ジョゼフ・バラ

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ジョゼフ・バラ
Joseph Bara
ジャン=ジョセフ・ウェーツ作《ジョゼフ・バラの肖像》(1882年)
生誕 (1779-07-30) 1779年7月30日
フランス王国エソンヌ県パレゾー
死没 (1793-12-07) 1793年12月7日(14歳没)
フランス共和国メーヌ=エ=ロワール県ジャレ
職業 軍人
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ジョゼフ・バラ(Joseph Bara、1779年7月30日 - 1793年12月7日)は、エソンヌ県パレゾーに生まれ[1]フランス革命期に鼓手であった少年。1793年ヴァンデ地方で起こった反革命軍との戦い(ヴァンデの反乱)において捕虜となり、王党派の兵士たちに「国王万歳!(Vive le Roi ǃ)」と叫ぶように強要されたが、彼はそれに逆らい「共和国万歳!(Vive la République ǃ)」と叫んで処刑され、共和国の英雄と称えられた[1][2]

ジャック=ルイ・ダヴィッド作《若いバラの死》1794年、フランス革命博物館フランス語版

バラの死はジャコバン派ロベスピエールにとって絶好の宣伝材料となった[2]。彼は国民公会で「国民の中に13歳の英雄がいるのはフランスだけだ。自由こそが、これほど偉大な人間を生むのだ」とバラの悲劇的・英雄的な死を称え[2]、バラは国民公会によってパンテオンに埋葬された[2]

神話化されたジョゼフ・バラについて歴史的検証が行われている[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b La mort de Bara”. www.histoire-image.org. Histoire et analyse d'images et oeuvres. 2020年4月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e Monnier, Raymonde (1980). “Le culte de Bara en l'an II”. Annales historiques de la Révolution française 241 (1): 321–344. doi:10.3406/ahrf.1980.4369. https://www.persee.fr/doc/ahrf_0003-4436_1980_num_241_1_4369. 

関連項目[編集]