ゲルシュタイン報告

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ゲルシュタイン報告1945年武装親衛隊中尉であったクルト・ゲルシュタインによって書かれた。この報告書ではホロコーストを中心的な問題にしているが、特にゲルシュタイン自身が絶滅計画の専門家として直接得た体験について書かれている。ゲルシュタインはナチガス室実験を何度も目の当たりにしている。

ゲルシュタインの経歴[編集]

ゲルシュタイン1930年代の反ナチ運動で活躍した。彼は何度か逮捕され、1938年にはヴェルツァイム(Welzeim)強制収容所に投獄された。だが1941年には父親の助力により衛生学の専門家として武装親衛隊に入隊が許された。彼には青酸を含むさまざまな殺虫剤を使用する技能があった。青酸ホロコーストガス室に使用されたチクロンBの有効成分である。ゲルシュタインは1942年ベウジェツ強制収容所で行われていた、ディーゼル発電機から発生する一酸化炭素を使った初期の絶滅行為に立ち会っている。彼はこの作業に深く関わることとなり、実際に、絶滅収容所に配送されたガスの受取書の多くに彼の名前が見られる。一方そのころ、彼は中立国や連合国にホロコーストについて知らせようとしている。しかし彼の報告はほとんどの国で信用されなかった。

降伏と報告[編集]

1945年、ゲルシュタインはフランス軍に降伏した。彼はテュービンゲンのホテル・モーレン(Hotel Mohren)に拘留され、そこで自分の体験をフランス語とドイツ語で詳細にわかりやすく書いた。この報告書はホロコーストの最も重要な証拠の一つとなった。彼はドイツ語でタイプした2つの報告書と、フランス語で手書きした1つの報告書を作成した。ゲルシュタイン報告は、ルドルフ・ヘスの証言とともに、ナチの絶滅収容所の活動を最も詳細に説明するものである。

ゲルシュタイン報告とナチ戦犯法廷[編集]

ゲルシュタイン報告は有名な裁判の多くで証拠として用いられた。この報告書はヘルマン・ゲーリングハンス・フランクなどの主なナチ戦争犯罪人に対して行われたニュルンベルク裁判で使われた。さらに後には、イスラエルの裁判所でのアドルフ・アイヒマン訴追でも使用された。

ゲルシュタイン報告に対する批判[編集]

ゲルシュタイン報告に矛盾があるという批判がある。しかしそういった批判の大半は歴史家の大勢からは全く信用のないホロコースト否認団体である歴史見直し研究所から出ているものである。ゲルシュタイン報告は一般的に、ナチス・ドイツの絶滅収容所で起きた事実を偽りなく正確に描写したものであるとされている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]