ギヤースッディーン・マフムード

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ギヤースッディーン・マフムード(? - 1210年、在位:1206年 - 1210年)は、アフガニスタンを支配したゴール朝の第8代スルターン

父は第6代スルターンのギヤースッディーン・ムハンマド。父の死後、スルターン位は叔父のシハーブッディーンが継いでゴール朝はインド北部にまで勢力を拡大して全盛期を迎えたが、その叔父が1206年に死去したため、後を継いだ。ところが叔父が在位4年で急死したために体制が整っておらず、若年のマフムードでは歴戦の宿将らを統制することはかなわなかった。

このため、叔父からインド統治を任されていたアイバクをはじめ、ケルマンガズナを支配していたタージ・ウッディーン・イルディスムルタンで勢力を誇るナースィル・ウッディーン・カバーチャらが自立してしまい、ゴール朝の領土は著しく縮小した。

マフムードはアイバクの自立を認める一方で、他の両名を討伐しようとしたが果たせず、1210年に暗殺された。刺客はアイバク、あるいは父時代からの敵対国であるホラズム・シャー朝によるものともいわれる。[要出典]

子のバハー・アッディーン・サーム2世が後を継いだが、その後のゴール朝では内紛が相次いで急速に衰退する。

参考文献[編集]

先代:
シハーブッディーン
ゴール朝の君主
1206年 - 1210年
次代:
バハー・アッディーン・サーム2世