ウィリアム・ペン (イングランド海軍)

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ウィリアム・ペンの肖像、ピーター・リライ画(1665-66年)

ウィリアム・ペンSir William Penn1621年4月23日 - 1670年9月16日)は、イングランド提督フィラデルフィア市を建設したウィリアム・ペンの父親である。

生涯[編集]

第一次英蘭戦争[編集]

第一次英蘭戦争英語版イングランド海軍に従軍し、ケンティッシュノックの戦い英語版1652年)、ポートランドの戦い英語版ガバードの戦い英語版シェヴェニンゲンの戦い英語版1653年)で戦隊を指揮した。

1655年艦隊を指揮してジャマイカを占領、イングランド領とした。

王政復古[編集]

1660年王政復古の際には戦列艦ネイズビー(同年にロイヤル・チャールズと改名)で、亡命中だったチャールズ2世をイングランドに迎え入れた。1660年、ペンはサミュエル・ピープスの同僚である海軍理事官に任命された。ピープスとサンドイッチ伯(海軍理事局でのピープスの後援者)同様、ペンは王政復古で地位を守り通した「穏健な」議会派であった。

第二次英蘭戦争[編集]

第二次英蘭戦争英語版では、王弟ヨーク公(後のジェームズ2世)の旗下、1665年ローストフトの海戦で艦隊長を務めた。

最後[編集]

イングランド南西部出身のウィリアム・ペンはブリストルの聖メアリ・レドクリフ教会に埋葬されている。舵の柄と甲冑は、戦闘で捕獲したボロボロになったオランダ船の幟と共に展示されている。

人物[編集]

成人後のペンの生活は、隣人サミュエル・ピープスの日記から知ることができる。