ウマル・カラーミー
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ウマル・アブドルハミード・カラーミー
عمر عبد الحميد كرامي |
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| 任期 1990年12月24日 – 1992年5月13日 |
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| 大統領 | イリヤース・ハラーウィー |
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| 前任者 | サリーム・アル=フッス |
| 後任者 | ラシード・アッ=スルフ |
| 任期 2004年10月21日 – 2005年4月15日 |
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| 大統領 | エミール・ラフード |
| 前任者 | ラフィーク・ハリーリー |
| 後任者 | ナジーブ・ミーカーティー |
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| 出生 | 1934年9月7日(78歳) |
| 信仰 | スンナ派 |
ウマル・アブドルハミード・カラーミー(Umar Abdul Hamid Karami, Karamé, 1934年9月7日 - )は、レバノンの政治家。同国首相を二度務めた。日本のメディアでは「オマル・カラミ」と表記されることが多い。カラーミー家はトリポリのスンナ派の名家。
ウマル・カラーミーはレバノン北部トリポリ近くのアン=ヌーリーで生まれた。彼はレバノンの政治家アブドルハミード・カラーミーの息子であり、兄はレバノン首相を八度務め1987年に暗殺されたラシード・カラーミーである。ウマルは弁護士としての教育を受け、兄の暗殺後に政界入りした。彼は1991年以降トリポリ代表の国民議会議員であった。彼は隣国シリアとの緊密な関係を持つ。
ナジーブ・ミーカーティー内閣で青年スポーツ大臣をつとめたファイサル・カラーミーは息子、同内閣国家大臣をつとめたアフマド・カラーミーは甥である[1][2]。
脚注 [編集]
- ^ “The importance of being Nabih Berri”. Lebanon News. (2011年6月18日) 2012年11月1日閲覧。
- ^ 青山弘之. “第2次ナジーブ・ミーカーティー内閣(第90第内閣、2011年7月18日ハイルッディーン国家大臣就任)”. 現代東アラブ地域情勢研究ネットワーク. 2012年11月1日閲覧。
| 官職 | ||
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| 先代: サリーム・アル=フッス ラフィーク・ハリーリー |
第57代:1990 – 1992 第62代:2004 – 2005 |
次代: ラシード・アッ=スルフ ナジーブ・ミーカーティー |