ゴットフリート・ゼンパー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ゴットフリート・ゼンパー

ゴットフリート・ゼンパーGottfried Semper 1803年11月29日 - 1879年5月15日)は19世紀ドイツの建築家。代表作であるドレスデンの歌劇場(ゼンパー・オーパー)などの設計で著名である。

ハンブルクに近いアルトナで商人の子として生れた。大学で法律学を学ぶ一方、ギリシャ芸術に強い関心を寄せていた。卒業後、建築を学ぶため教会堂の修復などに携わるが、決闘事件を起こし、パリに逃亡した。パリで3年ほど古典主義建築を学んだ。その後、イタリア各地で本場のルネサンス建築や古代の遺跡にふれ、大きな感銘を受け、またギリシアで遺跡の実測調査を行った。

1832年にドイツに帰国、新古典主義の建築家シンケルの知遇を得た。このときの模様はドイツ建築の聖火の授受のようであったと形容されることがある。1834年、ドレスデンのザクセン国立芸術学校教授になり、宮廷歌劇場、美術館などを建設。作曲家リヒャルト・ワーグナーと親交を結んだ。

美術館建設中の1849年、ドレスデンで「暴動」が起こると、ゼンパーはこれを支援したため、死刑判決を受け、亡命を余儀なくされた(リヒャルト・ワーグナーもこのとき同様に亡命した)。パリなどを経てロンドンに赴いた。ロンドンで開催された万国博覧会や、サウス・ケンジントン美術館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)設立にも協力した。このときクリスタルパレスに感心し、ヘンリー・コールのサークルに接近している。ワーグナーの推薦で1855年設立されたスイス・チューリッヒの工芸大学に招かれ、ここでかねてからの研究をまとめ、主著『様式論』を刊行した(1860年)。このときの工芸大学には歴史家のヤーコブ・ブルクハルトがおり、またブルクハルトだけでなく、フリードリヒ・ニーチェにも影響を与えたとされる。亡命中およびスイス時代に書かれた一連の建築書は、のちのモダニズムをはじめとした建築や建築論に決定的な影響を与えたと、こんにちでは見做されている。

1864年、バイエルン国王ルートヴィヒ2世からワーグナー(この時期チューリッヒに滞在していた)とゼンパーが歌劇場建設のためミュンヘンに招かれた。設計が終わり、着工を待つばかりであったが、ワーグナーの反対派のために計画は中止された。のちのバイロイト劇場はこのときのゼンパー案を、ワーグナーが一部盗用して造ったとされる。

1869年、ドレスデンの宮廷歌劇場が火災により焼失したため、特赦を受けたゼンパーは再建に当たることになった。基本設計を行い、息子のマンフレッド・ゼンパーが実際の建設に当たった。

1871年、皇帝フランツ・ヨーゼフに招かれウィーンに移り、王宮、博物館、劇場の建設に当たった。古代ローマのフォルム・ロマヌムに因んだ王宮拡張計画であったが、ゼンパーの意に反して度々計画が変更された。1876年、イタリアに移り、1879年ローマで死去した。

ワーグナーのバイロイト祝祭劇場は、かつてゼンパーが設計したミュンヘンの歌劇場の案を元にしているという。

主な作品[編集]

  • ドレスデン宮廷歌劇場(ゼンパー・オーパー)(初代1838-1841年、2代目1871-1878年)
  • ドレスデン美術館(1847-1855年)
  • ウィーン宮廷劇場(Burgtheater 弟子のハゼナウアと共同設計)(1874-1888年)

参考文献[編集]

  • 「テクトニック・カルチャー 19-20世紀建築の構法の詩学」   

 ケネス・フランプトン 松畑強+山本想太郎訳 TOTO出版 2002年