ジャン=クロード・デュヴァリエ

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ジャン=クロード・デュヴァリエ
Jean-Claude Duvalier

ハイチの旗 ハイチ共和国
第33代大統領
任期 1971年4月21日1986年2月6日

出生 1951年7月3日(63歳)
ハイチの旗 ハイチポルトープランス
配偶者 ミシェル・ベネット(1980年 - 1990年)

ジャン=クロード・デュヴァリエ(Jean-Claude Duvalier、1951年7月3日 - ) は、ハイチ政治家大統領。愛称は「ベベ・ドク(Bébé Doc)」または「ベビー・ドク(Baby Doc)」。

独裁者と呼ばれた大統領フランソワ・デュヴァリエの息子。父の後を継いで大統領になり、15年間独裁者として君臨した。

1985年に発行された5グールド紙幣に肖像が使用されていた。

プロフィール[編集]

1951年、父フランソワ、母シモーヌのもとで生まれる。ハイチ国立大学法学部で学び、父が死んだ直後の1971年、19歳で世界最年少の大統領となった。アメリカとの経済協力を強めたが、国民の生活は窮乏した。1980年に国内の財閥令嬢ミシェル・ベネットと結婚。1983年には終身大統領になり一族ともども贅沢に生活し、閣僚たちは蓄財に励んだ。

その腐敗ぶりから1978年ごろから反政府暴動が盛んになり、武装蜂起や暴動が相次いだが徹底的に弾圧して対応し国際問題化した。1985年に全国規模の反乱が発生。反乱の共産主義化を恐れたアメリカフランスによって説得され、1986年に米軍機でフランスに亡命した。

亡命先のフランスでは、財産を差し押さえられた挙句、妻と離婚した。一時は困窮したが、別の女性と再婚(正確にはドメスティックパートナー)することにより立ち直り現在では充足した生活を送っている。だが、自分の大統領時代については何の反省もしていないという。

亡命から25年が経過した2011年1月16日より3日間、ハイチに帰国したが、弾圧時代における大量虐殺で訴追される可能性が指摘されている[1]

治世[編集]

彼は、1977年から「ジャン=クロード主義」と名付けた経済開放政策をハイチで展開した。これは、アメリカの援助と資本を導入し、混血のテクノクラートを重用して工業化と近代化を目指す政策だった。しかし、農業や牧畜は衰退し恐怖政治や飢饉を逃れる難民のボートピープルがアメリカに殺到した。このことから国内の有力者たちに見放され最後は追放された。

人物・家族[編集]

彼は、世界で最も若くして大統領となった。ジャズ狂で趣味は、世界の高級車やオートバイを収集してフルスピードで乗り回すことだった。最初の妻は極貧の国民を尻目にパリへ飛行機で買い物へでかけ、姑のシモーヌとの仲が悪く贅沢で張り合っていた。亡命後は肥満になったが、再婚した白人女性のおかげでスリムな体型にもどった。

出典[編集]

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関連作品[編集]

  • リッカルド・オリツィオ『独裁者たちの言い分 トーク・オブ・ザ・デビル』 松田和也(訳)、桂書房 ISBN 4760124039

外部リンク[編集]


公職
先代:
フランソワ・デュヴァリエ
ハイチの旗 ハイチ共和国大統領
1971 - 1986
次代:
アンリ・ナンフィ