ジェットパイロット

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ジェットパイロット
欧字表記 Jet Pilot
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1944年
死没 1965年
Blenheim II
Black Wave
母の父 Sir Gallahad III
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Arthur B. Hancock & Nydrie Stud
馬主 Maine Chance Farm
調教師 R. Thomas Smithアメリカ
競走成績
生涯成績 17戦7勝
獲得賞金 198,740ドル
(アメリカドル換算)
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ジェットパイロットJet Pilot1944年 - 1965年)とは、アメリカ合衆国生産のサラブレッド競走馬種牡馬である。1947年ケンタッキーダービーに優勝した。

経歴[編集]

1944年に生まれた栗毛の牡馬で、父ブレニムも母父サーギャラハッドも生産者であるアーサー・ボイド・ハンコックの開設したクレイボーンファームが購入・繋養していた馬であった。1歳のときにキーンランドセールにてエリザベス・アーデンに41000ドルで購入された。ジェットパイロットはアーデン所有のメインチャンスファーム名義で競走馬登録され、ロバート・トーマス・スミス厩舎に預けられた。

2歳より競走馬としてデビューし、ピムリコフューチュリティやトレモントステークスを含む4つのステークス競走で勝ちを収めた。またアーリントンフューチュリティでは2着に、シャンペンステークスでも3着に入っている。この時点の下馬評で、ジェットパイロットはケンタッキーダービーの有力候補に挙げられるようになった。

翌年1947年、ジェットパイロットはケンタッキーダービーの本戦において13番枠と不利な枠を引いた。しかしスタート直後から先頭に立つと、競りかけてくるオントラストやコズミックボムらを相手にしながらも終始譲らずに最後の直線まで向かった。直線では追い込んできた1番人気のファランクスからも逃げ切り、アタマ差でゴール線に飛び込んで優勝を果たした。翌戦プリークネスステークスでは勝ち馬フォルトレスの4着に敗れ、以後もしばらく勝ちに恵まれなかったが、秋に迎えたジャマイカハンデキャップでひさびさの勝利を得ている。

3歳シーズンで引退し、スペンドスリフトファームで種牡馬となった。死亡した1965年の前年まで種付けを行っており、その中からジェットアクション、マートルズジェット、ローズジェットなどの活躍馬も出している。

評価[編集]

おもな勝鞍[編集]

※当時はグレード制未導入

1946年(2歳) 12戦5勝
ピムリコナーサリーステークス、ナショナルスタリオンステークス、ピムリコフューチュリティ、トレモントステークス
2着 - アーリントンフューチュリティ、コモンウェルスステークス
1947年(3歳) 5戦2勝
ケンタッキーダービージャマイカハンデキャップ

血統表[編集]

ジェットパイロット血統ブランドフォード系 / St. Simon 5x5=6.25%、 Isinglass 父内5x5=6.25%) (血統表の出典)

Blenheim
1927 青鹿毛 イギリス
父の父
Blandford
1919 青鹿毛 アイルランド
Swynford John o'gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
父の母
Malva
1919 青鹿毛 イギリス
Charles Omalley Desmond
Goody Two-shoes
Wild Arum Robert Le Diable
Marliacea

Black Wave
1935 鹿毛 アメリカ
Sir Gallahad
1920 鹿毛 フランス
Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
母の母
Black Curl
1924 栗毛 アメリカ
Friar Rock Rock Sand
Fairy Gold
Frizeur Sweeper
Frizette F-No.13-c


外部リンク[編集]