セルゲイ・A・ゴルンスキー

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セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・ゴルンスキーロシア語: ергей Александрович Голунский, 1895年7月4日(ユリウス暦7月16日) - 1962年11月29日)は、ソビエト連邦裁判官外交官

ゴルンスキーの墓

生涯[編集]

モスクワロモノーソフ大学で法律を学び、1917年に卒業、その後博士課程に進んだ。 並行して、1923年から1926年までニジニ・ノヴゴロド、1926年から1929年までロストフ・ナ・ドヌ及びカバルダ・バルカル共和国のソ連国内の数カ所の地方検察局に勤務した。 1929年、モスクワに戻ったゴルンスキーはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の検事総長に任命された。

1934年からモスクワ法科大学英語版で刑法と犯罪学の講師として教鞭を執り、4年後の1938年には医師及び教授号を取得した。翌1939年にはソビエト科学アカデミーの会員に選出され、アカデミー法研究所の法制史部門の責任者に任命された。

1952年から、ハーグ国際司法裁判所において裁判官を務めた。健康上の理由により1953年7月末に辞任した後、科学アカデミーの研究所長、ロモノーソフ大学の教授、雑誌『ソビエト国家』の編集長を務めた。