イヴァン・フィオレトフ

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イヴァン・チモフェーヴィチ・フィオレトフ
Иван Тимофеевич Фиолетов
Fioletov IT.jpg
生年: 1884年
生地: ロシア帝国の旗 ロシア帝国タンボフ県ロシア語版トゥゴルコヴォ村
没年: 1918年9月20日
没地: ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国クラスノボツク
思想: マルクス・レーニン主義
所属: ボリシェヴィキ
記念碑: 26人のコミッサール記念碑 (1968 - 2009)

イヴァン・チモフェーヴィチ・フィオレトフロシア語: Иван Тимофеевич Фиолетов1884年 - 1918年9月20日)は、ロシア革命家であり、26人のバクー・コミッサールの一員である。

生涯[編集]

ロシア帝国タンボフ県ロシア語版トゥゴルコヴォ村 (Туголуково) の農家に生まれ、1890年代に家族でバクーに移住した。その後は金属工となり、1900年ロシア社会民主労働党に入党。1903年にはボリシェヴィキに加わった。翌年にバクーの社会民主労働党委員会と油田ストライキ委員会のメンバーとなる。1905年から2年間、バクーとグロズヌイで石油企業の労組を主導した。1908年ソリヴィチェゴドスク流刑されるも、1911年からバクー、タシケントチェチェンでボリシェヴィキの活動を主導した。

1907年二月革命からはバクー・ソビエト執行委員会のメンバーとなり、同年5月からは石油労働者連合の委員長を務め、10月からはボリシェヴィキのカフカース地区委員会メンバーとなった。翌年4月にはバクー・コミューンの経済人民委員となり、石油産業の国有化と石油のロシアへの供給業務を担当したが、コミューンが崩壊すると社会革命党に捕らえられ、同年9月20日に処刑された。

彼に因んで名付けられたフィオレトヴォ村ロシア語版という村がアルメニアロリ地方に存在する。

参考文献[編集]