ウマル・カラーミー

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ウマル・カラーミー
عمر كرامي
生年月日 1934年9月7日
出生地 Flag of the French Mandate of Syria (1920).svg フランス委任統治領シリア、アン=ヌーリー
没年月日 2015年1月1日(満80歳没)
死没地 レバノンの旗 レバノン ベイルート

在任期間 1990年12月24日 - 1992年5月13日
大統領 イリヤース・ハラーウィー

在任期間 2004年10月21日 - 2005年4月15日
大統領 エミール・ラフード
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ウマル・アブドルハミード・カラーミー(アラビア語: عمر عبد الحميد كرامي, ラテン文字転写: Umar Abdul Hamid Karami, Karamé, 1934年9月7日 - 2015年1月1日)は、レバノン政治家同国首相を2度務めた。日本のメディアではオマル・カラミと表記されることが多い。

経歴[編集]

レバノンの政治家アブドルハミード・カラーミーの息子としてレバノン北部トリポリ近くのアン=ヌーリーで生まれた。カラーミー家はトリポリのスンナ派の名家であり、首相を8度務め1987年に暗殺されたラシード・カラーミーは兄、ナジーブ・ミーカーティー内閣で青年スポーツ大臣を務めたファイサル・カラーミーは息子、同内閣で国家大臣を務めたアフマド・カラーミーは甥にあたる[1][2]

ウマルは弁護士としての教育を受け、兄ラシードの暗殺後に政界入りした。1991年以降トリポリ代表の国民議会議員職にあり、隣国シリアとの緊密な関係を持っている。

2015年1月1日、長い闘病生活の末にレバノン・ベイルートで死去[3]。80歳没。

脚注[編集]

  1. ^ “The importance of being Nabih Berri”. Lebanon News. (2011年6月18日). http://www.nowlebanon.com/NewsArchiveDetails.aspx?ID=283096 2012年11月1日閲覧。 
  2. ^ 青山弘之. “第2次ナジーブ・ミーカーティー内閣(第90第内閣、2011年7月18日ハイルッディーン国家大臣就任)”. 現代東アラブ地域情勢研究ネットワーク. 2012年11月1日閲覧。
  3. ^ Former Lebanese Prime Minister Omar Karami dies Charlotte Oobserver Thursday, Jan. 01, 2015
公職
先代:
サリーム・アル=フッス英語版
ラフィーク・ハリーリー
レバノンの旗 レバノン共和国首相
第57代:1990 – 1992
第62代:2004 – 2005
次代:
ラシード・アッ=スルフ英語版
ナジーブ・ミーカーティー