘出版, 1991年)田中治男伊豫谷登士翁内藤俊雄
田中治男:成蹊大学名誉教授、政治思想、自由論、自由主義専攻。伊豫谷登士翁:東京外国語大学教授、世界経済論、移民研究。内藤俊雄:証券アナリスト?
---1989年 The Modern World-System vol. 3 (1730-1840s) 刊行---
  • ウォーラーステインUnthinking Social Science: the Limits of Nineteenth-century Paradigms, (Polity Press, 1991).
『脱=社会科学――19世紀パラダイムの限界』(藤原書店, 1993年)本多健吉高橋章監訳
本多健吉:大阪市立大学経済学部名誉教授(故人)、国際経済専攻。高橋章:日本大学国際関係学部教授、日米比較研究・日米比較文化・キリスト教文化専攻。
  • ウォーラーステインAfter Liberalism, (New Press, 1995).
松岡利道訳『アフター・リベラリズム――近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』(藤原書店, 1997年)
松岡利道:龍谷大学経済学部国際経済学科教授、資本主義の理論特に現代資本主義の歴史理論的分析。
  • ウォーラーステインThe Decline of American Power: the U.S. in a Chaotic World, (New Press, 2003).
『脱商品化の時代――アメリカン・パワーの衰退と来るべき世界』(藤原書店, 2004年)山下範久
山下範久:立命館大学国際関係学部准教授、史的システム論/世界システム論。日本で唯一ウォーラーステインに直接学んだ。
--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 08:39 (UTC)--追加ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 08:59 (UTC)--一部移動ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:23 (UTC)[返信]

国際関係論である[編集]

  • 田中明彦『現代政治学叢書19 世界システム』(東京大学出版会、1989/04)
  • 田中明彦『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年/日経ビジネス人文庫, 2003年)
田中明彦:東京大学東洋文化研究所教授、国際関係論専攻。
Immanuel Wallerstein, The Modern World-System, New York: Academic Press, 1974(『近代世界システム論・』川北稔訳、岩波書店、1981年)
Immanuel Wallerstein, The Modern World-System ・, New York: Academic Press, 1974(『近代世界システム論・』川北稔訳、岩波書店、1981年)
Immanuel Wallerstein, The Capitalist World-Economy, Cambridge: Cambridge University Press, 1979.
Immanuel Wallerstein, The Politics of World-Economy, Cambridge: Cambridge University Press, 1984.
Albert Bergesen, ed., Studies of the Modern World-System, New York: Academic Press, 1980.
Albert Bergesen, ed., Crisis in the World-System, Beverly Hills: Sage, 1983.
Terence K. Hopkins and Immanuel Wallerstein, Processes of the World-System, Beverly Hills: Sage.
George Modelski, "The Long Cycle of Global Politics and the Nation-State," Comparative Studies in Society and History, 20, 214-235.
ジョージ・モデルスキーワシントン大学政治学部名誉教授、覇権循環論を特徴とする国際政治学専攻、[http://jwsr.ucr.edu/index.php Journal of World-Systems Research寄稿者
Wiiliam W. Thompson, ed., World System Analysis, Beverly Hills; Sage,1983.
--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:28 (UTC)--追加ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:45 (UTC)--補足ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 10:36 (UTC)--補足ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

国際関係論でない[編集]

  • 田中明彦『現代政治学叢書19 世界システム』(東京大学出版会)
p17 世界システムでは国際関係の存在しないケースも想定されていることが書かれている
pp.29-32 国家以外のより小さな単位も世界システムでは主体となる事が解説されている
  • ウォーラステイン『近代世界システムI』(岩波現代選書)
p.9 「主権国家というものも他の組織と同じで、この唯一の社会システムのなかで組織構造のひとつにすぎない」
  • ウォーラステイン『近代世界システムII』(岩波現代選書)
p.280 国家などの社会システムは実際にはトータルなシステムでなく、より小さな自給的単位か世界システムこそが本当に意味のあるシステム、と説かれている。
  • 『社会科学辞典』新日本出版社
「世界システム論」の説明で「国家を単位として世界をとらえる「国際システム」ではなく、世界を単一のシステムとしてとらえようとする考え方」

社会学理論である[編集]

  • ウォーラーステインWorld-Systems Analysis: An Introduction, (Duke University Press, 2004).
『入門・世界システム分析』(藤原書店, 2006年)山下範久訳
  • 大畑 裕嗣・道場 親信・成 元哲・樋口 直人 編著『社会運動の社会学』有斐閣選書,20040430参考文献リスト[2]
第11章『自由の夢』
ウォーラーステイン,I., 1991, 『ポスト・アメリカ』藤原書店.
第12章『社会運動のあゆみ』
ウォーラーステインほか,1989=92,太田仁樹訳『反システム運動』大村書店.
ウォーラーステイン,I., 1983=85,川北稔訳『史的システムとしての資本主義』岩波書店
ウォーラーステイン,I., 1992=93,本多謙吉・高橋章監訳『脱=社会科学――19世紀パラダイムの限界』藤原書店.
--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:16 (UTC)--追加ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:38 (UTC)[返信]

政治思想論である[編集]

  • ウォーラーステインAntisystemic Movements, with Giovanni Arrighi and Terence K. Hopkins, (Verso, 1989).
太田仁樹訳『反システム運動』(大村書店, 1992年)
太田仁樹:岡山大学経済学部教授、マルクス主義理論史特にレーニン帝国主義論とロシア革命。
  • 今村仁司編『現代思想を読む事典』(講談社現代新書)の「ウォーラステイン」の項
今村仁司:東京経済大学教授(故人)、フランス現代思想研究、マルクス研究。
--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:23 (UTC)--追加ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 09:56 (UTC)[返信]

ウォーラステインと世界システム論周辺の余談[編集]

上記の議論とは無関係に、記事編集に役立つか役立たないかは編集者次第のトリビアな話題

新マルクス派/ラディカル学派 (The Neo-Marxian/Radical School)イマニュエル・ウォーラーステイン (Immanuel Wallerstein)世界システム学派 (World System School)
『現代政治学叢書19 世界システム』東京大学出版会、1989
『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年/日経ビジネス人文庫, 2003年)--ゴンベイ 2008年3月13日 (木) 23:24 (UTC)[返信]

世界システム論の多言語版定義[編集]

  • 日本語世界システム論2008年3月14日 (金) 21:44版 カテゴリ:歴史学、社会学、政治学、世界史
世界システム論(英語:World-System(s) Theory)は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した「巨視的歴史理論」[1]である。(脚注[1]:川北稔「まえがき-訳者解説-」、ウォーラステイン『近代世界システム』I、p.xvii。訳者注によれば"The New York Review of Book"でのKeith Thomasによる論評が"jumbo history"「巨視的歴史理論」の初出であるとのこと。なお、訳者川北は「超巨視的」としたが、ここでは単に「巨視的」とした。)

以下は、ゲルマン語群版の世界システム論の定義が記された各導入部冒頭1段落のゴンベイによる邦訳(拙訳ご容赦)

  • 英語en:World-systems_theory22:20, 11 March 2008版 カテゴリ:政治経済、国際関係理論、社会学理論、システム科学、理論、歴史、歴史理論、進化論、社会文化進化論(≒経済発展段階説)
世界システム論は、S・アミーン、G・アリギ、A・G・フランクとI・ウォーラーステインの研究に基づくポスト・マルクス主義の国際関係論。
  • ドイツ語de:Weltsystem-Theorie09:59, 9. Mär. 2008版 カテゴリ:社会学理論、マルクス主義の系譜
世界システム論は社会と「変化とその結果」の関係を研究したもの。個別の経済体制(≒各国経済)の限界を超える社会的な変化を提示するモデルにより、既存の社会学理論に対して対照的、対抗的なもの。当初1970年代に資本主義世界経済の新しい進展に対する答えとしてイマニュエル・ウォーラーステインとその同僚によって開発され、2つの知的な源、すなわち、ネオ・マルクス主義と、同時に発展してきたフランスのアナール学派の研究に基づいたもの。
  • オランダ語nl:Wereld-systeemtheorie9 mrt 2008 09:59版 カテゴリ:グローバリゼーション、国際関係パラダイム、システム論
世界システム論は、社会学の国際関係の理論的フレームワークであり、イマニュエル・ウォーラーステインの(以下はドイツ語からの類推)業績による。
  • フランス語fr:Système-monde9 mars 2008 à 09:59版 カテゴリ:地理経済学
世界システムの概念は、(従属理論学派に属する)理論家I・ウォーラーステインによってもたれたポストマルクス主義経済学(F・ブローデルによる経済的世界の概念から導き出された)ものである。そこでは、南側の国の低開発が国際経済の秩序構造に位置づけられたものと主張する。すべての国は、中心・半周辺・周辺と区分する世界経済であるグローバリズム下にあるとされる。アメリカ合衆国を筆頭とするOECDの大国は世界経済の中心、発展途上国は周辺という構成である。
世界システム論は社会学理論であり、...(途中はドイツ語からの類推不能。抽象?と解される単語あり)...社会学理論モデル。
「近代世界システム」はI・ウォーラーステインの重要な業績である。「近代世界システム」は理論的な解釈による新しいモデルにより歴史学に貢献した。「近代世界システム」は1974、1980と1989年に3巻が出版された。彼はカール・マルクス、フランスの歴史家フェルナン・ブローデル、従属理論の3つの影響を受けている。また、開発において国についてアフリカのポスト植民地のに関するいくつかの理論研究で得られた実際的な経験に基づいている。冷戦が頂点にあった時、既に彼は論文において南北問題の重要性の指摘を始めていた。彼は「第三世界」の概念を拒絶し、経済交換関係の複雑なネットワークにつながれた世界があるだけと断言した。
※世界システム論のスペイン語直訳は"Teoría del sistema mundial"。多言語間リンク記事もそれらしい対応記事も見当たらないため、ウォーラーステインの業績として筆頭に挙げられた「近代世界システム」節の冒頭1段落を訳出。--ゴンベイ 2008年3月16日 (日) 04:36 (UTC)[返信]

ゴンベイさんの文献リスト[編集]

『現代思想を読む事典』の「ウォーラーステイン」の項目を書いている福井憲彦氏は日本の歴史学者なのですが、これはゴンベイさんが宗旨替えをなさった、ということでしょうか。--コータ 2008年3月17日 (月) 14:32 (UTC)[返信]

他にも文献の内容とゴンベイさんのご主張の内容が一致しません。

  • 国際関係論の根拠とされた『現代政治学叢書19 世界システム』ですが、企業などの国家以外の単位が主体となることが書かれています。p.29
  • 社会学理論の根拠とされた『入門・世界システム分析』ですが、特定の学問分野ではなく、統合された「史的社会科学」だとのことです。p.58
  • 政治思想論の根拠とされた『反システム運動』ですが、民族主義運動と社会主義運動という二大反システム「運動」がメインです。

ご説明頂けますでしょうか。--コータ 2008年3月17日 (月) 16:04 (UTC)[返信]

ウォーラーステイン自身の見解[編集]

ウォーラーステイン自身は、

私自身は、かれこれ30年以上、世界システム分析に従事し、執筆を続けている。私は世界システム分析を、近代世界システムの歴史とメカニズムとの記述に用いてきた。また私は、知の構造の輪郭を示すために、世界システム分析を用いてきた。さらに私は、世界システム分析を、ひとつの方法およびひとつの視点として論じてきた。

と述べています(ウォーラーステイン『入門 世界システム分析』山下範久訳、2006、藤原書店、強調部分はGreenland4)。

山下訳が誤訳でないとしたら、また、「世界システム論」と「世界システム分析」とが無関係なものでなく一連のものであるとしたら、世界システム論は「歴史理論」と呼んでさしつかえないものと思います。少なくとも「社会学理論」と呼ぶよりは適切です。納得なさったら、ゴンベイさんは御自分の説を撤回して、「正確性」タグを取りはずされたらいかがでしょうか。正確性に問題があるのはゴンベイさんの方でしたから。無闇な議論の拡散はコミュニティを疲弊させる行為だということを御自覚なさってください。また、読んでいないのにリストアップしたことについても謝罪なさるべきでしょう。謝罪すべきところで謝罪する行為は周囲の尊敬と信頼を得るものと確信いたします。これは、「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」以前のネチケットです。自分の尻ぬぐいは自分の手でお願いいたします。--Greenland4 2008年3月22日 (土) 23:50 (UTC)体裁の修正と加筆--Greenland4 2008年3月23日 (日) 00:12 (UTC)[返信]