カチン独立軍

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カチン独立軍の旗.

カチン独立軍(カチンどくりつぐん)は、ミャンマー北部カチン州で活動する武装組織。カチン族による独立を目指し、武装闘争を含めた活動を行う。略称KIA。カチン州の町、ライザを拠点とし、構成人員は4,000人程度と小規模だが、山岳住民であるカチン族の特性を活かし、ゲリラ戦術を得意とする[1]

活動歴[編集]

1948年、ミャンマー独立時から活動を開始。

1976年1月23日、カチン州を訪れた日本遺骨収集団をカチン独立軍が銃撃、護衛兵が応戦して戦闘状態となった。カチン独立軍は撤収したが護衛兵7人、日本人2人、通訳1人が負傷した[2]

1994年には、一度はミャンマー政府と和解が成立し、目立った行動はみられなくなったが、2000年代の後半、エーヤワディー川にミッソンダムの建設話が浮上する頃からカチン独立機構英語版(KIO)の軍事組織として活動が活発化。2011年6月にはカチン族の独立を掲げ武装闘争を再開した[3]。ミャンマー政府は、国内の少数民族に対する和解交渉を進めていた時期でもあり、当初は州内で散発的な衝突が繰り返されてきたが、2012年末ころから、カチン側に対して政府軍が空爆を開始するなど規模がエスカレート。2013年、一時は中国も仲介に乗り出すなど和平が模索され始め[4]、同年6月、政府とカチン族を代表するカチン独立機構(KIO)との間で停戦の署名がなされた[5]。しかし、2015年10月の全土停戦協定については署名を拒否した。その後は、同協定への署名を拒否した他の武装組織と共同して、シャン州の軍や警察の検問所を攻撃するなど、活発な活動を展開している[6]

2016年11月20日には一部の旅団がタアン民族解放軍ミャンマー民族民主同盟軍アラカン軍と共に北部同盟を結成している[7]

出典[編集]

  1. ^ “カチン族の反乱 ミャンマー社会の分裂の深さ”. 株式会社ウェッジ. (2014年5月9日). http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2784 2014年6月20日閲覧。 
  2. ^ 遺骨収集団をゲリラ銃撃 団員ら10人が負傷『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月10日朝刊、13版、23面
  3. ^ “巨大ダムの建設中断表明 ミャンマー大統領”. 産経新聞. (2011年9月30日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM3005I_Q1A930C1FF2000/ 2014年6月20日閲覧。 
  4. ^ “カチン族対話再開 中国が仲介 停戦向け政府側と”. しんぶん赤旗 (日本共産党). (2013年2月5日). https://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-05/2013020507_02_1.html 2014年6月20日閲覧。 
  5. ^ “60年の内戦に終止符 ミャンマー政府とカチン族が停戦合意”. ミャンマーニュース (ミャンマーニュース). (2013年6月1日). http://www.myanmar-news.asia/news_duUqF0FIV.html 2014年6月20日閲覧。 
  6. ^ 公安調査庁. “カチン独立機構(KIO) Kachin Independence Organization”. 2023年2月12日閲覧。
  7. ^ 佐々木研. “ミャンマーにおける現行和平プロセスの動向” (PDF). 東京大学東洋文化研究所. 2024年1月12日閲覧。

関連項目[編集]