ウマル・カラーミー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ウマル・アブドルハミード・カラーミー
عمر عبد الحميد كرامي

任期
1990年12月24日 – 1992年5月13日
大統領 イリヤース・ハラーウィー
前任者 サリーム・アル=フッス
後任者 ラシード・アッ=スルフ
任期
2004年10月21日 – 2005年4月15日
大統領 エミール・ラフード
前任者 ラフィーク・ハリーリー
後任者 ナジーブ・ミーカーティー

出生 1934年9月7日(79歳)
Flag of the French Mandate of Syria (1920).svg フランス委任統治領シリアサイダ
信仰 スンナ派

ウマル・アブドルハミード・カラーミー(Umar Abdul Hamid Karami, Karamé, 1934年9月7日 - )は、レバノン政治家。同国首相を二度務めた。日本のメディアでは「オマル・カラミ」と表記されることが多い。カラーミー家はトリポリスンナ派の名家。

ウマル・カラーミーはレバノン北部トリポリ近くのアン=ヌーリーで生まれた。彼はレバノンの政治家アブドルハミード・カラーミーの息子であり、兄はレバノン首相を八度務め1987年に暗殺されたラシード・カラーミーである。ウマルは弁護士としての教育を受け、兄の暗殺後に政界入りした。彼は1991年以降トリポリ代表の国民議会議員であった。彼は隣国シリアとの緊密な関係を持つ。

ナジーブ・ミーカーティー内閣で青年スポーツ大臣をつとめたファイサル・カラーミーは息子、同内閣国家大臣をつとめたアフマド・カラーミーは甥である[1][2]

脚注[編集]

公職
先代:
サリーム・アル=フッス英語版
ラフィーク・ハリーリー
レバノンの旗 レバノン共和国首相
第57代:1990 – 1992
第62代:2004 – 2005
次代:
ラシード・アッ=スルフ英語版
ナジーブ・ミーカーティー