トマス・シーモア

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トマス・シーモア
Thomas Seymour
シーモア家
Thomas Seymour Denizot.jpg
Nicholas Derizot画、初代スードリー男爵トマス・シーモア
称号 イングランド王国スードリー男爵
出生 1508年
死去 1549年
イングランド王国の旗 イングランド王国ロンドンロンドン塔
配偶者 キャサリン・パー
父親 ジョン・シーモア
母親 マージョリー(またはマーガレット)・ウェントワース
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トマス・シーモアEdward Seymour, 1st Baron Seymour of Sudeley, 1508年 - 1549年)は、テューダー朝期のイングランドの貴族。スードリー男爵。エリザベス1世への影響によって知られる。

生涯[編集]

トマスは一介の騎士ジョン・シーモアの子として生まれた。父はヘンリー8世の寝室係侍従を務め、妹のジェーンはヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの女官であった。ジェーンは、キャサリンが離婚して王宮を出ると、2度目の王妃アン・ブーリンに仕えた。このジェーンが王の目にとまって3度目の王妃となり、王の初の嫡出の男子を産んだことで、シーモア家は栄達のきっかけをつかんだ。ジェーンは産褥熱で死んだが、エドワード王子は唯一の王子として育った。

トマスはヘンリー8世の6番目の妻となるキャサリン・パーとは、ヘンリー8世との結婚前に知り合っていた。トマスを宮廷から遠ざけるため、ブリュッセルでの地位が与えられた[1]

ヘンリー8世が亡くなり、宮廷に帰っていたトマスは、兄エドワードと共に、甥のエドワード6世王を支える顧問団の一員となった。兄エドワードはサマセット公爵に叙され、トマスはスードリー男爵となった。エドワードは護国卿となって権力をふるいはじめ、これをうらやむトマスとの間に対立が生じた[2]。トマスは、富裕な未亡人となったキャサリンと、ヘンリー8世の亡くなったその年に結婚した。

1546年ごろのエリザベス

エリザベス王女が継母であるキャサリンと同居する屋敷に、トマスは移り住んだ。トマスは思春期を迎えていたエリザベスと極めて親しくなり、夜に彼女の私室に入り込むこともあった[3]。キャサリンは妊娠し、二人の関係に疑いを抱いてエリザベスを追い出した。1548年に、キャサリンは女児を産んだ直後に亡くなり、遺産を相続したトマスはイングランド王国で最も富裕な男となり、エリザベスを再び求めたがエリザベスはトマスを避けた[4]

トマスは兄の権力をうらやみ、まだ幼い甥のエドワード6世に近づいて護国卿は不要であると説得を試みた。兄がスコットランドに攻め入っている間に、海軍卿であったトマスは海賊と結んで反乱の準備を行った。1549年、トマスは逮捕され、ロンドン塔に送られ、処刑された。

脚注[編集]

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  1. ^ Susan E. James, Catherine Parr: Henry VIII's Last Love, History Press, 2009 US edition. page 61–73.
  2. ^ Chris Skidmore, Edward VI, the Lost King of England, 2007, page 71-87
  3. ^ Allison Weir, The Life of Elizabeth I,(published in America) 1998, page 14-15
  4. ^ Carolly Erickson The First Elizabeth, 1983, page 83