エリザベス・アーデン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エリザベス・アーデン(1939年)

エリザベス・アーデン (Elizabeth Arden, 1878年12月31日 - 1966年10月18日)は、カナダ出身の実業家アメリカ化粧品ブランド『エリザベス・アーデン』の創設者。

本名をフローレンス・ナイティンゲール・グレアム(Florence Nightingale Graham)といい、オンタリオ州ウッドブリッジで生まれた。25歳の時、兄についてニューヨークへ行き、製薬会社の帳簿係となって働きだした。そこで研究所にも顔を出し、スキンケアについて学んだ。1909年に、エリザベス・フッバードと交友関係を結ぶ。二人の関係が解消された後、彼女はかつての友人の名と、詩人アルフレッド・テニスンの詩『イーノック・アーデン』から自身の仕事上の名を「エリザベス・アーデン」とした。

1912年、アーデンはフランスへ行き、フランスのビューティーサロンで美顔術について学んだ。彼女は、自身で作った口紅と白粉を持って帰国。当時、メイクアップといえば舞台の出演者のものとされており、アーデンは北米にモダンなアイ・メークアップを紹介した。また、化学者ファビアン・スワンソンと共同で顔用クリームを考案した。このヴェネツィア風美顔クリーム・アモレッタと、アーデン・スキン・トニックという同じく共同制作の化粧水の成功で、二人の長いビジネスの協力関係が始まった。この革命的化粧品が、化粧品の成分配合に科学的なアプローチをもたらしたのである。

1915年、アメリカ人銀行家トーマス・ルイスと結婚し、アメリカの市民権を得た。同年、海外販売を開始。1920年代から1930年代にかけ、アーデンと常に競い合ったのは、ヘレナ・ルビンスタインドロシー・グレイである。

第二次世界大戦中、アメリカ女性が兵役にとられた男性の替わりに肉体労働現場へ進出するに伴い、アーデンも商品の嗜好の変化を敏感に感じ取った。彼女は家から出て働く女性のために、メイクアップと服装を指南した。

アーデンの成功は化粧品にとどまらず、ヨガをもとにしたエクササイズを考案したり、1943年からオスカー・デ・ラ・レンタチャールズ・ジェームズを雇ってファッション事業に参入した。

馬主をするなど競馬にも深く関わり、1943年にはメインチャンスファームという生産牧場を開設している。主な所有馬に、ロバート・トーマス・スミス調教のもとケンタッキーダービーに優勝したジェットパイロットがいる。万能クリーム『エイトアワー・クリーム』は、愛馬の火傷を治すために作られたものであった。

1962年、化粧品事業への貢献からレジオンドヌール勲章受章。

1966年、ニューヨークで死去し、スリーピー・ホロウ墓地に葬られた。

外部リンク[編集]