スタンチク

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ヤン・マテイコ画『スタンチク』(1862年)
1514年、華やかな宮廷舞踏会の最中に楽屋にていち早くスモレンスク陥落の速報を受け取り、考えにふけるスタンチク
画中のスタンチクの顔は作者のマテイコ自身のものであるとされる
ヤン・マテイコの作品のうちの最高傑作のひとつで、ポーランド絵画の代表的作品のひとつ

スタンチクポーランド語: Stańczyk1480年頃-1560年頃)はポーランドの歴史のなかで最も有名な宮廷道化師。彼はアレクサンデルジグムント1世老王ジグムント2世アウグストという三代の王に仕えた。

歴史家たちはこの道化師の本名をスタニスワフ・ゴンスカ(Stanisław Gąska)と推定しており、スタンチク(Stańczyk)はスタニスワフの愛称(「スタニスワフちゃん」の意味)。また、ゴンスカ(Gąska)は、実際はスタンチクの同僚の道化師でその実力の点でスタンチクに少々劣っていた人物の名だったと主張する歴史家もいる。

スタンチクはいつも、ただの芸人であることをはるかに超えた存在だったと考えられている。知性と政治哲学者としての才能にあふれ、ポーランドの現在と未来の状況について、周囲の者に畏敬の念を起させるほどであった。彼が発する気の利いた冗談は政治と宮廷の時事問題に関連しており、彼は自らの道化師としての仕事を通じて、風刺という手段を用いながら同時代の人々に対する批判と警告を行った。スタンチクの発言と冗談は、ウカシュ・グルニツキヤン・コハノフスキマルチン・クロマーミコワイ・レイといった同時代の著述家や歴史家の多くによって記録されており、彼らはみなスタンチクを真実のために見せかけの偽り事と戦った人物として称賛している。

最も広く知られている逸話は王の狩猟の行事のときのものである。1533年、ジグムント1世王はリトアニアから巨大な熊を取り寄せた。この熊は首都クラクフ近郊のニェポウォミツェ英語版近くにあるニェポウォミツェの森英語版に放され、これを王が狩ることになっていた。この狩りの最中、熊が王、王妃、その側近たちからなる一団に向かって突進をし、一同は恐慌をきたして大混乱に陥った。王妃ボナはこのときの落馬で流産をしてしまった。スタンチクが熊にかまわず逃げてしまったことで、王が怒ってのちにスタンチクを批判した。このときスタンチクはこう言った「檻に入れられている熊を放すことのほうが馬鹿げたことでしょ!」この発言は、王のプロイセン公領に対する政策への当てこすりであった。プロイセン公領はポーランドに征服されていたが、王国の直轄領にはなっておらず、属領として一定の自治権が与えられた状態だったのである。

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